第80話 ゲレンデが溶けるほど○して~前編~


 春先にもならない季節では、この地の緯度が高いのもあってか日が落ちるのはとても早い。


 電灯が発明されていないどころか、魔導灯もダンジョン頼みの特殊なテクノロジー扱いでは、人々の灯りは獣脂を使った灯りか高価な蝋燭のみとなる。

 地上の灯りすら世の闇を払う存在となっていない世界では夜の闇は深く、そこに蠢く獣や魔物の存在もあって人々の脅威となっていた。


「電球っていうの? とても明るいのに火を使わなくていいのは便利ね」


 俺の耳元で発せられた凛とした声が鼓膜をくすぐっていく。


 少しばかり首を動かして横を見れば、地面に置かれたLEDランタンの灯りに照らし出された、ベアトリクスのプラチナブロンドの美しい髪が飛び込んでくる。

 また、その向こう側にある端正な鼻梁が描く顔のラインを、灯りによって生まれた陰影がより強調していた。 


 普段なら眺めているだけで気分が落ち着くのだろうが、あいにくと今はそう色気のあるシチュエーションにはなりそうもない。

 手を伸ばさずとも肌と肌が触れそうな距離。

 そんな状況下で、防寒用の大型ブランケットに包まり、俺たちは鉱山跡の坑道に身を潜めていた。


 あの後、追手を警戒しつつも森を抜けた俺たちは、割とすぐに鉱山跡を見つけることができた。

 そして、その坑道群の中でも崩落しておらず、メインの坑道として補強されていたと思われる場所を見つけ、その中を今夜の宿にすることにしたのだった。

 ちょうどいい具合に腰かけられる窪みがあったのも大きかった。


「その分、熱は出ないけどな。だから、火はまた別で用意しなきゃいけない」


 視線を正面にある光源に戻しながら、俺は小さく言葉を返す。

 吐き出す息は一瞬で白くなり、そして虚空に消えていく。


 当然ながら、獣除けに使っているこの熱を帯びない灯りだけでは、夜になると気温10度を容易に下回るであろう山のふもとにあっては体温の低下は避けられない。

 そのため、登山グッズでよくある携帯ガスコンロを間近に置いて湯を沸かし、砂糖をたっぷり入れたミルクティーで俺たちは暖をとっていた。


 こうして考えれば、いくらハードな環境での作戦に従事するよう訓練を受けた俺でも、負傷してこんな場所で一晩明かせと言われたら死ねと言われているようにしか思えない。

 『お取り寄せ』した文明の利器がなければ、早々に第二の人生を終了することになっていただろう。


 やはり、異世界に放り出されても、それなりにお膳立てがされていなければ遭難者と同じなのかもしれない。

 転生するのも楽じゃないってワケだ。これほどまでに物質召喚能力をありがたいと思ったことはないかもしれない。


「……こんなことになるなんて、思っていなかったわ」


「そりゃそうだ。わかってたら最初から受けてねぇよ」


 金属マグに入れた熱々のミルクティーのぬくもりを手袋越しに感じながら、いつものように軽口を叩くが、ベアトリクスから反応は返ってこなかった。


 間が持たないと思い、視線を反対側――――坑道の入口の方へ向ける。

 外には何も見えない混沌の闇が広がっていた。


 一応、追手が来てもいいように、入り口の少し先に音の鳴る仕掛けと、その数メートル手前に3つのバウンシング・ベティと呼ばれるM16 APM跳躍地雷を埋め、更に入り口すぐそこにはM18クレイモア指向性対人地雷をワイヤートラップ形式で仕掛けてある。

