第70話 陰謀が脳年齢を若く保つ学説を提唱してみる~前編~


 親父殿の無茶振り――もとい要請から数日後、俺たちはケストリッツァー大司教の護衛として、神聖アウレリアス教国へ向かうこととなった。


 道中、何か起きるかと思ったが、びっくりするくらい何も起きなかった。


 それもそのはずだ。

 知性の低い魔物ならともかく、賊の類はいくらそんな身分に身を落とそうとも絶対に教会関係者を狙おうとはしない。

 聖堂教会――ヒト族の国家全てを敵に回すことを恐れているのだ。


 彼らの武力を担う騎士団は、各国家の宗教を司る組織として、帝国騎士団のような貴族信者を中心とした騎士団が設立されている。

 軍隊ほどの人員規模はないが、基本的には実力者ばかりが揃った準軍事組織と言っていい。


 もしも教会の関係者――それも上位の人間を襲撃した日には、下手をすれば聖堂教会本部直轄の『神威執行騎士団』という大層物々しい名前の騎士団が出張ってきかねないのだ。

 コイツらはガチのヤバい連中だ。思わず放送禁止用語を使いそうなくらいヤバい。

 狂信者スレスレの連中で、異端認定された大敵を完全に絶滅させることを目的として組織された、目的からして完全にイってしまっている連中である。

 存在は認められているにもかかわらず、内容は名称と目的以外が秘密のベールに包まれており、その不透明さから聖堂教会の最終兵器とも言われている。


 そんな都市伝説ばりの恐怖集団が広く人類圏に知れ渡っていれば、護衛なんてお付きで帝国に派遣されていた教会の僧兵だけで済む。

 はっきり言って、俺たちなんてオマケみたいなものだ。


 おそらく誰も出さないわけにはいかないという帝国の面子を立てたようなものだろうか。

 ……そんなのに振り回される身にもなってほしいけどな。


「ほっほっほ、平和で良いものですなぁ、クリス殿」


「そうですね。このまま教会本部まで続いてくれると良いんですが。もうじきみたいですし」


 聖堂教会の紋章の入った馬車の窓を開けて、物腰の柔らかい声で僧服姿の60歳ちょい手前くらいの品の良い老人が言葉をかけてくる。

 俺の内心など知ってか知らずか、平民相手だと言うのに気安いことだ。


 この超絶人のよさそうなじいさんが、今回の護衛対象であるケストリッツァー大司教である。

 帝国は帝都の中央協会に3年ほど派遣され、この度新任のビットブルガー大司教を帝国に派遣するため入れ替えとなる。

 チラっとヘルムントから聞いた話だと、この大司教の昇進によるものではないようなので、3年で任期が終わるというのは結構珍しい話らしい。

 となると、このじいさんの派閥かなんかが政争にでも負けたのだろうか。


「争いも起きないのが一番です。ひとつでも少なければ、それに越したことはないのですよ」


 そう言って、俺の腰に佩いたサーベルに目を遣るケストリッツァー。

 気遣うような口調は、聖職者という地位にあっても偉そうな感じや俗世離れした印象からはほど遠い。見た目にしても清貧はどこへいったというでっぷりとした身体をしているわけでもない。


