第40話 ある旅の終わりとはじまり


 翌朝、俺は突然の知らせに叩き起こされることになった。


 神妙な面持ちで、部屋に入ってきたサダマサが切り出した言葉に大きな衝撃を受ける。


 アプストルが死んだというのだ。

 つい数時間前まで、共に酒を酌み交わしていた俺たちにとっては、まさに青天の霹靂へきれきであった。


「……天寿じゃよ。お父様は、もういつ身罷みまかられるかわからぬ状態ではあったのじゃ。《神魔竜》などと呼ばれているとはいえ所詮は形あるモノ、いつかはその身も朽ちる。単にその時が来たというだけじゃ」


 いつもの時間になっても起きてこないのを不審に思ったティアマットが起こしに行ったところで、寝台に横たわったまま二度と覚めることはない眠りに入ってしまったアプストルがいたとのことだ。後後あとあとのことを考えたかのように、丁寧にもヒト型のままであったという。


 俺たちに状況を説明してくれるティアマットは、俺が想像していたよりも遥かに落ち着いていた。

 決して肉親の死に悲しみを感じていないということはなさそうで、おそらくはずっと前から覚悟を決めていたのだろう。果てしない時の中を生きる神魔竜だからこそできる覚悟なのかもしれない。


「それにの、サダマサやクリスのような、友と言える存在に送って貰えるのは、神魔竜にとってはとても幸運なことなのじゃよ。我々の寿命は永い。仮に異種族と友誼ゆうぎを交わしていても、先に死んでしまうのは皆異種族のほうじゃ。別離だらけの人生の中で、『その時』に立ち会ってくれる存在というのは得難いものでの……」


 そう言って、少しだけ目尻に涙を浮かべつつ、ティアマットは俺たちに向けて小さく笑う。


 その儚げな笑みに、俺は不覚にも少しだけドキッとしてしまう。


 永い寿命を持つわりに、神魔竜の死者に対する別れの時間はあっさりとしたもので、アプストルの亡骸なきがらは、その日のうちに神魔竜たちによって火口へと沈められることとなった。


 神聖な儀式に異種族が参加してもよいものかと思ったが、これも何かの縁だろうと、意外にも好意的な雰囲気で受け入れられた。

 昨日会ったばかりのアプストルが、完全にこの世からいなくなってしまうのは少し寂しく感じられたが、種族変われば弔い方も変わるわけで、俺たちはそれに従って見送ることにした。


「1万年か……。長い旅、ご苦労様でした」


 火口に沈められる前に見ることのできたアプストルの顔は、本当に眠っているような安らかなもので、それに加えてやっと終わったとでも言いたげな達成感のようなものも滲ませていた。


 そうして遺骸が選ばれた《神魔竜》によって吊り下げられ、ゆっくりと火口へと沈められていく。

 生まれた大地というよりも、この星そのものへ還るのが高位竜たちが行う別れの儀式という。


 ……というのは半分くらい建前で、高位竜の肉体は人類にとってありとあらゆる分野の素材として重宝されるため、埋葬するような形では墓を暴く不届き者が現れかねないからだとティアマットがあとでこっそりと教えてくれた。

 少しばかり台無しである。


 とはいえ、遥か昔の伝説で国が滅んだのも、どうやら国ぐるみで神魔竜の亡骸を狙った命知らずがいたかららしく、世界は変われども昔からヒトの欲は災いの種のようだ。


「そうまでしたくなる気持ちがわからんとは言わぬがな。神魔竜のものとなれば、鱗1枚でも相当な価値になるはずじゃからのう。であろう、そこの小娘?」


 そう言ってティアマットは、手の平より少しだけ小さい漆黒の鱗を1枚、ベアトリクスに向かって放り投げた。


「こ、これは……」


 受け取った鱗からは濃密な魔力の放射がされており、一目でタダモノではないとわかったのだろう。

 ベアトリクスの表情は、驚きと困惑の色でいっぱいになっていた。

 どう見ても、展開が彼女の処理能力を超えており、すでに目を回しかけている。


「妾の鱗じゃ。お父様が身罷られてしまい、お主との面会ができなかったからのう。用件は大体予想がついておったが。本来ココまでやって来るのも、貴族のような身では並大抵のことではなかろう」


