第74話 奴隷をヒト型の愛玩動物だと思ってるヤツが多過ぎる件について
「ぐっ…………!」
やっとの思いで森の奥深くへと逃げ込み、近くにあった大樹の幹に身体を預けると俺の口から呻き声が漏れる。
それと同時に、一息つける安堵からか力が抜け、そのまま地面にズルズルと腰を下ろすことになってしまう。
こうなってしまった原因を確認するために服をまくり上げると、布切れを巻いただけの箇所には未だ新しい血がにじみ出てきていた。
どうなっているか確認をしようと布を取り払うも、傷口から流れ出る血の勢いは未だに衰える様子を見せていない。
貫通創でないことがある意味では救いか。
「ひどい……! 全然止まっていないじゃない……」
追手がないか後方を警戒しながら、負傷した俺の後をついて来てくれていたベアトリクスが小さく叫ぶ。
いったいなんだ、この傷は。さっきから魔力を体内で循環させているのにあまりにも治りが悪過ぎる…… !
先に受けた傷なんかは、もうとっくの昔に塞がっているというのに。
「ちょっとどいてろ……。処置するから……」
傷の治りが妨げられている可能性があるからといって、このまま何の処置をしないわけにもいかなかった。
この世界の衛生環境を考えるに、破傷風にでもなったらシャレにならない。
せっかく実家の領地でトイレ作ったのに、改善しようとした張本人が不衛生でデッドエンドとか笑えやしないのだ。
すぐさま『お取り寄せ』した未開封のミネラルウォーターのボトルをひねって開け、そのまま中身をぶっかけて傷口を洗う。
せめてもの救いは、今こうして残っているのが脇腹の傷だけで済んでいること、それに傷口を劣悪な環境下に置かないで済んだことだ。
押し寄せる激痛に顔を顰め、湧き上がってくる唸り声を食いしばった歯の間から漏らしながらも、俺は再び『お取り寄せ』したキトサンというバイオポリマーを使ったスプレー式の止血剤をぶっかける。
傷口に噴射された泡が血液細胞を固めて止血してくれるのだ。
しばらくの間、それで傷口が塞がっていくのを確認しながら、固まったと思ったところで傷口を包帯でぐるぐる巻きにする。
まぁ、どうにも魔法が使えない以上、あまり傷口を残したくないのもあるため適切な治療方法を行ったとも言える。
一応、俺は貴族の身分にあるのと、跡でも残ろうものなら家族たちが心配するのでこういう処置をとっておいた。
特にベアトリクスは、不意打ちから自分を庇って受けた傷だと思っているだろうから、傷跡が残ってしまうとひどく気に病んでしまいそうなのだ。
俺としては、命に別状はないのだからあまりそういうところを気にして欲しくはないのだが、どうも考え方の勝手が違って困る。
「クリス、大丈夫……?」
横合いから心配そうに覗き込んでくるベアトリクス。瞳にはかすかに涙が浮かんでいる。
言ってるそばからそんな顔をしやがって。……まいったね、これは。
「――――平気だ。コレなら銃弾を撃ち込まれる方がよっぽどキツいぞ」
「額に脂汗を滲ませて言っても説得力ないし、比較対象が物騒過ぎるわよ……」
軽口でも叩こうと思ったが、無理矢理引きつったような笑みを浮かべるのと途切れ途切れの溜息を吐くので精一杯だった。
早速、再生しようと活動を始めている細胞により傷口が熱を持っているせいか、さっきから全身に汗が浮かび上がっている。
戦闘でかいたぶんも含めるとひどく不快だが、今は我慢するしかない。
――――さて、そもそもの話、どうしてこうなったのか。
それは半日ほど前に遡る。
ぱっと見た瞬間から、俺はその少年がこちらの人間ではないとわかった。
では、どこでわかったか?
要因としては大きかったのは、この世界では見かけることのない黒髪黒瞳の見た目だが、それ以上に異彩を放っていたのが『目つき』だった。
人権もへったくれもない、もうちょっと間違えたら時はまさに世紀末なこの世界で、まず人を疑って見る処世術も同然な“探るような視線”が微塵も感じられなかった。世の中を甘く見ていると言い換えてもいい。
そして、こういう目を俺は前世の日本でよく見かけていた。
――日本人は異世界の神に大人気なんだな。
内心で皮肉る。
平行世界からも人が来るくらいだし、そのうち国ごと転移してきたりはしないだろうか? そんな世界があったらご愁傷さまと言ってやろう。
とりとめもないことを考えながらも、俺は久し振りに会うことのできた新たな同胞に対して、どうしても自分から声をかける気にはなれなかった。
それは最初こそ勘だったかもしれないが、少しばかり観察している間に確信へと変わった。
この少年には、あまりにも違和感が多かった。
まず第一に、その少年はサダマサのように、突然この世界に何の前触れもなく、ただ放り出されるが如く転移させられたままには見えなかった点が挙げられる。
見たところ、中学生か高校生の間くらいかといった外見で、身長は170㎝に届かない程度だ。
幾分か大きめに見える瞳を持ち、その目尻はやや垂れている。
元々は大人しい性格をしていたんだろうなという顔付だ。ナメられやすい顔とも言える。
タチの悪いヤツがクラスにいたりすると、いじめられたりしそうに見えないこともない。時折“警戒心のこもった視線”を向けられるのはそれが原因かもしれない。
――イヤな目だ。
少年と形容できる年齢ながら、人選すら厳しそうな依頼に就ける冒険者として登録されているのだから違和感ありまくりだ。
それ加えて、身なりも黒色が中心といささか趣味に不安を感じるものの、異世界出身の人間とは思えないほどにしっかりとしている。
またふたつ目としては、『奴隷』と思われる首輪を着けた、それでいて身なりはそれほど悪くない少女を従者のように連れていた点。
