~第2章~少年よ大志を慎め

第56話 だいたいおんなじ毎日


 日常が終わるなんてあり得ないと思っていた。


 だいたい同じ毎日の繰り返し。

 決まった時間に起きて似たような朝食をとり、名前も知らない同じ顔ぶれが並ぶバスに揺られて学校に行く。


 僕はそれでも構わなかった。

 学生生活を送る中で、身の回り――特に自分自身に何か大きな問題を抱えているわけでもない。


「それでまぁまぁそれなりオッケーか……」


 授業中の教室にテロリストが乱入してきたり、空から凶悪な宇宙人の船が現れたり、あるいはクラスまるごともしくは学校ごと異世界に転移する……。

 そんな内容の小説や漫画はいくつか読んだけれど、そういった妄想に囚われるほどに憧れもしなかった。


「ミサイルが降ってくるわけでもないし」


 なんとなく空を見上げたりもした。そこにはいつもの風景があるだけで他には何も存在しない。


 中学を卒業して高校へ入学した最初の数カ月は、少しばかり期待したこともあった。

 環境が変われば何かしら変わるのではないか。新しい“何か”と出会えるのではないか――――と。

 そんな僕の期待は、すぐに代わり映えのない日々の中に埋もれて消えた。


 新鮮味がいつまでも続いてくれないのは、どんなものにも当てはまる。

 美人だって三日で飽きるというのだからおそろしい。美人と三日も一緒になったことはないのだけれど。


「ちょっとサボったらすぐにわからなくなるぞ。それが高校の――」


 日々変わっていくのは授業の内容くらい。

 もちろん、嬉しさなど微塵もない。

 成績が悪い方ではないつもりだけど、真面目にやらねばすぐに置いて行かれる。


「昨日の月9見た?」

「見た見た。あの俳優カッコいいよね~」

「それよりC組のアイツとアイツいたじゃん?」

「えっ、付き合ってんの? 詳しく教えてよ!」


 早々に学習カリキュラムについていくことを諦めた連中は、そんな挫折感を埋めるためか、似たような連中同士で集団を作っていた。

 教室の後ろの方に溜まっては、流行のドラマや音楽の話題、それと学校の誰と誰がくっついただの別れただのといった恋愛話に夢中になっている。


 そうした行動力を学業には割けないようで、彼らは俗に不良と呼ばれる者たちほど素行を悪くする度胸もない。それでも自分たちは違うんだと校内では精一杯の虚勢は張りろうとして、彼らのために割を喰らう人間が出てくるのだ。