 ティアマットが放り投げた時点で薄々わかってはいたが、やはり神魔竜の鱗であったか。

 ベアトリクスは今にも気絶しそうな顔をしているが、それもそのはず。神魔竜の鱗など、今まで市場に出回ったことさえ1度あるかないかの伝説の素材なのだ。

 高位竜の鱗であっても、滅多に市場には出回らず、ごく稀に出た日には相当な高値で取引される万能薬の原料として知られている。


 それが《神魔竜》のものともなれば、それこそ国が陰に日向に動き出し、その時の情勢によっては国同士での戦争が起きかねない。


 ちなみに効能としては、嘘か誠か免疫力の大幅な向上、それと老化防止効果があるという。

 人類の中では獣人に次いで寿命の短いヒト族の為政者にとって、寿命を限りなく伸ばしてくれるそれは、比喩表現ぬきに喉から手が出るほど欲しい霊薬なのだ。


「こ、この御恩は末代まで……!」


 そう感謝の意を表し震えるベアトリクスだが、震えの原因はそれではないだろうし、内心では間違いなくこう思っているハズだ。

 眷属とかでいいから高位竜、せめて中位竜の鱗で良いから変えて欲しい──と。


 当然だ。たまたま政争で手に入らなかっただけで、ベアトリクスの父親の病は、中位竜の鱗で十分に治るのである。

 そんな病に神魔竜の鱗を使うなど、RPG風に言えばハイポーションで治る傷にラストエリクサーやら各種限界突破薬をぶっかけるようなものである。

 あきらかにやり過ぎだし、バレるとかえって国内での争いの火種になりかねない。

 それがわかっているのか、すでにベアトリクスの顔は泣きそうなものになっている。


「よい。ちと大盤振る舞いな気もせんではないが、そこはクリスとサダマサに感謝するがよいぞ」


「ハイ、アリガトウゴザイマス……」


 むふふんとご機嫌なティアマットに対して、ベアトリクスの顔は泣きそうなものから半分死にそうなものへとレベルアップしていた。


 大盤振る舞いだってわかってるなら、そこは自重してぇぇぇぇっ! という心の叫びが聞こえてくるような顔である。

 きっとよい社会勉強になったことだろう。


「それと、妾の名前を家に伝えていこうとするのは自由じゃが、これからの付き合いもあるのじゃ。そう性急に進めることでもなかろう」


 ……ん? これからの付き合い? どういう意味だろうか? ティアマットは、エンツェンスベルガー公爵家と友誼を結ぶつもりとでもいうのか?

 たまたま竜峰にやって来た俺たちと出会ってココまでついて来ただけのようなものだが、そんな相手に随分と気前が良すぎはしないだろうか。


 ベアトリクスの顔を見ると、彼女は知らないとばかりに首を大きく横に振る。


「お父様はこの世界での永い旅を終えられた。じゃが、妾にはこの地に残って他の竜たちと共に朽ちていくような生き方は耐えられぬ。それにのぅ、妾はクリス──お主に興味を持った。じゃからな、しばらく一緒に行動させてもらうぞ?」


「はぁ!?」


 にんまりと笑うティアマットの爆弾発言に、今度は俺が驚愕のあまり変な声を出してしまった。

 ちょっと待て。俺に戦略兵器リーサル・ウェポンを常時持って歩けって言うのか。

 俺はアメリカ大統領じゃねぇんだぞ!?

 ていうか、《神魔竜》換算のしばらくって絶対に数ヶ月とかじゃねぇだろう!!


「妾にはもう身内もおらんしの。それに、神魔竜の長といった外交関係も何もあったものではない茶番のようなまつりごとにも興味はない。むしろ、クリスが人の世で何をしでかしてくれるかを見ている方がずっと楽しそうじゃからのう」


 そう言って背中に再び押し寄せるやわらかな感触。

 何を思ったか、ティアマットが俺に抱き着いてきたのだ。

 どうやらこれは酔っ払った時だけの行為ではなかったらしい。


 しかし、なんとけしからん感触だろうか。これだけで不本意ではあるが……! まことに不本意ではあるが……! ティアマットの要求に屈してしまいそうだ……!


「……い、一応訊くけど、断ったら?」


 残念ながら、与えられた選択肢にも一度はNOと言ってしまいたくなる複雑な男心を、俺は持っている。

 それは、たとえ至上の感覚に包まれていようと変わることはないのだ。

 伸びそうになる鼻の下を懸命に堪えつつ俺は切り返す。


「……そうじゃな。帝都とやらを燃やし尽くしてみるのも、それはそれで面白そうじゃのう……」


 一瞬で、ベアトリクスとウーヴェの顔色が真っ青に変わり、俺に目線で「断るな! 絶対に断るんじゃない!」とアイコンタクトを送ってくる。

 コイツなら冗談抜きにできるし、やりかねないというのが気絶させられた経験を持つ2人にはイヤというほどわかっているからだ。


「……冗談だよ。断ったりなんかしねぇさ」


「そうかそうか。妾も冗談で言ったのじゃよ? 妾が何かをしてしまってはつまらぬからのぅ」


 そう意味深な笑みを浮かべながらうそぶくティアマットに、俺は頭が痛くなりそうだった。



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