第46話 愛しの我が家
それから数時間後、何事もなくアウエンミュラー侯爵領へと辿り着いた俺たちは、そのまま領中心部でもある領都バンネライヒへと向かい、市街中心部を通り過ぎて侯爵家屋敷へと向かう。
さすがに、街中にまで入ればもう俺がハンヴィーの銃座についている必要もない。
目抜き通りを走る道は、中央を荷馬車が行き来できるよう、中心部を馬車が2台行き違える車道幅に、その両脇を人々が徒歩で通ることができるよう歩道として整備してある。
これは古代ローマの街道を参考にして作ったものだ。
「これは若様。おかえりなさいませ」
「あぁ、いつもごくろうさん。おかげさまでみんな平穏に暮らせてるみたいでなによりだよ」
顔見知りの衛兵が敬礼を交えて声をかけてきたので、俺は銃座から顔を出して答礼を交えつつねぎらいの言葉を返す。
このように、要所の辻にはそれなりの教養を持った衛兵が軽装で立ち、首にかけた笛を使いながら反対側へ渡ろうとする人々と馬車の行き来を適度に調整していた。
さしずめ警察の行う交通整理といったところだ。
「過分なお言葉を……」
「そんなかしこまらないでくれ。おっとここにいたら邪魔になるな。それじゃあ、また」
「ええ、お気をつけて」
警邏役の衛兵と別れて先へ進んでいく。
こんな大通りを馬のない馬車であるハンヴィーが通るものだから、それを見て面食らったような顔をしている人々も結構な数存在している。
しかし、領内に入ってからはアウエンミュラー侯爵家の紋章入りの旗を掲げておいたため、「また領主様が何やら変わった
こういう時、「よくわからないものは魔法の仕業にしてしまおう」という意識があるおかげで、面倒事を回避できるのは非常にありがたかった。
「平和でいいもんだねぇ」
いよいよ本格的に手持ち無沙汰となってきたので、過ぎゆく街の風景に目を向けてみる。
領都のメインストリートには、各地から運ばれてきた様々な物で溢れていた。
俺がヘルムントたちに自身の秘密──転生者であることをカミングアウトしてから帝都に出るまでの間に実施してきた積極的な交易主義とでもいうのか、とにかく流通を優先とした政策によって領都の繁栄は予想以上のものとなっていた。
よく見れば、俺がしれっとこの世界に持ち込んだ物資──じゃがいものような、条件さえ整えば食糧事情を大きく改善させられる植物なども既に並び始めている。
「ずいぶんと発展しているわね。部分的に見れば帝都にだって負けていないのではなくて?」
さすがに結構な時間眠って目が覚めたのか、ベアトリクスが窓の外を見ながら興味深げに漏らす。
その隣では、イゾルデも久し振りに見る故郷の日々変わっていく街並みを楽しそうに眺めていた。
「起きたのか」
「ええ。おかげさまで快適な旅をさせてもらったわ。それにしてもよくここまで賑わっているものね」
「周辺の村との交易が盛んになったのが大きいかな。機を見るに敏な商人たちが、帝国各地から来て支店を出したり移住したりしているようだよ」
事実、道の脇──軒を連ねる店の先に並んでいるのは、なにも日々消費される食材だけではない。
領地が富むということは、幾分かでも余剰資産を持ち始める平民が現れたのと同義でもある。
そして、それを気前よく吐き出せるように新たな品物を並べようとしたのが事の始まりだった。
元々、バンネライヒでもそこで暮らす人々向けに日々市場が催されてはいたが、俺たちはそこに新たな価値を持った品物を加えることを奨励したのだ。
商人が増えるのは好ましいことだが、その状況で需要が決まった商品を並べて価格競争なんて繰り広げられても、どちらも儲けが出ずに共倒れとなってしまう可能性がある。
もちろん、並ぶ品物が本当に売れるものだと判断するのはあくまでも店を出す商人であり、為政者であるアウエンミュラー侯爵家がいちいち扱う品種をチェックするといった細かい部分にまで関与したりはしない。
ただ物が売れた際に、収益に応じてそれなりの税を徴収するのみである。
もちろん売上を誤魔化されないように帳簿の提出は義務付けているが。
「すごいわね、これだけの商人が各地から集まるなんて。それじゃあクリスのご実家も、今や押しも押されぬ一大領主への道が拓けたというわけかしら? 大出世じゃない」
「まぁ、事実にゃ事実なんだが……。もう少し柔らかい表現で言ってほしいもんだね」
ベアトリクスの少女らしい遠慮のない物言いに、俺は苦笑するしかない。
「あら、これは失礼しました」
それでも、バンネライヒの街は時折送られてくるヘルムントからの便りにもあるように、今日も変わらず大いに賑わっている。
切っ掛けだけは与えて、あとは売り手の自由競争に任せた部分が良い方向に動いたのだろうか。
いずれにしても、久しぶりに見る領地の景況が活発なのは好ましいことだった。
そんなことを考えつつ、俺たちはゆっくりと屋敷へ向かってハンヴィーを進ませていく。
◆◆◆
「「おかえりなさいませ、クリストハルト様」」
屋敷の玄関先に並んだ使用人たちが一斉に頭を下げる。
前もって先触れを出して連絡をしておいたのと、ハンヴィーのエンジン音を聞いて気がついたのだろう。
今ではすっかり
「お荷物はこちらでお運びいたします」