 こういうじいさんが相手なら、たまに教会で説法でも聞いてやってもいいなと思えてくる。


「そうですね。コイツを抜かないで済むなら、それはとてもありがたいことですよ」


 サーベルの柄を軽く叩きながら、俺はそう答えた。


 できることならサーベルを使うような状況は避けたかった。

 ひとつ目の理由は、大司教が言うように、無用な戦いが起きないでほしいこと。

 これは単純に面倒臭いからだ。


 もうひとつの理由は、俺が量産品のサーベルにそれほど慣れていない点にあった。

 いくら注意しても、ついいつもと同じ感覚で振るえばあっという間にヘシ折れかねないのだ。

 もちろん、それだけではない。

 この世界では、日本刀――つまるところの『打ち刀』は、まったくと言っていいほど知られていない武器である。


 遥か東の島国とかいう、モロに日本っぽい場所にあるとかないとかいう話もあるのだが、ざっくりその程度の話しか伝わっていないモノなのだ。

 そんな武器を、どっからどう見ても帝国系の見た目をした俺が使っていると要らぬ疑念を呼びかねないため、わざわざ斬る動作に向いたサーベルを用意していた。


 考え過ぎかもしれないが、依頼の内容が内容だけに結構細かい部分にも気を遣っているのだ。その苦労を察してほしい。


「クリス、異常はない?」


「……ビーチェか。異常はまったくないね。平和なもんだよ」


 タイミングを見ていたのだろう。ベアトリクスが「護衛の仕事をしてますよ」風に話しかけてきた。

 俺たちが冒険者としてそれなりに親密な関係であることもアピールしておくべきなので、偽名であるベアトリーチェの愛称『ビーチェ』で呼ぶ。


 俺もそうだが、今回ベアトリクスは平民冒険者として見られるよう、装備のランクというか見栄えを一般的な『迷宮騎士』のそれよりもかなり簡素なものにしている。

 普段は『迷宮騎士』としての世間の目もあるため、ダンジョンに潜る時や依頼によってはそれなりの身分にあるとわかる格好にしているが、今回はそれを一切悟られないようにしていた。


 具体的には、動きやすいようにした布の服の上に密かに合金で作らせた胸甲や手甲などを着けている程度だ。

 元々、俺はサダマサの剣術を習っており、動きの妨げとなる防具を付ける気がなかったので、こういうファンタジーな装備は今回が初めてとなる。


 この他、明らかに手入れされているとわかる髪の毛や肌をどう誤魔化すかは少しばかり悩んだ。

 結局、アウエンミュラー侯爵家とエンツェンスベルガー公爵家で導入している俺発案の湯浴みを2日ほど自粛して、身体をお湯で拭うに留めることで髪の毛の艶を少し誤魔化した感じである。


「おやおや、クリス殿。その娘さんは、あなたの良きお人ですかの?」


 親しげに話す俺とベアトリクスを見て、ケストリッツァーが好々爺然とした口調で話に入ってくる。


 あまりに道中が平和過ぎて暇なのだろう。実際、俺も暇だ。

 それに、老齢に近づいているのと職業柄なのか、このじいさんも結構な話したがり屋なようだ。

 教会関係者と話せるせっかくの機会だし、少しばかり付き合ってあげよう。

 護衛対象のご機嫌取りも依頼の内だろうし。


「えぇ、まぁ、そうなりますね。私が成人したら婚姻としようと思っています。この依頼が終わったら婚約かな?」


 ……あれ? これってもしかして死亡フラグでは?


「そ、そうね……」


 一方、あくまで偽装した身分を演じて話をしているだけなのに、ベアトリクスの顔は明らかに演技じゃないとわかるほど真っ赤になっていた。


 ……婚約が決まってから、もう3年近く経っているんだけどなぁ。

 しかしながら、ナチュラルにこんな反応をしてくれるのはありがたい。初心な娘っぽさをアピールできるのだから。


 ……いや、待てよ? 冒険者やってて初心ってちょっとヤバいんじゃないか?


「ほっほっほ、それはめでたきことですな! 私が帝都にいられれば、婚姻の儀の際には一切を取り仕切って差し上げたかったくらいです」


「いやいや、そんな。大司教様に仕切って頂くなんて私たちのような身分の者には畏れ多くてとてもとても……」


 恐縮しきった態度で小市民感を出しておく。わざとらしいかもしれないが。


「なに、慶事に身分など関係ありませぬ。こうして旅を共にするのも何かの縁だと思っておりますからな!」


 呵々かかと笑う大司教。

 こういう人間がもうちょっと多ければ、この世界ももう少しだけ幸せになるのかもしれない。


「そう言っていただけるだけでも、わたしたちのような者には勿体ないくらいです、大司教様」


 ベアトリクスも、依然として顔は赤いままだが、あくまで平民風に大司教の会話相手を続けている。

 とりあえずは、こんな風に世間話でもしながら何か情報でも聞き出せれば万々歳じゃないだろうか。


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