……こりゃほぼ確実に支援してるヤツが存在するな。
まぁ、聖堂教会本部で加わる護衛が、教会の息のかかっていない者であろうはずもないのだから、それも愚問である。
「どうしたの、クリス?」
「いや……なんでもない」
ちょうどそこで、復路の準備が整ったのかこちらへ歩いて来たベアトリクスに声をかけられ、俺はそいつに視線を送るのを止めにした。
「あ、もしかしてあの人が連れてる奴隷が気になったの? 前々からクリスは奴隷に興味無さそうだったから意外ね」
何やら含みを持ったベアトリクスの声に、俺は本心からの苦笑を浮かべる。
正直、見当違いの勘繰りではあるのだが、ナチュラルな反応をしてくれれば、俺がその日本人と思われる人間に視線を向けていても怪しまれることはない。
「そうじゃねぇよ、ビーチェ。俺は奴隷なんて要らないけど、買うにはちょっと先立つものが……な?」
「ちゃんとお金を貯めないからよ」
溜め息を吐いて窘めるような喋り方になるベアトリクス。
俺の言葉が冒険者としてのものであると理解したため、彼女もこちらに合わせようと演技を始めたのだ。
「耳が痛い話だよ」
さて、文明のレベル的に必然なのかもしれないが、この世界で奴隷は割とありふれた存在だ。
奴隷の売買が国の税収の一部を担っている面もあり、扱われる奴隷のランクもピンキリである。
貴族など社会的地位を持つ者のステータスとなることもあり、それなりに余裕のある貴族――――男爵以上の爵位を持つ者なら奴隷を所有していて然るべきと言ってもいい。
だが、少なくともアウエンミュラー侯爵家では、家内で奴隷を使ってはいなかった。
元々、盛大に傾いた家を建て直すために余裕がない中で、ヘルムントはついて来てくれていた家臣団たちを重用しており、それ以外の使用人も領民の中からなるべく偏らぬよう雇い入れていたからだ。
そもそも、奴隷はあくまでも何らかの理由でその身分に落ちたものであり、いかに専門的な能力を持っていようとも強制的とも言える雇用関係を結べただけで忠誠心に疑問が残る、というのがヘルムントの考え方であり、それには俺もおおむね同意をしている。
また、上記の理由に加え、現在アウエンミュラー侯爵領で進めている知識伝達に基づく産業の発展および工業化のためには専門知識が必要となるが、であるならば尚更奴隷といった曰くつきの物件をチョイスする必要はなくなる。
別に地球時代の人権意識を持ち込んだわけではなく、金で買った立場の中で付き合いが生まれたとしても、それは所詮仮初の関係にしかならず信頼には結びつくものではないと思っていたからだ。
まぁ、こういう風に思えるのも、心を許せる家族や仲間に出会えたのが大きいのだろうが。
しかし、あの少年が連れている奴隷は、いったい誰が選んだものなのだろうか。
先ほどは『首輪をした少女』と言ったが、正確に言えば『首輪をして犬のような耳と尻尾を生やした、見た目は限りなく人間に近い少女』だ。
髪の毛と同じ茶色の耳と腰の下に揺れる尻尾をちゃんと見なければ、俺のような異世界人にとってはヒトと大差なく思ってしまう。
俺自身は初めて見るが、きっと彼女のような身体的特徴を有する種族が獣人となるのだろう。
見ていた限りでは、その獣人の少女は何とか気に入られようとする媚びるような目を少年に向けており、そこから何となく支援者が少年に向けて買い与えられたというイメージを受けた。
買い与えた方としては、ご機嫌取りでもしておけば自分たちの思い通りに動かせると目論んでいるだろうし、最終的に共依存でもしてくれれば万々歳だと思っているに違いない。
まぁ、思春期真っただ中で鬱屈した衝動を抱えていそうな少年には、異種族とはいえ異性と共にいるのはさぞや強い刺激になっていることであろう。
はっきり言って、あまりにもイイ趣味だ。不愉快過ぎて反吐が出そうである。
もちろん、その対象は少年と買い与えた人間の両方に対してだ。
奴隷は別にいい。この世界では常識のもので所有するのも個人の自由だ。
だが、身体ひとつで見知らぬ世界に放り出された異世界人を、ローコストなエサを与えて掌の上で転がしてやろうという思惑が透けて見え、自分まで舐められているように感じられて気分が悪い。
一方で、自分に向けられている奴隷からの捨てられまいと必死の作られた好意に気付かず、あまつさえそれが無条件のものだと勘違いしてノンキな笑みを浮かべている少年も、負けずとも劣らないアホだ。
「まぁ、眺めていても自分がみじめに感じられるだけだな。さぁ、帰りの準備をしよう」
「これに懲りたらもっと倹約することね」
結局、俺はソイツらにはできるだけ関わらないようにしようと決めた。
こういうどう見ても政治が絡んでいる件に、興味本位や感情先行で深入りするとロクなことにならないと思ったからだ。
とりあえず、新任の大司教がどういうわけか帝都に異世界人と思われる少年を連れて行こうとしている、コレだけを頭の片隅に入れてとりあえずは護衛の任務を無事に果たそうと思考を切り替えた。
思えば、コレが最初の間違いだった。
そこで深く気にしなかったことで、俺は腹に要らぬ穴を開けられかけ、こうして押し寄せる痛みに耐えながら脂汗をかいているわけだ。
だが、仮にもう少しだけ彼らに興味を持っていたとして、果たして俺に予想できただろうか。
往路の7割くらいまで差し掛かったところで、少年の連れている奴隷の少女が、突如としてベアトリクスへ向かってダガーを抜いて襲い掛かってくるなど。
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