第81話 ゲレンデが溶けるほど○して~後編~



「前から聞きたかったんだけどさ。結局、なんで高等学園まで進んだんだ?」


 せっかくなので訊いてみることにした。


「うーん……。成長した精神で学生の身分を味わえる数少ない猶予期間……だからかな?」


 なんだそりゃ、まるで日本の文系大学生の思考じゃないか。

 少し呆れてしまったが、俺も前世では文系大学生だっただけに、大いに身に覚えのあることだった。

 そこではたと気付く。


「……あぁ、俺が言ったからか」


「うん。クリスが前にいた世界の話を聞いたからね。正直羨ましいよ。自分の好きなことを学ぶ機会が誰にだってあるなんて」


 それは、今までベアトリクスから放たれた言葉の中で、この上なく素に近いものだったのではと思う。

 平民は、貴族になれると言われたら、それは願ってもいないことと喜ぶだろう。

 だが、それは好きにできる財産が多い――――現代風に言えば可処分所得が多いからであり、根本に目を向ければ搾取される側から搾取する側に移りたいだけに過ぎない。

 そして、それらは貴族として求められる義務を見ずに言っているだけのことだ。


 だから、そんな貴族の義務や生き方に縛られることもなく、自分が疑問に思ったことを解明するために学問を修めることを許される生き方が、迷宮騎士とはいえ冒険者になってしまうほどに知的好奇心の強いベアトリクスには、眩しくすら感じるのだろう。

 いや、ある意味では数代前に高等学園を設立した皇帝の意思をよく理解していると言えるのだが、やはり帝国の貴族社会では滅多に理解されない行動である。


「以前クリスが言ってたみたいに、いつか貴族が支配階級にいる時代が終わる日が来る。そうしたら、わたしみたいな人間も、自由に生きることができるようになるって。そんな時代に、できたら生まれたかったな……」


 それは、もし生きている間に目の当たりにすることができても、ベアトリクスがもっと年を経てからの話になるだろう。

 自分が成長していく時に、その環境下にいられるということがどれほど幸せなことか、聡い彼女には既にわかっているのだ。


「ベアトリクスがそう思えるなら、遠い未来の話じゃないかもしれねぇな」


 俺の言葉にベアトリクスは答えない。

 自分が現実を無視した詮無いことを言っているとでも思っているのだろう。

 それに加えて、今俺たちはこんな状況だ。下手をすれば学生生活どころじゃなくなる。

 そんな状況下で、余計なことを言ってしまったくらいに思っているかもしれない。

 まったく、雑談くらい気楽にやれよ。考え過ぎだっつーの。


「こんな話を聞いたことがある。――学問に触れないと視野が狭くなる。そうすると僅かな知識だけで世界を理解しようとして、ありえない理屈を仮定して『わからない』に蓋をしちまう。わからない物の多さすらわからないから、何でも知ってる気分になってしまう――ってな」


「誰の言葉?」


 そこでようやくベアトリクスから返事が返ってくる。


見知らぬ誰かさんアノニマス、だよ。世界が進歩していくってのはな、みんなが『わからない』ものをひとつひとつ根気強くなくしてくことなんだと思う。だから、わからないままでいたくないって思うヤツがいれば、世界は回っていくし進んでもいくのさ。そして、その流れがいつか新しい本流になることもある」


 1本だけ立てた指の上で、ミルクティーを攪拌させるのに使っていたスプーンをくるくると回して見せる。


「そういうものかしらね。個人の意思なんて、大きな流れの中では川の流れに逆らう小魚みたいになるんじゃないのかしら?」


「そう意味じゃ、俺たちは悪くない場所にいると思うけどな。その気になれば流れだって作れるかもしれない。さっきは川の流れに喩えたけど、時代ってのはな、戦場の流れみたいなもんだぜ。流れはな、自分で作るモノなんだよ」


