第63話 スペインの闘牛は衰退しました~前編~
「え? ちょっと待って、クリス!」
ベアトリクスにHK416を渡し、投げかけられる制止の声を無視して俺は駆け出す。
一瞬だが、怯まずに動き出した俺の姿を見て、
かかって来いということか。
どうも普通の迷宮魔物とはひと味違うようだが……望み通りローストビーフか牛丼かにしてやろうじゃねぇか!
間合いを詰めるこちらの疾走を平然と眺めがら、ミノタウロスは巨体に見合わぬ機敏な動作で両手斧を右手で掴み、軽く宙に放り投げる。
胸の位置にまで来たところでそれを再び掴み、軽く掲げるようにすると腰を落としながら手首をぐるりと返して戦闘態勢に移行。
なるほど、迎撃狙いか。
「だったら突っ込む!」
既に掴んでいる小太刀の柄を軽く握り、そのまま待ち構えているミノタウロスの間合いへ侵入する。
バカめ。
牛の荒い鼻息が、そう言っているように聞こえた。
もしかすると俺の考えなしとしか思えない行動を見て、本当にそう笑ったのかもしれない。
「ブォウッ!!」
渾身の一撃を繰り出すための気合いか。
首筋に生まれたチリチリとひりつくような感覚に、本能が「受けるな!」と全力で警鐘を鳴らす。
直感でわかる。半身の捻りを伴って繰り出された、木剣でも振るうような横薙ぎの一撃は、見た目からは想像しきれない破壊力を秘めている。
「クリス!」
ベアトリクスが叫んだ。彼女も理解したのだ。
あの巨大な両手斧の質量を振り回せるだけの膂力は、単純な破壊力だけで見ても冒険者の板金鎧くらいは易々と破壊してのける。
「わかってる!」
姿勢を低くして直撃コースから一段下を潜り抜けることを狙いつつ、俺はタイミングを見計らって抜刀。
左側から襲い掛かる斧の刃先を、小太刀の弧を描く鎬部分で掬うように持ち上げながら滑らせて無理なく斬撃の軌道を逸らす。
「残念だが、ホームランボールにはなってやれないんでね」
俺は一度後方へ引く。ミノタウロスからの追撃はない。肉体を動かす速度だけで言えばこちらの方が勝っている。
「うーん、まともに戦ったら死ぬわアレ」
「そうでしょうとも! 見ていて冷や冷やしたわ……!」
ベアトリクスが泣きそうな顔で出迎えた。
一撃でも浴びれば軽装の俺は死ぬ。いや、仮に鎧を身に着けていたとしても結果は同じだ。
唸りを上げて迫るミノタウロスの斧は、減衰することなく鎧の向こう側にある肉体へと破壊の力をダイレクトに伝えてくる。
頑強な盾を持っていて踏ん張れてもそこまでだ。並の人間がここまで強力な一撃を真正面から受け止めればどうなるか。衝撃だけで盾を持つ腕ごと機能を破壊されかねない。魔力による肉体強化を身に付けていなければ、ほぼ確実に一撃で腕の骨は粉砕骨折に追い込まれる。
「あの斧が曲者だな。受け止めるのは論外だが回避するにも一撃が速い……」
「わたしの牽制射撃で隙を作り出すのは?」
「オーガならそれで良かった。だが、アイツは別格だ。たぶん通じない」
あれだけの一撃を瞬間的に放てる動体視力まで持っているのだ。身を守る鎧で弾き、関節などを狙っても斧で防いでくる気がする。
それに最初の一発だけを防いだら攻撃が終わりと考えるのは楽観に過ぎる。
先手を切り抜けても、続く同様の一撃が今度こそ致命傷を与えてくるに違いない。
「引き付けるのもダメなわけ?」
「振り回した腕でも一撃浴びたらほぼアウト。そのくせ戦士の動きを理解している気配がある。正面からだとサダマサでもいないと倒せないぞアイツ」
様子見をした程度だが、あのミノタウロスには『戦士の技』がある。
まさに、オーガのような鈍重なタンクとは一線を画す『戦士殺し』と言えた。
「やっぱりここは退くか、クリスの武器で……」
「それだと俺は強くなれない」
ベアトリクスの提案を退けた。
サダマサでなければ倒せないと言ったのはあくまでも正面からの場合だ。戦い方次第ではどうにもならない相手ではないと俺の勘が告げている。
幾多の冒険者たちが餌食となった死亡パターンも、コイツの攻撃をまともに受け止め、相手の間合いで戦おうなどと考えたからだ。
「まぁ見てなって。今の間ですこし勝機が見えた」
狙うのはここからだ。俺はふたたびミノタウロスへと距離を詰めていく。
「…………!?」
ミノタウロスの牛の顔に、それまで存在しなかった驚愕の色が混じったのを俺は見逃さなかった。
相手の速度を殺してダメージを与えるだけなら、逃げ場をなくした上で斧の一撃ではなく、面積の大きな部分でぶっ叩いてやれば済む。
これでダメージを蓄積させ、相手が走り回れなくなったところで、上段からの一撃で真っ二つ。これで終わりだ。