 ――――なんてこの場の警戒態勢を脳内確認している間も、ベアトリクスからの返事はない。


 いよいよ所在なくなってしまい、ミルクティーを一口啜る。

 ……熱い。こりゃ少し無遠慮だったかね……。


 案の定、首を正位置に戻した状態で目だけを動かして視線を向けてみれば、ベアトリクスの顔には陰が生まれていた。

 やれやれ、これじゃ美人が台無しだ。


「そんな顔するんじゃねぇよ。まさか護衛の最中に殺しにかかってくるなんて誰にも予想できなかったさ」


「でも、お父様が無理にねじ込んだりしなければ、クリスもこんなケガをしたりしないで済――――ひゃあっ!?」


 しょぼくれたトーンで喋っていたベアトリクスから、突如として奇声が上がる。

 ブランケットの中の左手で、俺がベアトリクスの脇腹をつついたからだ。


「そういう湿っぽいのはナシだ」


「クリス……」


 ベアトリクスの意図を問うような視線が俺へ向けられる。


「結局な、俺にどうにかできるだけの力がなかったからこうなったんだ。それは地下迷宮に潜った時も、今も何も変わらない。ケガする時はケガするし、死ぬ時は何したって死ぬ」


「……わたしをフォローしたいのか責めたいのかわからないわ」


 俺の物言いがストレート過ぎたのか、憮然とした表情になるベアトリクス。

 笑えとまでは言わないが、しょぼくれた顔なんかしているんだったら、こっちのむくれた顔をしている方がずっとマシだ。


「すまんね、無教養なもんで気の利いたセリフは苦手なんだ。ま、飲みなよ。すこしはマシな気分になるぞ」


 そう言って、マグに入れられたものの手が付けられていなかった紅茶の中身を入れ替えてベアトリクスに差し出す。

 マナーは良くないが、こんな状況だ。大目に見てほしい。

 一方、はぐらかすような俺の言葉に釈然としなかったのか、何か言おうと口を開きかけたベアトリクスだったが、少しの間だけ考えた様子を見せた後、口を噤んで大人しくミルクティーを飲み始めた。


「暖かい……。こんなに砂糖とミルクを入れて飲むやり方があったのね」


「ストレートだってそりゃ悪くはないが、今は体力を温存しなきゃいけないからな。下品に思うかもしれないが、我慢してくれ」


 そもそも砂糖自体が贅沢品だった気がするが。


「ううん、そんなことない。とってもおいしいわ……」


 ふと肩に重みが増す。

 ベアトリクスが頭をこちらに預けてきたのだ。

 理解すると同時に心臓の鼓動が速まっていく。


 おいおい、なんだこの少年漫画とかでありそうなシチュエーション。肉体が健全な少年の俺にはものすごく刺激が強いんですが!


「こんな依頼受けてなければ、今頃春休みだったのになぁ……」


 身体が温まって少し気分も落ち着いたのか、ベアトリクスの口から漏れたそれは独り言のようなものなのだろう。

 貴族的な飾り気もなにもない、ある意味では裸の言葉。


「そうだな」


 俺のヨクナイ気持ちも少しだけ落ち着いた。

 少しだけというのがミソである。これが若さか。


 ちなみに、ベアトリクスの所属する高等学園は2年制だ。

 帝国で成人と認められる年齢で卒業を迎えるのみならず、中等学園とはがらりと変わって専門的な教育を受けられる一応の最終教育機関でもある。

 しかしながら、高等学園にまで進む人間は貴族の中には滅多にいない。

 家督を継ぐ人間にとってはいたずらに時間を浪費する選択肢だし、次男以下では婿入り先や嫁入り先を見付けるべく社交界へデビューするので同じく時間の無駄と判断されるためだ。


 そんな中で、公爵家長女という帝国の階級社会の限りなく上の方にいるベアトリクスのとった選択はかなり奇特とも言えた。

 それもそのはず、ここまで進もうとする人間は、平民でも立身出世を目指し、官僚になりたかったりする努力家が主なくらいで、この先ともなればもう魔法使いのエキスパートを国ぐるみで育てる魔法大学くらいしかない。

 学歴なんてものが重視されるほど社会階級がノーマライズされていないし、そもそも平民が混ざる高等学園卒の経歴は、はっきり言って評価される項目とはならないからだ。

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