第73話 修道服とは本来色気のないもの~後編~


「――――ねぇ」


 外は寒いし、一度座っちまうと暖炉の近くから動きたくなくなるんだよなぁ。あぁ、暖かい。


 うーん、これならカイロでも持ってくるんだったかな。いくらなんでも今ここで『お取り寄せ』するのはマズいよなー。

 いや、そもそも外に出て行っても広場から先には行けないんだし、『恒陽宮』には本来の身分は明かせないから入れやしないし……。

 今部屋に戻ってしまうとベアトリクス的には休まらないだろうしなぁ。


「――――ねぇ」


 いや、せっかくこんな辺境まで来たんだから、せめて教会の図書館で禁書でも見たい。

 見せてくれたら面白そうなんだけど、いくらなんでも無理だよなぁ。

 どう考えても広場を越えるより難易度高そうだし、下手すりゃ近くに詰めてる聖堂騎士団とケンカするハメになりそうだよなー。

 仕方ない、ここはもうちょっと時間を潰してから大人しく部屋戻ってベアトリクスの生足を眺めてるとでも……。


「ねぇってば!!」


「うおっ!?」


 突然耳元で出された声により、俺は驚き過ぎてソファから転げ落ちることになった。


 無様ともいえる勢いで床に転がりこんでしまったが、それまで何の気配も感じさせなかった人間の出現に、俺は失態を演じつつも正体を悟られたかとすぐには起き上がらず、隠し持ったナイフと拳銃を意識して視線を向ける。

 ちなみに、既に一挙動でナイフを投擲できるよう、右手は袖口のナイフの柄を触っていた。


 ちょっと過剰な反応をしてしまっているが、誰何すいかの声にいきなり暴れるわけでもないんだし、こういう時はかえって変に素早い身のこなしを見せない方が得策か。


「何回呼びかけても返事もしないのに、気付いたと思ったらいきなり大声挙げるなんて、あなたいったいどういう育ちの人間なの?」


 まったく聞き覚えのない声なのに、えらい毒舌が降り注いでくるんだが。


 一瞬ムッとしたものの、軽く姿勢を直して床に座り込んだような姿勢のままで視線を持って行くと、目の前にえらい地味な黒い布が飛び込んできた。

 常識的に考えて布が喋るはずもないので、すぐにそれが服の生地だと気付く。


 それから声のした方へ視線を上に持って行くと、まー小ぶりとでも言うべきか、それは服装が身体の線をあまり出さないように大きめのサイズにしているからか、とりあえずここで明言を避けておこうと思うようなサイズの胸が俺の視界に飛び込んでくる。うーん、Cもあるかな?


 とはいえ、さすがにそこで視線を止めると不審者全開だ。

 もうちょっと見ていたい誘惑を脳内で抹殺して視線を上に持って行くと、こちらを見下ろす気の強そうな緑色の瞳と目が合った。


「いや、耳元でいきなり声を出されたら驚くだろう、普通……」


 相手が誰かもわからない中では、なるべく余計な感情は含ませない方がいい。

 とりあえずは軽く抗議する姿勢でいいだろう。


 敵意はなさそうなので警戒態勢を解除し、ナイフを袖口の中に戻す。


「何回も声かけたわよ? 子どものくせに祈るでもなくぼーっとして。聖堂教会の聖地に来てまでそんなことしているくらいなら、礼拝堂へ行ったらどうなの?」


 説教するような声に俺のテンションが下がっていく。


 まー、たしかにコイツは、服装からすれば聖職者なんだろう。

 年の頃はベアトリクスと同じくらいか。


 黒地の尼僧服に身を包んだその姿は、僧籍にある者として俗世から切り離しているつもりなのだろうが、なんというか妙にちぐはぐな印象であった。

 誰かの趣味で隠してないんじゃねぇのと思うようなウィンプルからはみ出したプラチナに近い金色の髪の毛は、教会という場所には相応しくないと思えるようなある種の華やかさを放っていた。

 また、その下にある顔にしても決して太ってはいないものの、全体的に女性らしさを前面に出した程よい丸みを帯びながら、意思の強さを表すような凛々しさも幾分か含有している。


 地球での十字架のようなシンボルが聖堂教会にはないにもかからわらず、胸元に揺れているまばゆい銀色の剣を模した飾りが特徴的であった。

 何か特別な地位でも表すものなのだろうか?


 俺の辿ってきた流れとは逆で、首から上だけを見れば、どっかの貴族の子弟にも見えそうな感じだ。

 各国との必要以上の繋がりを持とうとしない聖堂教会が、まさか本部で貴族の令嬢を尼僧にしているなんて話は聞いたことがないので、おそらく教国上層部の家の娘なのだろう。

 いよいよ、胡散臭さすら感じてきたな。


「ご挨拶だなぁ。仕事でここまで来た冒険者相手に随分なことを言うもんだ。それとも、それが最近の教会のお布施を募るやり方なのか?」


「生意気に神も恐れないようなことを言ってのけるなんて、冒険者って身分の人間はホント野蛮なのね。感心するわ」


 おいおい、今度は野蛮人認定かよ。


 いくら俺が今は貴族には見えない恰好してるからって、そこまで悪し様に言ってくれるとは、人の抱く先入観ってぇのはホント怖いものだ。

 それどころか、平民っぽい恰好をしていて『月の館』にいるってだけで、ロクな素性の者じゃないと決めてかかれるのだからいっそ大したものと言ってやれそうだ。

 まぁ、見た感じからして、気が強そうな割には世間を知らなさそうだし無理もないのだろうか。

 聖書を捨ててもう少し世間を知り給え、名も知らぬ少女よ。


「まったく。聖職者が身分で貴賤をどうこう言うなんて世も末だな。アーメン、ハレルヤ、ホーリーシットだぜ」


「……意味の分からない言葉に、妙に子どもっぽさの感じられない金髪碧眼の少年……。神託の内容通りだわ……。アナタ、もしかして名前はクリスというのではなくて?」


 ん? ローカルスラングが通じたわけでもないだろうに、何だこの過剰とも思える反応は?

 いや、それ以上に、何故コイツは初めて会った俺の名前を知っているんだ?


「ちょっと待てよ。いったいなんなんだ? もしかして電波とか受信しちゃう系の修行でもしたのか?」


「『狩人に追われたなら、山へ逃げなさい。狼の牙が必要になるだろう。獣の顎は狩人を食い千切る助けになる』……たしかに、伝えたわよ。わたしには意味はわからないけれどね」


 俺の軽口を無視して、地球の聖書にでもありそうな一節の詩のような言葉を並べる少女。

 まさか本当に電波系ではないだろうな……。


「あー、その、なんだ。君はいったい……」


 得体のしれない不安感にも似た感情からか、俺は知らぬ間に少女に向けて問いを放っていた。

 だが、それは向こうも承知していたのか、少女は不敵――――むしろ不遜にすら思える表情を浮かべると俺に向かって言い放った。


「わたし? わたしはフラヴィアーナ・ディ・ラヴァッツィ。枢機卿に任ぜられている父フランチェスコ・ディ・ラヴァッツィの娘にして聖堂教会で神託の巫女と呼ばれる者のひとりよ」

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