第77話 たったひとつだけ、とっておきの策
刃物を相手に突き刺そうとする場合、ただ刺して抜くだけでは与える肉体的な損傷は効果的とはならない。
刺したナイフを捻りながら抜く――――つまり傷口を広げてやることで、より相手に対して致命的なダメージを与えることが可能だ。
そういったやり方が、近接戦闘で確実な勝利を収めるために重要だと軍隊時代にナイフ格闘術のプログラムで教わった。
――――などど、自分の身体に『神剣』の切っ先が侵入するのを見ながら、俺は0.7秒ほど現実逃避していたらしい。
尚、手に持っていたサーベルは刺突を受け止める際にへし折れて先端が宙を舞っていた。
「がァっ!!」
痛みが声となって喉から飛び出る。
先ほど左腕に刺さったダガーとは比べ物にならない灼熱感が襲い掛かり、フル稼働した痛覚が神経を駆け巡る衝撃で、俺の視界が赤く染まったかと思った瞬間――ストロボのように点滅した。
身体が警告を出してるサインじゃねぇか! このままだとマズい! 死ぬ!
というよりも、シンヤの攻撃に対して何もしなければ、腹に開いた穴が背中側まで開通してトンネルになってしまう。
「こ……のっ!」
脳髄にまで押し寄せる激痛を堪えつつ、俺は折れたサーベルを投げ捨て、腰だめに構えて間近まで接近していたシンヤの襟元を掴むと、勝利を確信するような顔――――そのクソムカつくガラ空きの下顎部に、腕全体のしなりを活かした全力の右フックを叩き込んでやる。
トドメ刺すまで気ィ抜くんじゃねぇよ、アホが!
「ごっ!?」
間抜けな悲鳴と共に、殴られた衝撃でシンヤの突こうとする力が弱まるのが腹に突き刺さった剣を通して感じられた。
元々、無理に敢行した浅い踏み込みだったからこそ、剣が少しばかり突き刺さるだけで済んでいたのだ。
まぁ、サスペンス劇場的なアレだと次の日死体で発見されるレベルの負傷だけど。
そして、その傷との引き換えにを得た絶好の隙を見逃すほど、俺はボケてはいない。
地面を蹴って踏ん張りながら、全身を駆け巡る激痛と脇腹から噴き出そうとする血さえも無視して、渾身の前蹴りを放つ。
既に予想外の一撃を喰らっていたシンヤには、追加の一撃を回避する余裕もなく、放った前蹴りは鳩尾に吸い込まれるように突き刺さる。
呻くような声と共に、口腔からキラキラエフェクトの液体を撒き散らしつつ、後方へと向かって吹っ飛ばされ地面を転がった。
気持ち的にはだいぶ足りないが、まずはの『お返し』だぜ。
それとほぼ同時に、突き刺さっていた『神剣』が俺の脇腹から抜けて地面に落ちる。
ズンという音が響き、この『神剣』が常人には振り回すことすら難しいアホのような重さを持っていることが明らかになる。
そりゃサーベルも折られてしまうわけだ。
しかし、これじゃ『神剣』の奪取は難しそうだ。
できれば仕込みをより確実になものにするべく、そこまでやっておきたかったんだが……。
とはいえ、剣が抜けた状態で何もしないままでは、血が止まらないどころか腸が腹圧で飛び出してきてしまう。止血魔法と回復魔法を発動させ、後方へ飛び退り間合いを確保する。
「よ、よくも……」
すぐに立ち上がろうとするシンヤだが、腕の力が入らず再び地面を這うハメとなる。
おいおい、ヘタに動くと身体に酸っぱいアレがつくぞ。
「寝てればいいものを……」
このクズ野郎、意外に――――いや、『勇者』だから運が良かったのか。
腹部にめり込んだ前蹴りは、クリティカルヒットであったにもかかわらず、意識まで刈り取られずに済んでいた。
もっとも、最初の右フックで脳震盪を起こしかけていて、今も身体がまったく言うことを聞かないようだ。
今頃、ヤツの目に映る世界では、さながらシュルレアリスムのようなドロドロの光景が展開されていることだろう。
「おいおい、大司教サマ。こんなんじゃ教会の『勇者』認定……見直した方がいいんじゃねぇの?」
