第71話 陰謀が脳年齢を若く保つ学説を提唱してみる~後編~


「しかし、私ももう少し長く――それこそ短い余生を終えるまで、帝国にいられるかと思っていたのですが」


 話題が変わった。


「と言いますと?」


「教会本部で何やら動きがあったようなのですよ。やれやれ、呼び出されるなんていったい何事でしょうか……」


 ……いったい何のつもりだ、このじいさん。


 瞬時に緊張を孕んだ俺と同様に、ベアトリクスも目だけは雰囲気を変える。

 大司教の視線の死角近くでまだ恥ずかしそうな表情は浮かべているが、内心は既に冷静さを取り戻し、急変しつつある事態を把握しようとしていた。

 貴族教育とは別でポーカーフェイスを覚えてもらった甲斐がある。


「よろしいのですか?」


「構いません。独り言です」


 変化はそれだけには留まらなかった。

 いつの間にか、教会の護衛である僧兵たちが最優先護衛対象であるはずのここから離れ、馬車を挟むように位置する先頭と後尾の荷馬車の位置にまで移動している。


 今現在、この大司教の乗る馬車付近には、俺とベアトリクス、そして当人しか


「……独り言にしては物々しい話ですな。てっきり教会は、『創造神』の権威の地上代理人として、盤石な体制下にあると思っていたのですが」


 一瞬、予想外の事態に話の流れが途切れそうになったが、動揺を可能な限り表に出さぬよう、その手のことには詳しくない体で世間話のノリを継続させる。


 しかし、相手の意図がまるで掴めない。


 そんな状況のせいか、無意識のうちに寒さ除けに身に付けている外套、その下に隠してある抑音機サプレッサー付きのSIG SAUER P239を意識してしまう。

 春前の寒さが残る空の下を歩いているというのに、突然降って沸いた緊張に背中から汗が滲み出ているのがわかった。


 ここでドンパチが始まるようなことにはならないでほしいが……。


「……ふむ。どうやら余計な警戒を抱かせてしまったようですね。それでは、少しばかり老いぼれの独り言を聞いてもらいましょうか。相槌を打つのも、同じく何か独り言を漏らされるのも構いません。それならどうでしょうか」


 俺が疑念を含んだ視線に気付いているであろう大司教は、幾分か申し訳なさそうなトーンで言葉を発した。


「…………」


 俺が依然として無言でいることを了承と受け取ったのか、今度は一方的に告げて俺たちからの返事を待つこともなく語り始めるのだった。


「ヒト族の世界を支配しているなどと言われる聖堂教会であっても、所詮はヒトの集まりに過ぎません。それに、聖職者などと申しはしますが、我々もこの世では修行の途上にある身なのです」


「聖職者らしいお考えです」


「しかし、魔族の脅威も過去のこととして薄れつつある今、教会の中にあるのは権力闘争ばかりです。迷える信徒を救済するための説法ではなく、布施を集めるための説法や催事が横行し、それが僧籍の者たちを腐敗させている。そんな中では、その身に燻る野心を募らせずにいられる者とて少ないのですよ」


 馬車の中から、それこそ本当に独り言を漏らすかのような口調で語り続けるケストリッツァー。


 喋り方と口にする内容のギャップがひどすぎるが、だからこその“独り言”なのだろう。

 要するに聖堂教会内で内ゲバが起きているということか。

 教皇の座を巡るものなのか、或いは他のものなのか。

 これは別途教国で情報収集を行い、帝国に戻ってからその手の連中に調べさせるしかないが、とっかかりレベルの有益な情報を得ることができた。


 未だこのじいさんの立ち位置が不明なため、罠である疑念は払拭できていないが、こうして俺たちだけで話す機会を設けてくれている以上、今はこの会話をしたいという意図に乗るしかない。

 少なくとも俺たちの利益には適っている。怪しいからと聞かなかったことにするには、いささか惜しい状況だ。


「……そうなのですね。『勇者』も過去の伝説になりつつある今、この大陸の平穏が乱れるようなことがなければいいのですが……」


 無難な相槌しか返せない。


 それにしても、このじいさんはいったいどこまで把握しているのだろうか。

 俺が『使徒』であるといった情報も、帝国内の貴族派に漏れていないからといって、聖堂教会に漏れていないとは限らない。

 異端派までを含めて『聖堂教会』なのだから、どこでどのような繋がりがあるかわからない。

 とりあえずは探りを入れてみるしかない。


「……であるなら、復路で護衛することになるビットブルガー大司教。彼の動きには気を付けなさい。古くから続く家柄であるとはいえ、若くして大司教に任ぜられた身。その鋭い野心は、いずれこの大陸にまで波及しかねないものです」


 名指しで自分と交代する人間を話題に出すだと? 俺たちを使って対抗勢力でも潰させたいのか?

 いや、現時点の情報だけで一気にそこまで判断するのは危険だ。

 どのみち、新しく帝国に赴任する教会の人間ともなれば、それは俺たちのみならず誰しもが警戒することになる。

 何も真っ先に火中の栗を拾う必要はない。


「――何故、それを私たちに?」


「いえ、聖堂教会といっても、その中身は先ほども申しましたように魑魅魍魎の蔓延はびこる魔窟も同じ。大司教というそれなりの立場を務める以上、独自の情報網を持っていなければ他国にいる身であっても安泰ではないのですよ。だから、護衛の冒険者の出自などに違和感があるようなら、少しばかり調べさせたりするのです」


 ……なるほど。

 これで確信へと変わったが、俺たちが帝国ギルドから派遣されているただの冒険者でないことは、先刻お見通しだっだらしい。

 おそらく素性についてもほとんどバレている。


 そうでもなければ、ただの平民相手にあんな話をわざわざしないということか。

 だが、それにしても何故帝国の関係者相手にここまでの情報を開示してくれるのだろうか。そこだけは未だ不明なままだ。


「私は帝国が好きなのです。またいずれ戻って来たいと思っているくらいにはね。それくらいの頃には、あなた方の婚姻の儀にも立ち会えることでしょう」


「それは――――」


「あぁ失敬。独り言が長くなってしまいましたね。もう少しでイシリス山が見えてくる頃でしょう。年寄りの身に外の寒さはちと堪えました。私は少し休ませてもらいます」


 俺の内心での疑問。それを読み取ったかのようなタイミングで、ケストリッツァーは言葉を挟んでくる。

 老人の顔に浮かぶ悪戯が成功したような笑みに、俺は思わずドキっとしてしまうのだった。

 もちろん、色気のない意味でだ。


 ……まったく、油断のならないじいさんだ。


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