「悪いな、任せるよ。あ、でも自分で運ぶやつもあるからそれは分けておく」
「承知しました」
礼を述べつつここは素直に使用人たちを頼ることにする。
それこそが、彼らが報酬をもらうための正当な仕事であるからだ。
それに、なんといっても、ベアトリクスのような貴族のゲストは荷物がとにかく多い。
まぁ、女性の旅に関わる荷物がこれでもかと言わんばかりに多くなることは知っている。
それらを見ても俺は感情を顔には一切出さず、使用人たちに荷物を粛々と割り当てられた部屋に運び込むよう指示を出していく。
帝都を出る際、荷物を見て「長期旅行じゃないんだから……」と思いはしたが、ベアトリクスは仮にも婚約者──未来の嫁さんとなる予定の相手。余計なことは言わないに限る。
ちなみに、ベアトリクスのために用意している部屋も、元々それほど豪華な屋敷ではないのだが、その中でも貴賓用と言っていい場所を空けてあった。
いくら本人が爵位を持たないとはいえ、帝室の外戚に連なるエンツェンスベルガー公爵家の令嬢だ。
家に招く以上、もてなしに不備などあってはいけない。
まぁ、すでに《神魔竜》と友誼を結んでいることを知る帝室や公爵家が、そんな些細なことでどうのこうのと言ってくるのはあり得ないとわかっている。
だが、何も知らない部外者──特に俺とベアトリクスの婚約を快く思わない、野心にあふれる貴族連中からすれば格好の攻め口となるのだ。
「やはり一度は没落しかけた侯爵家。公爵家に婿を出すなど身のほど知らずにもほどがある行為」とでも言い出しかねない。
醜聞というのかどうかはわからないが、厄ネタの芽は早いうちに摘んでおくに限る。
「かー、やっぱ重いわ……」
自分の部屋に荷物を運び込んで一段落した俺は、作業は終わりとばかりに軽く伸びをして付き合ってくれた背骨をいたわってやる。
いくら長年当家に仕える使用人とはいえ、他人に任せるにはいささかまずいモノもあったため、自分の手で運び込んだのだ。
「さてと……」
部屋を出る。
ちょっと遅くなったかもしれないが、両親に帰宅したことを挨拶しておかねばならない。
久し振り──といっても年明け以来──に歩く屋敷の廊下は特になんの変化もなく、それがかえって俺の心を落ち着けてくれる。
やはり故郷はいい。たとえそれが2番目の人生でのものであったとしても。
そんな郷愁にも似たとりとめもない気持ちで歩みを進めていくと、ちょうど部屋から出てきたベアトリクスと出くわした。
「あ、クリス」
俺の姿を見咎めるとパタパタと足早に近寄って来るベアトリクス。
この1年で少しはふたりの距離感も縮まったように思う。
「やぁ、荷解きは終わったか?」
「ええ、おかげさまで。ところで、クリス。侯爵閣下とハイデマリー様にご挨拶をしなくてはと思っているのだけれど……」
我がことでもあるのだが、『クリスのご両親』で軽く済ませられないのが、なんというか貴族社会って面倒だなとあらためて思ってしまう。
そんな風にげんなりしている俺の内心など知らぬベアトリクスだが、その秀麗な顔に少しだけ疲労の色を滲ませていた。
従来とは比べものにならないほどの速さで着いたとはいえ、それでも長距離移動となると貴族令嬢には慣れないものなのだろう。
帝都で様々な制限はありながらも、可能な限りサダマサと俺からの訓練を受けていることにより、基礎体力が上昇しているため多少はマシだとは思う。
しかし、それでも隠しきれない疲労の色を顔に滲ませながら、ベアトリクスはこちらに向けて柔らかな笑みを浮かべる。
俺たちに対して気を遣ってくれていることがわかり、なんとも面映ゆい気持ちになる。
「ならちょうどいい。俺もこれからそうするつもりだったところでね。一緒に行こうか」
ベアトリクスを案内するように、俺は手を向かう方向へと静かに動かす。
疲れているならあとでもいいぞとは言わなかった。
さすがに彼女にも貴族としてのプライドというものがある。
これが後々かえって誰かに迷惑をかけるような、それこそ戦いにでもかかわるような状況であれば話は別だが、少なくともこの場合の無理はそれほど悪いものではない。
むしろ、それまでずっとお嬢サマとして育てられてきたベアトリクスにとっては良い変化だと俺は受け止めた。
「どうしたの?」
そんな思いが表情に出ていたか、ベアトリクスが少しだけ怪訝そうに俺を見る。
「いや、なんでもないよ。婚約者に実家を案内するなんて、よくよく考えたらちょっと照れくさいと思っただけさ」
「こっ、婚約者って……! クリスったら、もうっ!」
からかうように言ってみると、ベアトリクスの顔が途端に真っ赤なものになり、俺から顔を逸らしてしまう。
具体的にはわからないが、なにやらよからぬことを想像してしまったのだろう。
多感なお年頃のお嬢様相手には、少しばかりやりすぎだっただろうか。
「さぁ、行くぞ」
あまりいじめてばかりいるのもかわいそうなので、俺は早々に踵を返して両親の部屋へと進むことにした。
後ろから動揺を誤魔化すように、足早で追いかけてくるベアトリクスの奏でる足音を耳で楽しみながら。
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