第72話 修道服とは本来色気のないもの~前編~
神聖アウレリアス教国。
ヒト族国家群に絶大なる影響力を誇る聖堂教会の本拠地は、仰々しい名に相応しいだけの威容を誇っていた。
遥か過去に、『勇者』と共に魔族の侵攻を退けたとされる初代教皇に神託を授けたとされる場所イシリス山。……なんで推測だらけなんでしょうね?
それはさておき、山の麓に広がるように世にも珍しい都市国家は存在していた。
山の裾野の高低差を利用して建てられた巨大なサンクトマルク大聖堂が聖堂教会本部だった。
ご神体とでも言うべき『神託の石碑』が安置されるらしく、教会の象徴ともいえる建物は、建立当時の建築技術の粋を集めて造られており、その古典様式により大聖堂の名を表すに相応しい建物となっていた。
敬虔な信者の年に数度に分かれて行われる聖地巡礼に備えるべく、大聖堂の正面には儀典用の大階段を設え、その下に広大な白い石畳を敷き詰めた『原初の広場』が存在している。
そこが教会関係者以外――つまるところの一般信徒が近寄ることのできる、最も『創造神』に近い場所なのだ。
ケストリッツァー大司教を護衛してきたとはいえ、僧籍でもない俺たちが入れるのはその『原初の広場』までで、こうなってくると客人などの対応に不都合が生じる。
いくらアウェイでも「お前ら教会関係者じゃないから、平民と一緒な」などと言った日には、さすがに聖堂教会といえど大顰蹙モノである。
おそらく、そんな問題も歴史のどこかで発生したのだろう。
『原初の広場』の左右には、国賓用の滞在施設である『恒陽宮』と、今回のような護衛の任に就いた騎士や冒険者を労うための施設『月の館』が設けられていた。
『原初の広場』をこの星に、それぞれの施設を太陽と月に見立てているのだろうか。この世界の天文学のレベルがまだ天動説であったと再確認できる。ぶっちゃけどうでもいい話だが。
そして、『月の館』の中で俺とベアトリクスは、与えられた逗留用の部屋で往路の休息をとっているのだった。
「いやいやすごい部屋だわこれ」
ただの護衛には勿体ない豪華な部屋だったので、大司教が気を遣ってくれたのかもしれない。
部屋の調度品などを見れば、貴族ではない裕福な商人向けの部屋ではないだろうか。
調度品こそ控えめだが、ベッドなどの質はヘタな宿のそれよりも遥かに良い物を使っていると一目でわかった。
「……しっかし、やっぱり疲れるもんだなぁ〜。道中何もなくてよかったよ」
「ほんとうに。ほとんど歩きっぱなしだったから。普段から鍛えてもらってなかったら、わたしにはムリだったかもしれないわ」
余計な胸当てなどの装備を取り払い、ベッドの縁に腰を掛けた俺の対面で、かけられた言葉に同意しながら、ベアトリクスは一刻も早く窮屈な状態から解放されたいと言わんばかりに編み上げブーツを脱いで素足を晒していた。
やれやれ、嫁入り前の娘がはしたない。
あまりジロジロ見るのも失礼なので、適当に部屋の調度品などに目を遣ることにする。
圧縮された空気の漏れる音が聞こえた。ベアトリクスが冷却用のスプレーを噴きつける音だ。健康的な曲線を描く雪のような色をした脚の硬くなった筋肉をほぐしているのだ。以前教えたマッサージだが、やるとやらないとでは次の日大違いだ。
ちなみにスプレーだが、俺は配慮のできる男なのでわずかにシトラスの香りがするものだ。
彼女の順応性の高さには驚かされるばかりだが、まぁ便利なものをゴチャゴチャ言わずに受け入れてくれるのはありがたい。
今回はベアトリクスにとって長い旅となるため、あれこれ役立ちそうな道具を用意していたのだ。
ブーツは目立つ部分なので当然この世界で作られたものだが、中には長距離移動用にクッション性の高い中敷きを入れてあるし、足を保護する膝あてと動きを阻害しないためのハーフパンツの下には防寒用に黒タイツを渡してある。
これら文明の利器はたいそう喜ばれた。
「まぁ、1日でも休息の時間をくれただけマシかね。
「そんな狭量さを見せるようなら、お父様に進言して今後の対応を考えてもらうわ」
具体的にはお布施の量とかか。そりゃまた可哀相なことになるな。
