第47話 ただいまの後は
「よく帰って来てくれたな、クリス。帝都からの旅は……ってのも、訊くだけ野暮だったか」
「ええ、まぁ。整備された街道のおかげで順調に来ることができました」
いつの間に買い替えたのだろうか。
新しいものとなった応接室のソファーに腰を下ろしながら、俺はヘルムントの言葉に対して簡単に返す。
ついでに言えばハンヴィーのおかげでね、というのは言外に留めておく。
少なくとも、ヘルムントの横に座って柔和に微笑んでいる我が母ハイデマリーは、俺の秘密とも言える諸々の事情についてはっきりとは知らされていないからだ。
というかこっちに向けて小さく手を振るのをやめてもらえませんかね、母上。恥ずかしいから。マジで。
「ベアトリクス殿も元気そうだな」
「侯爵閣下こそ、ご壮健であらせられますようで何よりでございます」
そう言って立ち上がると、ドレスの裾を摘まんで優雅に一礼をするベアトリクス。
「ああ、おかげさまで。だが、あまり堅苦しくはしないでくれ。私自身がそういうのが得意じゃなくてね。もう少し楽にしてくれていい」
そんなベアトリクスの挨拶に対して、柔らかな笑みを浮かべつつ、軽く手を振って答えるヘルムント。
すでに、エンツェンスベルガー公爵家とアウエンミュラー侯爵家の間には、通常の貴族社会でありがちな爵位を大きく超えた繋がりがある。
そんなこともあって、ヘルムントも生来の堅苦しい儀礼的なものを嫌う性格をあまり隠そうとしてはいない。
一瞬、それを聞いたベアトリクスの顔に、「それでいいのか?」という感情が反射的に生まれかけた。
ふむ、ベアトリクスにはまだ早かったか。
「……あぁ、父上。私の用件より先にひとつ」
俺は話題を変えるべく、できるだけ自然な形を装いつつ口を挟む。
「なんだ?」
「兄上からの伝言を預かっているのですが、東部国境警備の関係でもうひと月ほど後まで戻れないそうです」
「そうか……。しかし、こう見ると初等学園に入れた時から、レオはツイていないようだなぁ」
「いやぁ本当に、ね」
俺の意図を察したのか、軽い溜息と共に苦笑を浮かべるヘルムント。
俺も
貴族家における大事な後継ぎの話題であれば、この場における会話としても優先度の高いものとして判断される。
急に話題を変えたようには見えまい。
これなら端から見れば、ベアトリクスのやや融通のきかない部分への反応ではなく、自身の長子の帰省が大幅に遅れたことへ残念がっているように見えることだろう。
まだ未熟に感じられる部分もあるが聡いベアトリクスのことだ。
こうでもしなければ自分が失言したことに気が付いてしまうかもしれない。
「やれやれ、わかっていたことだとはいえ、学園を卒業すると休みまで不規則になるな。だが、まだレオをこの地で遊ばせておくわけにもいかんからなぁ」
「だからって、それは最前線近くに後継ぎを容赦なく叩き込んだ人間が言っていいセリフじゃありませんね」
家を取り巻く環境が激変したことで、嫡男だからと甘やかすわけにはいかないとヘルムントが方針転換をしたのだ。
「違いない」
俺とヘルムントが小さく笑い合って、この場での会話はひとまず終わった。
ここからは俺とヘルムントで込み入った話もするため、ベアトリクスの相手はハイデマリーとイゾルデに任せることに。
「……しかし、なんつーか、兄上とはここ数年まったく都合が合わないんだよなぁ」
ふたりきりになったところで、少しだけ姿勢を崩して俺はヘルムントとの会話を再開する。
兄であるレオンハルトともたまにくらいは会っておきたい気はしたが、1ヵ月もしたら俺はとっくに帝都へと戻っている。
まぁ、この様子では今回も見送ることになるだろう。
伝言にしても帝都に届いた手紙によるものなので、俺自身レオンハルトとはずっと会っていない。
そろそろ兄の顔を思い出せなくなりそうで不安なのだが。
「そうだな、たしかに端から見ていても見事なまでにすれ違いが多い」
「実の兄弟とは思えないくらいだ」