 そう言ってから、鋭く手首を返す。

 回したままだったスプーンが新しい運動エネルギーを与えられ、金属マグに帰還し、柄の方がマグの縁に沿って1周回り、水面に渦を生み出した。


「貴族や王族が全てって価値観で動いているこの世界で?」


「だからこそ、だよ。貴族が選ばれた高貴な存在で、その他はクズっていうバカな考え方が出てきたりする。もちろん、それを本気で思ってるヤツが全てじゃねぇし、単純に声のデカいバカの発言が目立ってるだけで、それで得をしてるヤツがいるから成り立つに過ぎない」


 一度言葉を切る。


「んで、問題はこっからだ。そうなると今度は同じ国なのに互いにいがみ合う構造になって、その回避案として奴隷って存在を設置したり、他の種族を敵視したりするわけだな。最終的にそれでも国の中を支えきれなくなって起きるのが戦争だ。まぁ、哀れなものだよ、結局は社会の延命策に使われている奴隷ってのは」


 そう、身分の貴賤を問わず、中身のないバカほど御しやすいものはない。

 それこそ種族至上主義を掲げて、戦争を煽ることだってできる。


「それって、あの獣人の少女のこと?」


 なんだか話題が逸れてしまった。

 だが、それも致し方ない。俺たちが社会制度云々を語るのは勝手だが、目下は殺されそうな状況を脱しなくてはいけないのだから。


「ん? あぁ……アイツもそんな仕組みの被害者なんだろう。もしかしたら同情すべき過去があって、実は性格もすごくイイヤツなのかもしれない」


「もしかして、『勇者』だけを倒して、解放でもするつもり……?」


 俺の発言の真意を尋ねるような目を向けて来るベアトリクス。

 まぁ、ここまでの発言だけで判断したらそう思うわな。


「まさか。それはお互いが不幸になるだけだ。それに、どうであろうが殺す気で挑んできているんだ。きっちりとその分の落とし前はつけさせてもらう。……おしゃべりは終わりか。なーんか最近闖入者ちんにゅうしゃ多いんだよなぁ、会話をしていると」


 そう言ってため息を一つ漏らし、俺は会話を半ば無理矢理終了させ、そばに置いてあったサプレッサー付きのMP7A1を手に取る。

 ベアトリクスに言葉を返している間に、最初のワイヤートラップ――ワイヤーを結ばれた岩の上に置いた空薬莢が、地面に落ちて金属特有の澄んだ音を立てたのが聞こえていたからだ。


 さて、甘ったるい時間を邪魔する無粋な野郎はどこのどいつだ。

 追手であればそのまま地雷トラップに引っかかってもらうだけだが、そうでなければ爆発音が周囲に響き渡ることになる。

 それでは、かえってこちらの早期発見に繋がってしまう。

 獣や魔物、山賊の手合いであれば抑音器サプレッサー越しの銃撃でカタを付けるしかない。


 ベアトリクスを手で制し、俺は腰を落として壁沿いにゆっくりと歩いて出口に近付く。

 俺自身が編み出した魔法『蛇の眼』を使い、赤外線探知モードに切り替える。


 1人だけ、だと……?


 俺の視界に移った熱反応は人型のモノがひとつだけであった。

 その坑道への入口を窺うように木々の間から様子を見ている姿が、ヒト族の少年くらいの大きさの熱量だとわかると、それはあの『勇者』――シンヤのものかと一瞬で警戒度を跳ね上げる。

 ――いや、それはない。

 瞬間的に熱くなってしまったが、自分でその結論を打ち消す。


 いくらベアトリクスの身柄を早期に確保したいと思っていても、さすがに虎の子の『勇者』を単身で追撃に出すことはしないハズ。

 追手として差し向けられる討伐隊も、おそらく僧兵を中心とした部隊で、その中にあの『勇者』と獣人の少女がいるという形だろう。


 そして、それはおそらく明日になる。

 いくら数の上で有利であっても、夜の森を抜けて追跡してくるのは危険に過ぎる。俺たちが無理をして国境を越えようとしなかったのも、夜にかかると判断したからだ。


 ではいったいこの反応は何者だ?


 『蛇の目』を解除して倍率機能付きのドットサイトを覗き込むと、そこにはボロボロの格好をしたの少年の姿があった。

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