第64話 スペインの闘牛は衰退しました~後編~


「…………」


 手負いのミノタウロスは黙したままで、こちらの安い挑発には乗らなかった。


 俺が見せた隙を好機とは見ず、油断なくこちらを睥睨している。

 自身にとって必殺の連撃を回避したばかりか、手傷まで負わせてきた相手に油断はしていないようだ。


「ベアトリクス、手は出すんじゃないぞ」


 俺への援護を行うためにP-90の銃口を向けていたベアトリクスを制する。

 接近戦の中でいつの間にか彼我の立ち位置が変わり、ミノタウロスは背後を晒していた。


「わかった」


 一瞬、不満げな表情を浮かべたものの、決して無意味な制止ではないと気付いたのか、ベアトリクスもすぐに銃口を下ろした。

 面白くなってきた戦いに水を差されたくない思いは強かったが、何も制止したのはそれだけが理由ではない。


 決して広くはないこの空間では、射線もおのずと制限される。

 下手に互いの場所が離れた状態で援護射撃をされた場合、俺の方へ弾が飛んでくるだけではなく、壁にでも当たった場合に跳弾の恐れまで出てくる。

 鎧を纏っていない俺にとっては避けたい事態だった。


「そっちに向かわれると対戦車兵器を出さないといけない」


 ミノタウロスのターゲットがベアトリクスに向いてしまう恐れもある。

 やぶれかぶれにでもなられたら耐久力に優れるミノタウロスを止める手段は限られる。崩落覚悟でパンツァーファウストを撃つ羽目になるだろう。


「来ないなら行くぞ!」


 返事は期待していなかった。ただヤツの気が変わらないうちに片付けなければならないのだ。

 呟くように言い放ち、俺はミノタウロスへ突っ込んでいく。


 コイツも、他の冒険者とは違う俺の軽装については理解しているのだろう。


 ――そのような恰好で挑んでくるとはなんという迂闊か、思い知れ。


 そう言わんばかりに、再び拳が俺の頭めがけて振り下ろされる。

 ずば抜けた動体視力で、動き出した俺の勢いに合わせて、完全に頭頂部にブチ当てるつもりで狙いに来ている。

 いい一撃だった。

 これなら軌道修正などせずとも直撃コースだ。予定通りに当たれば俺は綺麗に潰れたトマトになれるだろう。


 これには死を覚悟するしかない。……普通ならそうなるだろう。


「狙い通りになると……思うな!」


 負けるわけにはいかない。

 必殺の一撃に抗うべく、俺は逆袈裟懸けの一撃をぶつけてやる。

 もちろん、小太刀程度の武器と成人に及ばぬ膂力で、強靭な肉体を持つミノタウロスに対抗できるわけはない。

 サダマサから学んだのは、力に力で対抗するような戦い方ではなかった。


 迷うな。見極めろ――


 極限の集中状態に自分で自分を追い込む。

 腕が自分目掛けて降って来るタイミングに合わせながら、左足を斜め前方へ動かして軸とする。

 そこから更に右足を引いて半身。拳の軌道上からほぼ脱しながら、左手を峰に添えて小太刀の鎬と腕の側面が触れるか触れないかのところで少しだけ押し出してやる。


 刀身と固い手甲が擦れ合う音と、生じた火花がダンジョンの空間に散り、間髪入れずに俺の身体のすぐ右側を両腕の巨大な質量が通過。地面に叩きつけられる。


 仕留めるつもりで勢いをつけすぎたのだろう。一撃に懸けたつもりは見事だが生まれた隙はあまりにも大きかった。


 好機!


 逆袈裟懸けに振るった勢いのまま、円を描くように小太刀を後方へ移動させ、勢いに乗せて上体を一旦引く。

 新たな軸となった右足で勢いをつけ、左足でもう2歩分一気に踏み込み。完全にミノタウロスの側面を取り――


「シィッ!」


 左手で腰に予備として差していた一尺二寸の小脇差を逆手で抜いて、鋭く息を吐き出しながらミノタウロスの腕の内側を掬うように斬りつける。


 再び噴き出す血と共に、ミノタウロスの口から苦鳴が漏れる。

 それのみならず、薙ぎ払おうとした右腕が言うことを聞かず、更にバランスを崩したのか大きくよろめいてしまう。


 俺の狙いはこれだった。


 人間とほとんど同じ姿をしている以上、手の甲には腱が、同じく腕には神経が走っている。そこを斬られると、たとえ浅手でも指や腕を動かせなくなるのだ。

 今回は斧を持っていないため使わなかったが、たとえばナイフを用いた近接戦闘では、相手に手の甲を見せないように空いている掌を突き出すようにしてガードを固め、武器を握る方の手を後ろに引いて構える。特殊部隊などで多く見られる近接戦闘術の構えだ。ヤツが最後まで斧を手放さなかったら使うつもりだったが、なかなかどうしてこの牛は運がいい。