「でもまぁ、弟が未来の公爵閣下でさらにかわいい婚約者付きっていうのも、レオとしてはあまりいい気分がしないだろう。適度な仲を保つためにも、それでいいんじゃないかと俺は思うよ」
ヘルムントの苦笑交じりの言葉を受け、それもそうかと俺は納得する。
さて、その帰省が遅れることとなったレオンハルトの件だが、要は貴族制の煽りを受けたのだ。
帝国の貴族制も地球のそれと同じく世襲制だ。
跡継ぎとなる子弟は、貴族としての教育をより長く受けるため、中等学園と同じく帝都にある初等学園から通い始める。
これは前にも触れたことだが、よほどの物好きや大貴族でもなければ、世嗣以外を初等学園から通わせたりはしない。
金と手間がかかるだけだし、なによりもかわいい我が子を親元から離れさせ、遠い帝都で過ごさせるのは世継ぎだけで十分だからだ。
もっとも、俺とイゾルデの場合はかなり特殊な理由があった。
領地が急速に潤い始めたため俺とイゾルデを初等学園に入れることも可能だった。
だが、サダマサという比類無き剣の師を得たことと、俺自身が学園で習う程度の内容なら、貴族としての作法やこの国の歴史と社会構造の細かい部分以外は、むしろ周りに教えられるくらいだったのだ。
そんな理由で、俺とイゾルデの帝都行きは中等学園からとなり、それが運命を大きく変えた。
まぁ、イゾルデに関しては、帝都の方が安全だろうということで無理矢理入れたようなもんだけど。
「こう見ると、厄払いでもしてやりたくなる不運っぷりだよなぁ、兄上は」
「厄払い? それは効果のあるものなのか?」
ヘルムントの問いに、俺はざっと厄払いの内容を説明。それから最後にこう付け加える。
「どうでしょうねぇ。とりあえずは気休め程度かと。神と名乗る存在には出会ったけど、運命とか運勢はあまり気にしないようにしているので」
「それはそれで大物だな。これだけ色々なことが起きたら、もう運命を信じるしかない状態なんだが」
ヘルムントの言う運命というヤツなのか、天からの恵みを手に入れた我らアウエンミュラー侯爵家。
ところが、長子のレオンハルトだけはなんとタイミングが悪いことか、それらの恩恵に与ることができなかった。
なにしろ、俺が転生者であることをカミングアウトし、サダマサが現れた頃には、すでに彼は初等学園に叩き込まれていた。
しかし、まさかそこから中退ないしは、数年後に出直してきますなどと言えるはずもない。
そのせいでレオンハルトは粛々と、というか諸々については一切教えられず帝都生活を続行することとなった。
尚、余談にはなるが、彼の身に降り注いだ不運はこれだけに止まらない。
貴族教育の仕上げと言われる中等学園とて、そこへの在籍期間は3年である。
ざっくり13歳で卒業するわけだが、そこから成人までの過ごし方は実は千差万別だったりする。
たしかに、貴族の
そうでもないのに学園を卒業したからと領地に戻るのであれば、ある意味では『他にやれることがないボンクラ跡継ぎ』だと自ら公言しているようなものである。
魔法が代々得意な家系で本人に適性があれば魔法大学でその修行を、剣が得意であればどこかの騎士団に在籍を……といったように、やりようはいくらでもある。
たとえそれが貴族の跡継ぎの時間つぶし的な側面があったとしても、そういうものとして社会が受け入れる基盤が整っているのだ。
逆を言えば、選択の幅があることにより、受け入れ側もそれほど遠慮をしなかったりする。
国境警備任務にあたる危険地帯でも、志願して──あるいは親にぶち込まれて来た以上、そこのやり方には大貴族の子弟であっても従ってもらうと半ば公言されていた。
事実、強硬派筆頭のクラルヴァイン辺境伯などの武闘派系貴族は、若い時分に国境騎士団に在籍していたこともあり、現場を知る人間として国内の騎士爵や兵士からの信頼が厚い。
別にそこへ張り合おうとしたわけではないが、領地に戻ってきたところで才能ナシとの謗りを受けぬよう、そこそこ厳しいと評判の東部国境騎士団へとヘルムントによってブチこ──もとい入団させられている。
これもレオンハルトには剣の才能が幾分かあったためらしい。