万全を期すなら、空いた腕で一発ぶん殴るなどの工程を入れてもいい。凌ぎきるだけの技量のない相手ならほぼ確実に仕留められる。
「見た目派手な大技だけが戦いじゃないんだよ!」
実戦は与えたダメージを数値で計れるようなものではない。
言い換えれば、一定以上の数値を一度に叩き出すのではなく、小さな数値の蓄積でいいから相手よりも早く致命傷まで重ねればいいのだ。
再び空気を押し退けながら迫るミノタウロスの斧。
必殺の一撃を先ほどと同じく受け流すように躱した上で、俺は覚悟を決めて相手の腕の下へ飛び込んだ。
鞘へ戻す途中の刃で相手の軸足――右足の大腿部を撫でるように斬りつける。
「ヴォウ!?」
ミノタウロスから明らかな
脚は生物における第2の心臓とも言われ、深めに斬ってやると問答無用でポンプのように血が噴き出す。ミノタウロスが失血死する量はわからないが、相手の再生能力が人間程度ならこのままでも勝てる。
「濃密な魔素で構成されたヤツは血まで噴き出るのか、面白い発見だな」
間合いの外に抜け出た俺は物足りないぞとばかりに軽口を叩く。
「ヴォォォォォッ!!」
ミノタウロスが空気を震わせるほどの咆哮を上げた。
「ゴヴォウッ!!」
軽口がヤツの逆鱗に触れたか、向こうからこちらへと仕掛けてきた。
「――! 伏せろ、ベアトリクス!」
俺の予想をはるかに越えてそれまでの敵とは違う行動に出た。あろうことかミノタウロスはこちらに攻撃を仕掛けながら大胆にも両手斧を右手から放したのだ。
ダンジョンの通路の幅はそう広くない。巨大質量が飛んでいけば避ける隙間も限られる。
ヤツが狙った先にいたのはベアトリクスだった。
「ひゃああっ!?」
持っていた武器を投げ捨ててベアトリクスは横へ跳ぶ。
気取られないようにしていたため、思ったよりもミノタウロスの狙いが甘かったのも幸いした。高速回転した斧は彼女の身体のかなり上の方を通って壁に突き刺さる。
「無事か!?」
「な、なんとか!」
彼女がまったくの素人だったら危なかったかもしれない。自分の窮地よりもずっと冷や汗が出てくる。
最低限の安否が確認できたなら悪いが後回し――次は自分の番だ。
「来るわよ!」
「承知!」
ベアトリクスからの警告に振り返らず俺は答える。
武器を捨てたミノタウロスはより高速で動けるようになる。
複数の冒険者たちを相手にしないで済むのなら、こちらの方がずっと身体能力を発揮できるのだ。
「グヴォウッ!!」
この短い時間の中で、ヤツは俺がどこにいるのか正確に把握していた。
瞬時に体勢を立て直したミノタウロスは、血が噴き出る右足など関係ないとばかりに踏み込んで来る。
膝をやや落として体重をかけつつ、半身をひねりながら裏拳打ちを繰り出してきた。
「喰らうか!」
拳による突きが使えない至近距離でも、腕全体のバネと手首の返しで相手に素早く一撃を与えられる即応性の高い技で、熟練格闘家の連携もかくやといわんばかりのコンビネーションは回避を許さない繰り出し方だった。
こりゃ技を持っていないヤツが相手したら間違いなく死ぬ。
だが――今それを選ぶのでは遅い。
「効いてきたな」
ミノタウロスの一撃は空を切った。牛の瞳孔が驚愕に開かれる。
そう、先ほど俺が入れた大腿部への一撃。
失血が本来発揮されるであろう速度を少しばかり、それでも戦いの中においては顕著な差を生み出す程度に奪っており、それが俺に回避だけでなく“後の先”を取らせていた。
しかし、踏み止まって間合いを取る。
ここから即追撃に移るのはあまりにも危険だった。
小太刀の一撃ではどうしても致命傷を与えることが難しい。
彼我の戦闘力の差は失血により縮まっているが、体格差ではこちらは依然不利。欲をかいては呆気ない死が待っている。
こちらはまだ手傷を負ってはいないのだ。焦る必要はない。
「このまま失血死させてもいいが――」
小太刀を構え直して俺はミノタウロスへ語りかける。
背中、あるいは尻尾に魔素の供給ケーブルでもついていればこうも余裕は持てなかっただろう。
一旦スタンドアローンとして動き始めたダンジョンの魔物は、機能を停止するレベルのダメージを負うか、一度『ダンジョンの意志』によって魔素に分解されるまでは受けたダメージが蓄積されるらしい。
まるでカードゲームのデッキのようだが、それが俺にとっての勝機となる。
殺せるだけのダメージを与えれば、勝手に死んでくれるのだ。
こんなにわかりやすい話はなかった。
「それじゃあちとつまらないよな。さぁ、続けようか」
言葉と共に小太刀の切っ先を向け、続けて挑むような笑みを飛ばす。
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