第57話 賑やかな日々


 ふと、なにか声が聞こえた気がした。


「おい、バカ!」


 注意が一瞬疎かになり、対面から警告の声が上がる。


「――ぐっ!」


 生じた隙を縫うように、身体へと迫った鋭い一撃が腹部を直撃。

 衝撃とともに呼吸が途絶して、俺は受けた勢いのまま後方へと吹き飛ばされる。


「……余所見をするな。実戦だったら死んでるぞ」


 呆れたような声が、必死で酸素を求める俺の耳に届いた。

 芝生の上に仰向けに転がったまま首だけ上げると、自分の金髪が視界に入ってくる。

 視線の先では、袋竹刀を持った長身の男が俺を見下ろしていた。


「サダマサの踏み込みが速すぎるんだよ。訓練で人を殺す気か」


 悪態をつきながら、俺は呼吸を整えてゆっくりと身体を起こす。

 右手の袋竹刀が握られていたのは幸いだ。これまで手放していたら、いったいなにを言われたかわかったものじゃない。


「何度も言っているだろう遊びじゃないと。三回に一回くらいは殺す気で打ち込んでいるんだ。万が一の場合もある、当たりどころには注意しておけよ」


「万が一があるならやるんじゃねぇよ!」


 ……訊かなければよかった。


 真剣同士でやらないだけまだマシかもしれないが、相手が達人級だったら袋竹刀でも十分な殺傷能力を持っている。

 それを知りながら容赦ない攻撃を仕掛けてくるのだから、はっきりいってまともじゃない。


「痛くなければ覚えないだろ」


「あのなぁ……。もうちょっと受ける側の技量を考えた鍛錬にはならねぇの?」


「そんな調子じゃいくら時間をかけても強くはなれない。“前世の気分”はさっさと生ゴミの日に出せ」


 小さな溜め息をともに、黒の髪と鋭い瞳を持った偉丈夫が聞き分けのない面倒な子供を相手にするような言葉を投げてくる。


「こっちはお前と違って成長期だってのに……」


 身長180cmを超える長身は一見細身に見えるが、その下に隠された鍛鋼のような筋肉により肉体は並みの騎士や冒険者をはるかに凌駕する。

 藍色の着物を纏う、時代劇から飛び出て来たような侍――サダマサ・クキ九鬼定正がこの世界での剣の師匠となっている。


「クリス。お前、筋は悪くないんだが、まだまだ注意力が足りてないな。後ろから狙われたりとか、そういう訓練もやっていこう」


「え゛っ」


「“敵は前からだけではない”と言うのは簡単だが、身体に覚え込ませるとなると時間もかかる」

 

 後ろから狙われるとかどこのサスペンス劇場だよ。

 そう思ったが、依然として手加減をしているサダマサを前に手も足も出ない上に、訓練で疲れ果てた今の俺には軽口を重ねる元気もなかった。

 それを今日の限界だと見たのだろう。


「課題は多いが追々やっていけばいい。嫌でも覚える」


 俺の技量の寸評をひとしきり並べると、サダマサは袋竹刀の切っ先を地面に向けて雰囲気を和らげた。


「そろそろ昼の時間だ」


 サダマサが背後を振り返る。

 俺も上半身を起こしてそちらを見ると、視界の隅で一瞬だけ小さな光が輝いた。

 色素の薄い金色の髪に青色の瞳。妹のイゾルデだ。前方に掲げた手のひらから氷の魔法を放っていた。


「精が出るねぇ。あらかたの属性は修得したんじゃないか?」


 サダマサの口調は俺に向けるものとは比べ物にはならないほど穏やかだった。この男、イゾルデには甘い。


「そりゃあ俺の妹だからな」


 聖堂教会の異端派がやらかし、俺がこの世界に対して本格的に介入する切っ掛けとなった誘拐事件から5年が過ぎた。

 イゾルデは、年齢も11歳の半ばも過ぎてその個性が身に現れてきたのか、顔立ちも少しずつ大人びてきたと周りの大人たちから言われるようになっていた。


 最初は俺も10歳を過ぎれば青年扱いされる早熟な世界限定の話だとばかり思っていた。

 ところが、事実が想像を凌駕するごとく、イゾルデは日に日に女らしさを増していっている。

 成長期なのものあってか身長は150cmくらいまで伸び、同年代と比べても少し高い。それでいて細身の身体に活発さと貴族としての品まで持ち合わせており、早くも類稀なる健康的な美貌の片鱗を覗かせ始めていた。


「そろそろ終わりにしないか」


 サダマサが声をかけると、気付いたイゾルデは魔法を放つのを止める。

 同時に、イゾルデの魔法の練習相手になっていた人物――――ティアマットもまた魔法を無効化バニッシュするために展開した魔法障壁を消してこちらを見る。


 はっとするような美人だった。

 ドレスを思わせる黒の衣服に身を包み、身長は170cmを超える長身。身体の線をこれでもかと主張する肢体は万人にとって目の毒だ。

 ビロードのような黒く美しい艶を放つ髪に特徴的な金色の瞳。

 絶世の美女にしか見えないが、これで中身は数千年から万年を生きる地上最強の生物神魔竜なのだからわけがわからない。


「なんじゃクリス。ずいぶんと派手にやられたものよのう」


「あいにくと俺は普通の人間なもんでね」


 なるべく乱れた息を感じ取られないように、俺は歩み寄って来たティアマット――――ティアに肩を竦めて見せる。

 バレているとは思うが俺だって男だ。これくらいの見栄は張らせてほしい。


「ふふ、そうじゃな。憎まれ口を叩きながらも、研鑽をしようとする様は見ていて退屈せぬよ」


 ふんわりと微笑んで、ティアがこちらに向けて手を伸ばしてくる。俺が見栄を張っているとわかっていてやっているのだ。

 ここで跳ねのけると途端に情けない男になるので、素直にティアの手を取る。


「さぁ、良き身体を作るためにも美味なるものを食べねばならぬな! ベアトリクスとも合流して昼餉ひるげとゆこうではないか!」


 俺を立たせながら笑顔を浮かべるティアと、その様子を同じくにこやかな笑みを浮かべて見ているイゾルデ。

 こういう他愛ない瞬間が、今の俺にはとても大切に感じられる。


「おいおい、自分が美味いもの食べたいだけだろ?」


 思わず皮肉を返すが、顔が笑っていることに自分でも気付いていた。


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