「おい風間。おまえまたひとりで漫画読んでんのかよ」

「暗いなぁ。そんなんだから友達できねぇんだぞ」


 彼らのターゲットになったのは、ほとんど目立たない同級生だった。

 いや、目立たないからこそ選ばれたのかもしれない。


「うわー。高校生にもなってあんなことしてんのかよ」

「やめとけ。関わるだけ損だぞ」


 周囲の興味を引いたのも最初だけ。

 友だちと呼べる相手以外に関心を持つほど僕には余裕もなく、いつの間にか顔も名前も記憶からも消えていった。


 幸いだったのは、自分が被害者にも加害者にもならずに済んだことか。

 人の不幸を楽しむような趣味はなかったし、早々に人生を諦めに入った連中と関わり合いたくなかったのだ。これを加害者と呼びたいのなら好きにしてくれと思う。


 いくら平凡な人生でも、将来を左右する時期に馬鹿なことをして何十年先まで苦労するのはごめんだ。

 このまま高校で同じ毎日を繰り返し、目標にしている大学に入って4年で卒業できる程度に遊び、できる限り条件のいい企業に入るか公務員を目指して就職。

 あとは、今以上に代わり映えのない生活を少しでもマシにするだけだ。


 自分が恵まれていることくらいわかっていた。

 このご時世、世界を見渡せば各地で戦争や紛争やテロが起きている。そうでなくても日々の食事にありつけないほど貧困に喘ぐ地域がある。


 今まで15年ほど生きてきた中で、少なくとも他者に生命を脅かされたり、何日もまともな食事にありつけないことなど1度としてなかった。

 70億もの人々がひしめく地球では、わりと高い確率でそんな国に生まれてしまう。どれほど幸運か、自分なりには理解しているつもりだった。


 だから、だいたいおんなじ毎日でも、それで構わなかったのだ。

 たまに理由わけもなく空を見上げたりするだけで――――


「すっかり遅くなっちゃったな……」


 その日もいつものようにバスに揺られていた。

 遅くなったからかピークはとうに過ぎ、自宅近くまで走ってきたバスの中には自分と運転手、それとひとりだけ同じ高校の生徒が乗っているだけだ。


 ルームミラー越しに顔が映っていたので知り合いだろうかと思ったが、どこかで見たことがある程度の顔だった。

 時計の針はもうすぐ18時。胃が空腹を訴えている。もうちょっとの我慢だと数日後に控えたテストに備えるべく英単語のテキストを開く。


「otherwise......」


 必死に覚えたこれらが、今のところ人生の役に立った経験はない。

 会話をメインとした授業もないし、どうして学校では喋れるようにならない勉強をさせるのだろうか……なんて文句を言っても仕方がない。


「ちょっ! なんだ!」


 幾ばくかの社会への反発を感じながら新たな英単語を脳に刻み込んでいると、不意にバスが盛大にクラクションを鳴らし始めた。

 思わず顔を上げた先には、フロントガラス越しにタンクローリーが突っ込んで来ていた。


「うわあああああ!!」


 運転手の悲鳴と共に再度クラクションが響き渡る。

 タンクローリーの運転席のドライバーの顔は恐怖に引きつっていた。おそらくブレーキが壊れてどうにもできないのだ。


「うそ、だろ……」


 身体は動かず、呆然と呟くしかなかった。


 たしかに日々の人生に刺激を求めていた。

 でも、けして死ぬような目に遭いたかったわけじゃない。


 すべてがスローモーションに変わった。

 ガラスが割れ、車体が衝撃に耐えられなくなって変形していく中で、身体が宙に投げ出される。

 次の瞬間タンクローリーに閃光が生じた。

 猛烈な勢いで炎が迫ってくると思った瞬間、意識は白い光の中に飲み込まれた。






                 ◆◆◆







「……ん、ここは……?」


 ふと気が付いた時、僕は冷たい床に倒れていた。


 同時に生じたのは違和感。

 視線を向けると、右の手はロールプレイングゲームで見るような装飾の施された両刃の件を握っていた。

 動かそうとして重みと刀身の輝きを見た僕は直感で理解した。


「これは――」


 “本物”だと。


 でも何故? まとまらない思考に浮き出た冷や汗が額を濡らす。


 脳内を巡る困惑を余所に、意識だけは勝手にはっきりとしていく。

 人の“気配”を感じ――待って。今までそんなもの感じたことないぞ!?

 横を見ると先ほどのバスに乗っていた同じ制服の男子の姿があった。彼もまた僕とは異なる形状の剣を握っていた。


「これってもしかして……僕が選ばれたのか……?」


 小さく震える声が聞こえて来た。

 どういうわけだろう。彼は剣を見て歓喜しているように見える。


「おお、成功したようだな……」


 事態が呑み込めず困惑から抜け出せない僕の耳に新たな声が届く。


 声の主を探して首を動かすと、教会の結婚式で見る神父様のような服に身を包んだ金髪の若い男が立っていた。


「ようこそ『勇者』殿。どうか我らの世界を悪しき者どもから救ってはくださらぬだろうか」


 穏やかな表情を浮かべ、こちらに向けて手を差し伸べている。

 彼の両脇には槍を持った鎧姿の屈強な男が4人立っていた。


 ますます状況が理解できない。


 ただ“何か”が始まった。それだけは本能で否応なしに理解していた――

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