そう思ったが口には出さず、苦笑だけ浮かべて俺はベッドから立ち上がる。
「どこへ行くの?」
「折角だからその辺を、な。心配しなくても、変な所には入らねぇよ」
「だといいのだけれど。クリスのトラブル体質を知っていると心配になるわ」
……なかなかに信用がない。
もしかして見た目の年齢以上にガキか何かと思われているんじゃないだろうか。
しかしながら、俺へ向けられる言葉はいつもとは違ってそれだけで、特にベアトリクスから同行を申し出る言葉が出なかった。
何となく察しはついたものの、一応は視線だけで「来ないのか?」と尋ねてみる。
「あー……。申し訳ないけれどわたしは遠慮させてもらうわ。……ちょっと疲れちゃった」
「そうか。なら、ゆっくり休んでいるといい。遅くても夕飯までには戻るよ」
俺たちと出会ってからの2~3年間で、心身ともに鍛えたとはいえそれは突貫作業に過ぎない。
それまでは貴族育ちだったお嬢さんが荒くれ者と同じような行動をしているのだ。身体が悲鳴を上げない方が無理な話である。
もちろん、今回の一件とて別段誰かに強制されたという事実はない。ベアトリクス自身が、自ら冒険者として苦界に身を沈めるに等しい道を選んだ上でのことだし、事前に依頼を受けるかどうか選択の余地も与えられている。
正論として言えば、弱音を上げるのはあまり好ましいことではない。
しかし、それをこのような場で追求するのもいやらしいし、人間関係というのはそういう単純なものじゃない。
俺が苦言を呈さなかったとしても、きっと一人になった部屋で、彼女は自分の身体が思うように動かない情けなさと否応なしに向き合うだろう。
それもまた一人前になるためには必要なことだ。
そう考えながら、俺は防寒用の外套を纏い、その下にSIG SAUER P239とタクティカルナイフを吊るし、袖口に投擲用のナイフを仕込んでから部屋を出る。
少なくとも、聖堂教会によって治安が保たれている場所で帯剣はマズいと思ったためサーベルは部屋に置いてきたが、さすがに全く見知った人間がいない所で完全な丸腰でいるのも不用心に過ぎる。
何かあった時のために、最低限(ただし俺基準で)武装はしておくべきだ。
「おおぅ、寒い……」
廊下に出ると、今の時期は礼拝シーズンではないらしく、館に人の気配はほとんど感じられなかった。
ここらをうろついている人間から情報収集がしたいわけでもないので、静かなくらいがちょうどいい。
貴族向けの施設でもないため、カーペットなどといった上等なものが張られていない板張りの廊下を歩く靴音が、静寂を湛える空気へと染み入るように木霊する。
しかし、もう少し暖房なりを効かせてくれてもいいんじゃないか? これじゃ外と大して変わらないぞ。
色んなところからお布施集めまくっているくせに薪代をケチっているのか、日中は気温に任せっぱなしのようだ。
これだけで暖炉の備え付けてあった部屋に戻りたくなる。
「だが、これくらいでめげるわけにはいかないのだ」
自分を無意味に奮起させて歩を進めると、この館のエントランス部にあたるロビーに出た。
さすがに、ロビーは手を抜いていないのか暖炉に火が点けられ、空気も暖かくなっていた。
さて……。
俺の他に誰もいないのを良いことに、俺は近くのソファにどかっと腰を下ろし、頭の後ろで手を組んで考えを巡らせる。
我ながらかなりだらしがない格好だ。
こうして聖堂教会本部にいるのだ。
ケストリッツァーが言っていた新任のビットブルガー大司教とやらの情報を探るのも悪くはない。
だが、この施設から出て教会関係者のいる所へ向かうには、『原初の広場』の向こうへ行かねばならない。
見つかれば、何故一介の護衛がそんなこと……をという話にもなる。
いや、その程度で済むはずがない。
俺の知的好奇心を満たすためだけに、不用意に疑われるような真似は慎むべきだろう。
そういうのは、帝国のそっちを得意とする連中にでも任せればいい。
じゃあ、代わりに何をしてヒマを潰そうか……。
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