第52話 宴のはじまりはじまり~後編~


 乾杯の発声と共に、ガチャンガチャンとジョッキ同士が次々に打ち合わされ、会場に乾杯を告げる分厚いガラスの音とみんなの賑やかな声が盛大に響き渡る。


 そして、次の瞬間には男ドワーフたちが目の色を変えてジョッキを傾けていた。

 さすが鍛冶と酒に生きると言われる種族だけのことはある。酒が関係するとこうもガチになるのかといった感じだ。


「ぷはーっ!! 何じゃいこの冷たい酒エールは!! 肉にすんげぇ合うじゃねぇかぁ!」

「かーっ!! これならいくらでも飲める気がするぞ! それにしてもこの料理もずいぶん美味いな!」

「おお、本当だ。コイツはうめ……げふーっ!!」

「おい、きたねぇぞ!! このバカ野郎!!」


 ただでさえ普段から騒がしいのに、酒が入った途端にそれに輪をかけて騒々しくなるドワーフたち。


 あっという間にドワーフ用に用意した1リットルの特大ジョッキが空になっていく。

 そして、それと同時にテーブルに並べられたマスタードソースをかけたローストビーフに塩ベースのローストポーク、サーモンやヒラメにマグロへと少しだけ香草をきかせたカルパッチョの争奪戦が勃発。

 見る見る間に各テーブルの皿が空になっていく。


 そうして空になったジョッキを持ったドワーフたちの列が、給仕のみんなが働いているテントの前にできあがる。

 医学的に見たら、たぶん急激にアルコールを大量に摂取するのはよくないのだろうが、そこはファンタジー世界でお馴染みの酒飲み種族ドワーフ。

 平然とビールを飲み干していっているし、その程度では乱れる予兆すらない。


 そんな男たちを尻目に、女ドワーフたちはゆっくりとテーブルを囲み、アメリカンペールエールの中ジョッキを傾けている。

 彼女らはゆっくりと女同士でテーブルを囲み、千切りにしたじゃがいものガレットやドレッシングと粉チーズをかけたサラダ、鴨のスモークなどをつまみつつ、歓談に興じていた。

 そうだ、彼女たちにも挨拶くらいはしておかねば。


「やぁ、やってるかい。男衆たちみたいにはいかないだろうが、みんなも遠慮しないで飲んでくれよ」


「あらやだ、若様! ちょっと見ない間に男前になってきちゃって! うちの娘を妾にでも貰ってもらおうかしら!」

「おバカ、アンタんとこのおてんばなんて若様には釣り合わないよ」

「あはは! そうそう! むしろうちのコを──」


「おいおい、勘弁してくれよ、みんな。ドワーフのカーチャンなんてもらったら俺が尻に敷かれちまう」


 そう肩を竦めて嘯くと、途端にケラケラと笑い出す女ドワーフたち。

 彼女たちとのこのやり取りも、互いに気心が知れているからこそできるものだ。

 他のテーブルにも顔を出して簡単な挨拶がわりのやり取りをしてから、俺は自分の席へと戻る。


「賑やかなのね。いつもこんな感じなの?」


「そうだな……。ドワーフたちの酒盛りに参加したことなら何回かあるが、こんな盛大なのは初めてだよ。まぁ、なんにしたって楽しまなきゃ人生損だからな。社交界をないがしろにするわけじゃないが、お互いの腹を探り合いながらメシを食っても楽しかないだろ?」


 馴染みのない空気に対して戸惑いを隠せない様子で、コハダの酢漬けを玉ねぎとパプリカで和えたマリネを摘まむベアトリクスに、俺は彼女の緊張を緩和させるのもかねて、少しばかり大げさにおどけて見せる。


 貴族からすれば野卑とも感じられるであろう騒々しい空気のみならず、さらには身分と種族の差を超えた宴でもあるだけに、どうにもベアトリクスは馴染みきれないのだ。

 おそらく、どのように振る舞っていいかもよくわからないのだろう。

 そんな彼女に、俺はフルートグラスに入れた飲み物を渡す。


「なにこれ! すっごくおいしい……!」


 少しでも気を紛らわせるためなのだろう、受け取った杯を勢いよく傾けるベアトリクス。

 一息で飲み干したところで味への驚きに大きな声が出る。


 大した飲みっぷりだったが、中身が酒だったらどうするつもりだったのだろうか。


「高級ワインや強い酒を作るのに使われる専用のぶどうから作った果汁の飲み物だ。世の中、どうしたって酒を飲めない人間もいるからな。ついでに、成人してない俺たちはこれで乾杯ってね」


 自分の持っているグラスを近付けると、ベアトリクスは少し迷った素振りを見せた後に自身の持つグラスを俺のそれへと軽く当ててきた。

 高純度の質が良いガラスで作られた薄造りのグラスが、互いに触れ合ったことで上品な音を立てる。

 やや遠慮がちな乾杯の音だった。


 よく見れば、こういったのもはじめてなのかベアトリクスは少しだけ気恥ずかしそうな顔をしている。

 俺は見ないふりをした。


「それにしてもこのグラス、泡がとっても綺麗……」


「気に入ってくれたようで何より」


 フルートグラスの底から立ち上る泡をうっとりとした様子で見ながら、ベアトリクスは俺の言葉に微笑みを返す。


「兄さま、わたしとも!」


 ひょこひょこと軽く飛び跳ねながら、イゾルデも乾杯をしたいのかグラスを俺に近付けてくる。

 そんなに動くとグラスが危ないと思うが、イゾルデもすでにサダマサの特訓を受けて抜群のバランス感覚が備わっているためなんということはない。


「へいへい、乾杯」


「かんぱーい! えへへ……」


 グラスを合わせると、先ほどのベアトリクスの時よりもやや大きめの陽気な音が鳴る。

 よほど嬉しいのか、イゾルデは満面の笑みを浮かべながら、くぴくぴとジュースを飲んでいた。


 そこでひとしきり満足したか、あるいは俺とベアトリクスの邪魔をしてはいけないと思ったのか、主賓席で小さめのグラスを片手に仲睦まじげに語らい合っているヘルムントとハイデマリーのもとへと戻っていく。


 うーん、こりゃ気を遣わせちまったかな?


「なんだか気を遣わせちゃったみたいね……」


 そこでベアトリクスと思考が重なる。


「まぁ、その分楽しめばいいのさ」


 ベアトリクスの空になったグラスへと追加のジュースを注ぎながら、俺は他の面々へと目を向けてみる。


 すぐ近くのテーブルでは、サダマサが俺の造った料理を味わいつつ酒杯を傾けていた。

 特別変わったことはしていないのに妙に絵になる風景だ。


 ドワーフに負けず劣らずというほどではないが、それでも常人よりはずっと速いペースで焼き上がった肉を愉しみながら中ジョッキを干している。

 どうも銘柄をローテーションしながら楽しむために、ひと回り小さいジョッキを敢えて使っているらしい。


 おそらくサダマサは飲酒量をかなりセーブしている。

 彼が一番好きな酒は、何を隠そう日本酒だ。

 あとで俺にそれ用のつまみでも用意させながら飲む気でいるのだ。

 たしか、カルパッチョに使ったヒラメやマグロ、それに青物のいい部分がまだ残っていた。


 なるほど、それが目当てか。

 さて、一方その向かい側では……。


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