「いい加減諦め――ねぇよな!」


 突然の右腕の機能停止に戸惑いを隠せないミノタウロス。

 それでもなんとか左腕を使って俺に一撃叩きこもうと、太い腕で地面に縫い付けるような平手の一撃を喰らわせようとしてくる。牽制でも良いから時間が欲しいのだろう。


 すさまじい執念だが、それも俺の狙いの範疇にあった。

 正面を向いて腕を伸ばしたタイミングに合わせ、フリーになっていた右手の小太刀を掲げ腕の下に入るように抜ける。

 残された最後の攻撃手段――左腕の内側を一気に切り裂き、動脈までも深々と切断する。


「ウブォッ!?」


 立て続けに起こった身体機能自体を潰す未知の攻撃に、ミノタウロスの口から驚愕が漏れる。


「おまえ、慢心したんだよ」


 急所を守るために板金鎧こそ着こんでいるが、それも基本的には胴体と肩部分までだ。特に関節部は、戦う際の動きを大きく制限するために生身の部分がかなり露出している。

 防具さえあれば敵の攻撃を受けられるものではない。身体能力に優れ、幾多の侵入者をことごとく討ち取ってきた戦績ゆえに自身の弱点に気付かないままだったのだ。


 相手が並みの冒険者であれば、今のままの戦い方でも問題はなかったはずだ。

 人体のどこを攻撃すれば軽微な一撃でも、肉体の働きを著しく低下させることが可能か知る者がほとんどいないのだから。


「逃げはしなかったが、


 一方の俺は、体格を含めて身体が未だ完全に成熟しきっていない。そのため頭部・頸部・心臓などの急所を狙う戦法が無理だと理解していた。

 この時点で、戦いの方向性は決まっていたようなものだった。


 あとは、俺がミノタウロスの速度に追随して、攻撃を回避できるかどうか。その上で行動力をじわりじわりと奪えるか。それだけだった。


 かくして、ミノタウロスの攻撃手段はなくなった。

 残るは体当たりと蹴りくらいだが、前者は一度回避されれば受け身も取れず地面を這うことになるし、後者でもこれまでと同じように腱を狙われれば今度こそ立てなくなる。


 腕が思い通りに動かないということは、身体のバランスも取れなくなっている。それでいて、速度も威力も十全に発揮することはできない。先ほどまでに比べれば、回避することは何ら難しいことではなかった。

 まさに生身に近い知能・身体機能を与えたが故に生まれた“弱点”であった。


「ブォォォ……ッ!」


 最早勝ち筋はないと気付かされたかミノタウロスは恨めしそうにこちらを睨みつつ、一旦下がって体勢を立て直そうとする。


 しかし、遅い。俺はとっくに撃ち込める状態になっている。

 既に動き始めた俺を追うミノタウロスの目は劣勢を悟ってこそいるが――まだ死んではいない。


「油断したら押し返されそうだな……! 終わらせようか!」


 ここで守ったら――いや、下手に日和っては負ける。

 生き残るのではなく相手を倒すことのみを意識に置き、いつもより遥かに深く、それこそミノタウロスの間合いの内側へ潜り込むように、強い踏み込みをかける。

 自分の限界を超えた行動だったが、同時に必殺の一撃を叩き込むには避けられない行動でもあった。


「ブォォォォォォッ!!」


 もちろん、相手も黙ってやられてはくれない。

 威嚇するような雄叫びを上げながら、残された全身を使い肉体をぶつけようと突っ込んでくる。

 しかし、それも最初からは考えられないほど、苦し紛れで速度も遅いやぶれかぶれのものでしかなかった。


 そう、コイツは怯んでしまった。


「おまえ、“恐怖”を覚えたな?」


 問いかけた俺の口元はきっと大きく歪んでいたに違いない。


 屈み込みながら自分目がけて襲い来る巨体の動きを見極め跳躍。相手の鼻先を掠めて真上に躍り出ると、右手に握った小太刀を真下へ突き下ろす。

 強度こそ正面からの打ち合いをするロングソードなどには及ばないが、打ち刀特有の刃に備わった切れ味はそれらとは比較にもならない。

 するりと潜り込んだ刃は、脳天を易々と貫通。びくんと一瞬震えた後に、ミノタウロスの眼球をあらゆる方向に躍らせた。

 完全に殺しきるために、刀身を傷めない程度に再度深く突き込み、引き抜くと同時に再度牛の頭を蹴りつけて後方へと抜ける。


 着地と同時にミノタウロスは鈍い音を立てて壁に突っ込んでいた。

 振り返らずともわかる。牛の魔物は既に死んで――いや、機能を停止していた。



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