ヘルムント曰く、そこで数年の間は名目だけの『騎士』として勤務して経験を積み、それから領地に戻って経営の補佐に回ってもらう予定とのことだ。
もちろんそれは俺にとっても他人事ではない。
中等学園を卒業した後の身の振り方については、今からでも考えておいた方が良いだろう。
前世の経験を活かして中央の軍にでも入るべきかねぇ。
「それで今回の帰省はどうしたんだ? わざわざベアトリクス嬢を連れて来て」
ベアトリクスとの婚約に、俺があまり乗り気でないことはヘルムントも知っているのだろう。
俺の真意を尋ねるような物言いとなる。
「親父殿の心配しているようなことはないよ」
ヘルムントは気にしているかもしれないが、俺にベアトリクスのことを疎ましく思ったりするような感情はすでにない。
ただ単純に、前世で生きた二十数年間が、政略結婚なんてものとは無縁のごく普通の一般市民の人生だったからどうにも違和感が拭えないだけで、もう自分なりの覚悟は決めているつもりだ。
どうもそこがはっきりと伝わっていないようだ。
「せっかく、婚約者と仲睦まじくやっている様子を見せに来たってのに孝行息子にひどいこと言うよなぁ」
「思ってもいないことをよく言うものだと感心するよ」
「まぁ冗談は置いといて。今回の帰省はですね、パーティーの開催を許可していただきたくて」
「パーティー?」
ヘルムントはわずかに首を傾げる。
「あー、宴とでも申しましょうかね。せっかく久々に領地に戻ってこられたんだ。いろいろと領地のために動いてくれているみんなも集めて、ここらで一席設けたいと思って。あとは
俺からの説明をひととおり受けると、ヘルムントも得心がいったようで、そりゃ面白そうだと笑顔になる。
「そうか、結構なことじゃないか。みんなのおかげでこの領地もだいぶ豊かになった。そういう意味ではすこしくらいは還元しないとな」
ヘルムントはしみじみと語る。
「それと、エンツェンスベルガー公爵からも、来年からは帝国議会に上席議員として出るように言われたよ。議会が開催される期間は、俺とマリーも帝都の別邸に住むことになる」
「そりゃ
「まぁな。俺自身、それなりの政治的な基盤を持たないといられなくなってきた。面倒だがチャンスでもある。嬉しい悲鳴と言っておこうか」
そう言って肩を
やはり面倒臭いようだ。
侯爵家などと言ってはいるが、俺が生まれるほんの少し前までは盛大に傾いていたのだ。帝国各方面への影響力など皆無と言っていい。
とはいえ、なまじ完全に没落しきったわけでもないから、領土の切り取りを狙う貴族もおらず、ぶっちゃけ誰からも見向きもされていなかったのがこの侯爵領だ。
それが、いつの間にか国内でも有数の富を生む地域へと成長しつつあるのだから、領地を守るためにも、現当主であるヘルムント自身が帝国中央での政治的な影響力を持つ必要が出てくる。
陰謀大好き貴族さんたちは、特に何がなくても相手の懐に手を突っ込めるネタを日々探しているのだ。
領地に引きこもって経営に勤しんでいるだけというわけにもいかない。
ましてや、俺もそんな連中の人生を、世の闇に紛れてひっそりと幕を閉じてさしあげるために動いて回るのは御免こうむりたいところだ。
「まぁ、なんにせよ記念ってのは大事なものだ。誰それの誕生日なんて言っても、身内以外じゃ正直どうでもいいわけだから、騒ぐネタとしては悪くないだろう。士気が上がるのなら、なおさら歓迎すべきことだ。よし、ぱぁーっとやろう」
むしろヘルムント自身、すでに宴を楽しみにしている気配がある。
本人の言うように、いい加減貴族同士の付き合いにもうんざりしているのだろう。
なにが悲しくて大して仲良くもないどころか下手をすれば領地を狙っている貴族の、しかもその
「では、決まりですかね。取り急ぎ、『工廠』の連中に伝えてくるとします」
「ああ、任せる」
ヘルムントの苦労に内心で同情しつつ、俺は色良い回答にほほ笑むと、さっそく準備に取りかかることにした。
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