腹を刺された激痛を押し殺して、俺は戦いを眺めているビットブルガー大司教に向けて軽口を叩いて見せる。
「き、貴様ァ、不信心者の分際で舐めた口をききおって……!」
俺の軽口に、それまで余裕を漂わせていたビットブルガー大司教の優男面へと怒りの表情が浮かび上がる。
この程度の挑発でメッキが剥がれるとはね、エリートっぽいくせに情けないことだ。
「おうおう、貴公子のバケの皮が剥がれましたかね?」
バカにしまくってるけど、余裕があるように無理してるだけでシンヤに刺されたところは死ぬほど痛い。我慢してはいるが、とうとう脂汗まで出てきやがった。
「……だが、無様だな。いかに『勇者』を一時退けたとはいえ、その怪我でいつまでその減らず口が叩けるか見せてもらおうか!」
ビットブルガーの顔に余裕が甦る。
そりゃ腹から血を流しながら、減らず口を叩いてるヤツがいればそう思わよな。
彼の声の呼応するように、それまで静観を決め込んでいた僧兵たちが、武器を手にこちらを取り囲もうと動き出す。
……参った。このまま戦うなら、ほぼ確実に囲まれて押し潰される。傷の治りも遅く感じられるし、これでは不利にもほどがある。
「……ビーチェ、合図したら走れ」
「えっ? まさかクリス、囮になる気じゃ……。そんなのは――――」
「んなわけねーだろ。早合点するな。ちゃーんと考えがあるんだよ」
目線は正面に向けたまま、俺は最小限の唇の動きと小声でベアトリクスに指示を出す。
「この人数相手では突破もできまい。大人しく、そこな令嬢をこちらに引き渡したまえ。そうすれば悪いようにはしない」
「それ、要は楽に殺してやるってことだろ? 悪いが……お断りだ!!」
俺は密かに召喚していた煙玉花火を、点火した状態で20個ほど地面にばら撒いてやる。
「なっ、煙!? 毒か!? 全員離れろ!」
獲物を嬲る狩人の表情を浮かべていた僧兵たちが、突如として噴き出し始めた煙を見て一転して狼狽え逃げ回り始める。
いや、正直ここまで効果覿面だとは思いもしなかった。
火薬が未だ発明されていないこの世界では、煙が急に出るような攻撃手段は存在していない。
いや、正確には一つだけ存在している。調べることすら禁忌とされる『瘴気』――――毒ガス魔法だ。魔法としては闇属性に分類されるらしいが、俺も名前以上に詳しいことは知らない。
ティアから聞いた話でも、魔族の領域である向こう側の大陸に住まう高位魔竜の中に毒ガスらしきブレスを吐く種族がいると伝わっている程度だとか。
おそらくこの手の魔法も、化学兵器あたりをイメージすることで使用は可能なのだろうが、まさか使う機会があるなんて思っていなかったため、毒物の詳しい知識までは学んでいない。
化学式もわからないし、まだ化学兵器弾頭の砲弾を『お取り寄せ』する方が楽だ。
あーあ、ビットブルガーさえいなければ。VXガスかサリンガスを使えば全員速やかにあの世へ送ってやれたのに。
「コイツが欲しけりゃ力づくで奪いに来るんだな間抜けども! 口ほどにもない『勇者』サマも連れてな!」
高そうなプライドを傷付けてやるのに一番効きそうな言葉を選び、俺はベアトリクスを伴ってその場から戦略的撤退を開始する。
「えっ? ちょっと、クリス! どうするの!?」
「バカ、逃げるんだよォー!」
この場は完全に不利だ。そこで戦うほど、俺は馬鹿ではないつもりだ。
背中に『勇者』の憎悪に塗れた罵声が聞こえてきたような気もしたが、結局何を言っているかよくわからなかった。
だが大体の内容くらいは想像がつく。
『絶対に殺してやる!』だろう。
だから俺も言ってやるのだ。
「やってみやがれ、ばーか」
鼻っ柱をへし折られたシンヤにはさぞや効果的だったに違いない。
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