第65話 勝手に相続したっぽい遺産



 光を失った牛の瞳孔を晒していたミノタウロスが、本来の姿を思い出したかのように魔素の塵へと還り始める。

 それを見て、俺はようやっと残心を解き、小太刀と小脇差を鞘に仕舞うことができた。


「はぁ……」


 そして吐き出される、呼吸を我慢していたのかと錯覚するほど長い溜め息。

 酸素が身体を巡るのに合わせて、堰き止めていた緊張までもが押し寄せ、心拍数が急激に上昇していく。


「クリス!」


 駆け寄って来るベアトリクスの額には、戦いの一部始終を見ていたからか緊張の汗が滲んでいた。

 その顔を見れば、次に何を言いたいのかまでわかる。気が気じゃなかったといった感じがまるわかりだ。


「いくらなんでも無茶が過ぎるわよ!」


 間近で怒鳴られて、一瞬聴覚が機能をシャットダウンしかける。

 地下の閉鎖環境で出されたものだから鼓膜に響く響く。


「おいおい……。勝ったんだからそう怒るなよ」


 茶化すように言うと、ベアトリクスはほんの少しの間だけ押し黙る。

 これはまた怒りに触れてしまったかと身構えながら思うと、次の瞬間あろうことかいきなり俺へと抱き着いてきた。


「バカ! 負けたら死んじゃうじゃない! そしたら怒れないでしょう……!」


 それもそうだ。

 ただ見ているしかできなかった不安からだろう、未だに震えている声が耳朶を打つだけでなく、密着している身体を通して伝わってくる。

 もしかすると、俺の高まった心音もベアトリクスに伝わってしまったかもしれない。


「「…………」」


 無言の時が流れる。

 ……さすがに気まずい。


「……悪い。心配かけた」


「もう、バカ……」


 なんにせよ、要らぬ心配をかけてしまったのは紛れもない事実だ。

 それ以上の軽口はやめて、俺はベアトリクスの気持ちが落ち着くまでそのままでいてやることにした。






                  ◆◆◆







「で、この扉の向こうが最深部か」


 気が済むまでベアトリクスにくっつかせた後、俺はミノタウロスの落としたハンドボールくらいある特大の魔石を抱えつつ、何やら文字らしき謎の文様の刻まれた扉の前でどうしかものかと悩んでいた。


「そう願いたいところよね」


「うーん、できれば断言して欲しい」


「わたしにわかるわけないじゃない。まだ続くようなら今度こそ帰るわよ」


 もしもこの向こうに、ミノタウロスと同じかそれ以上のヤツがいたりしたら、さすがに俺も帰りたくなると思う。そして今度はサダマサを連れて来る。


 アレでラストだと思ったからこそ、少し無理をしてでも全力の勝負に出たのだ。

 限界突破して散々無理をいわせた身体の随所が、さっきから休ませてくれと悲鳴を上げている。


「とはいえ、いつまでもこうしているわけにもいかないよなぁ」


「そうね。他の冒険者が来ちゃうとまずいし」


 さっさと奥に進んでしまわねば、余計なトラブルを招くことになる。


 冒険者なんて、結局は功績競争の世界だ。

 大きなチャンスが転がっていたら、誰だって普段はあり得ない行動に出る。

 それも、こんな長い間攻略されていないダンジョンが踏破される直前でそれをやった連中がモタついているとなれば、いかに『迷宮騎士』が相手でも短慮を起こす冒険者が出ないとも限らない。


「いくか……」


「どうしたの? あまり気乗りしない感じじゃない」


「こんなことを口にしたら、多大なる顰蹙を買いそうだが、べつに俺は冒険者として立身出世をしたいわけじゃないからな。ちょっと今回はやり過ぎたかなと思ってさ」


 世間一般ではダンジョンの守護者撃破ともなれば宝くじに当たったような状況だ。それがイマイチ気分が乗ってこない。


「ちょっと今さら過ぎない? 修行がてら潜っていたんだから、さっきのミノタウロスと戦ってみたかったとかそんなのよね?」


「うぐっ」


 冷静になればそういうことだった。我が婚約者殿にはすっかりお見通しである。

 残っているのは、戦いを終えた後の高揚感くらいだった。


「もういいわ。クリスのそういう行き当たりばったりなところに驚いていたらキリがないし……。先を急ぎましょう」


「あー、うん」


 自分でも締まらない感じだなとは思いつつも、とりあえず先を急ごうと俺は扉の取っ手と思われる部分に手をかける。

 すると、生物の魔力を感知する形式なのか、刻まれた文様に緑の光が走り、扉がひとりでに開いていく。


 魔力式の自動ドア?  ……いや、これって間違いなくそうだよな。


 脳内であまり考えたくない仮説が組み上がっていく。


「ココがダンジョンの最深部……」


 そんな俺の思考も、ベアトリクスの声で中断させられる。


 いや、今はやめておこう。考えるだけなら後でもできる。

 まずは部屋を調べ上げてダンジョン踏破をギルドに報告するのが先だ。


「クリア」

「――クリア」


 銃を構えて警戒しつつ踏み入れた部屋は、それまでの洞窟状に掘られたものとはまるで異なる空間が広がっていた。

 まるで大理石でも貼り巡らせたように綺麗な壁面と、それに見合うよう整えられた部屋の四隅を見るに、これは生物が中で動き回れるよう不自由がなく設計されている見て間違いない。

 部屋の中央部には、大きな――バスケットボール大の魔石が、同じく大理石で作られた台座のようなものに鎮座させられているではないか。


「こんなに大きな魔石、帝室が保管しているものでも見たことがないわ……」


 ベアトリクスが感嘆の溜息を漏らすように、これだけの巨大な魔石は俺も見たことがない。


「これなら大掛かりな魔道具のコアにだって利用できるな。もっとも、そんなものがあればだけどな」


 それだけの魔石エネルギーを一度に使うような魔道具は、残念ながらこの世界には存在していないはずだ。


「使い道を決めるのはわたしたちじゃないけれど、安易に中身だけ吸い取って終わりって言うのは命を懸けて取って来た身からすればイヤになるわ」


 ベアトリクスが成果の行く末を予想したらしく溜め息を吐き出した。

 普通ならば冒険者ギルドで回収してから国に売られ、既に使用されて空となった小さな魔石にエネルギーを再補充する用途に使われる。

 資源の無駄遣いとしか思えないが、それしかできないのだから仕方ない。


 一応、魔法大学などでは、こうした巨大な魔石をコアとして動く魔法機械を開発しようとしているらしいが、成果は今のところ寡聞にして知らない。


「何か革新的なものでも見つかればいいんでしょうけど……。そういう知識はクリス、持ってないの?」


「魔法なんて存在しない世界から来たんだぜ? 一朝一夕に思いつくものじゃないよ」


 文明の進展速度が著しく遅いこの世界において、魔石はなんとか文明レベルが後退するのを防いでいるヒト族の戦略資源と言ってもいい存在だ。

 いつぞやも言ったように、魔法が汎用性のない技術の域を出ない以上、機能を指定さえすれば魔道具は再現性の高い働きをしてくれる。謎のオーバーテクノロジーから魔法が基本的に苦手と言えるヒト族が受けている恩恵はとてつもなく大きい。

 この技術と、タイミングよく異世界から現れる『勇者』により、幾度の魔族との大規模な戦いを経ても、何とか人類は平均して中世レベルの文明を維持しているのだ。


「そうよねぇ……」


 悩むベアトリクスには悪いが俺はすっとぼけていた。

 簡単に言えば魔石を各種動力源とすればいいだけなので、用途が思いつかないわけではない。しかし今は侯爵家の発展が最優先なので注ぎ込める人的資源がないのだ。許しておくれ。


「それよりもこの魔石や“ダンジョン”ってどこから来たものなんだ?」


「え、創造神様によるものではなくて?」


 ベアトリクスは疑問に思わなかったらしい。


「うーん、おそらくは違うと思うんだよなぁ。これは誰だって得られる利益だろ? 『勇者』に関係ないものにそこまで手の込んだことをするかな」


 魔石は手に入れた者全てに恩恵を与える、いわば普遍的なモノだ。


「でも、『勇者』様がダンジョンに潜る可能性も低くはないわよね?」

 

 貴族が実績を欲して『迷宮騎士』となるように、この世界に召還された『勇者』が能力を開花させるためのパワーレベリングに使われるかもしれない。


「わからんでもない。ただ世界各地にあるなら用意に手間がかかり過ぎてる。どこに『勇者』が現れるかわかるなら、その周辺だけで足りるはずなんだ」


 RPGじゃあるまいしステータスはおろかレベルという数値をデータ化する概念のないこの世界にわざわざ用意するしては手がかかり過ぎている。


「じゃあ、クリスはいったい誰の仕業だと言いたいの?」


「誰かはわからんよ。俺だって創造神にしか会っていないし。……いや、待てよ。目的は既に達成されているんじゃないか……?」


「どういうこと?」


 ベアトリクスが周囲を見渡しながら問いかけて来た。


「形は違うが俺がもといた世界には、大地の中からエネルギーを取り出す方法があった。細部は異なるが、それをこの世界に当てはめると説明がつくんだよ。大地深くまで領域を拡大しつつ、最深部で魔石を発生させるだけのエネルギーを効率よく回収するためと考えればな」


「じゃあ、あの魔物は……?」


「仮説だが侵入者撃退用のシステムだ。魔石化してまず外に出ないとなればこれまた説明もつく」


 ひとたび発生すれば、回収用の魔石を生成するのと同時に、体内に魔石を含む魔物を作り上げて侵入者対策として用いているあたり、これはひとつの魔石を資源として確保するためのシステムだ。

 本来のセキュリティ条件を満たしていないために、冒険者が魔物を倒して最深部まで進む必要があるだけで、本来はこんなややこしいものではないのではないか。


「誰がこんなものを……」


「さてね。ただ、わからないことはどれだけ考えてもわからない」


 結論を出すのは諦めた。

 誰がこんなものを作ったのかなど簡単にわかるはずもない。この先を推測するための情報も足りていない。

 少なくとも、今この星には存在していない何者かだろうが……。


「とりあえず帰ろう。あと、間違ってもこの魔石の話は誰かにもするなよ?」


「万が一にでも信じる者が出るとまずいってことね」


「そういうこと。こんな推論を広めても荒唐無稽な話と一蹴されるのがオチだが、もしものこともある」


 今の人類に管理者権限がないとわかっても別に何が変わるわけでもないし、精々で酔狂な考古学者を喜ばせるくらいの価値しかない。

「とりあえずは、親父殿や公爵閣下には知らせておくよ」


 共犯者たちには伝えるとして、後は胸の内に秘めておく方が良いだろう。

 まずは戻ってギルドへ報告をしなくてはならないことだし。


「よーし、じゃあこの特大の魔石と途中の通路にある照明用の魔石を回収しながら地上に戻るぞ。戻ってからが大変になりそうだからな」


 地上に戻った途端、とんでもない大騒ぎになったのは言うまでもない。

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