第39話 満酌不須辞~後編~


 そこからも会話は続いていく。


「なるほど……。そのような能力を創造神アルサスから付与されておるのか。の者も未だに諦めてはおらぬのだな」


 酒の肴というわけではないが、自己紹介代わりに俺がどのような経緯でこの世界にやって来たかまでを話したところで、不意にアプストルは酒杯を呷るのを止めて口を開いた。


「知っているのか? 創造神アイツを」


 アプストルの言葉は俺にとってかなりの衝撃となった。

 この世界に、神話的な意味合いではなしに『創造神』を知る者が存在するとは思っておらず、思わず興奮からか声を荒らげそうになってしまうが、寸前で止めることに成功する。

 酒を飲む場の空気を無粋に壊したくはなかったため、努めてさりげなく話の矛先を向ける。


「……腐れ縁という言葉を使いたくなる程度にはの。遥か昔から、彼の者はこの世界に異世界の人間を『勇者』として度々送り込んできたのだ。魔族を討ち、ヒト族が世界を席巻するためにの」


 聞けば、何千年も昔から変わらず続けていることらしい。

 それが、結局は人類と魔族の大陸間での戦争となって、世界を停滞の渦から抜け出せなくしているにもかかわらず。


「くだらない話だ。世界なんて神が関与するもんじゃない。そこに生きている連中で勝手に作っていくもんだぜ。その過程で滅びる種族なんてごまんとあるはずだ。誰かに作られた世界なんて何の面白みもないだろうが」


「ほぅ、『使徒』としてすでにその力を使っておる側のお主がそう言うとはのぅ」


 面白いと言わんばかりに酒杯を呷りながら、アプストルは興味深そうに俺の眼を覗き込んできた。

 まるですべてを見透かそうとするような視線を受けるも、さすがに俺と向こうとでは年季が違い過ぎる。俺は早々に抵抗することはやめた。


「悪いが『使徒』なんてやるつもりはないぞ。のっぴきならない事情ができただけでね。そもそも、あの創造神アホは、何もしないではいられない状況へ落としにきやがるから、渦中に放り込まれた側は堪ったもんじゃないんだよ」


 ちょっとのアルコールで口が軽くなったのか、あんなヤツなんかどうでもいいと言わんばかりの口調で話すと、ティアマットのみならずアプストルまで、目を真ん丸にして驚いたような表情を浮かべてしまった。

 だが、そんな沈黙も、すぐにアプストルの笑い声で打ち破られることとなる。


「ははははは! 仮にも神をアホ呼ばわりか! そんなことを言う『使徒』や『勇者』は見たことがないぞ!」


「そもそも、お父様は話を聞く前に『勇者』の心をへし折っておるではありませぬか。それも何人も」


 ティアマットが指摘を入れる。


「何を言うか。武威のみでしか語れぬどころか、武威すらも我々に届かぬ存在の何が『勇者』か。独善的であろうが何だろうが、『神剣』を携えた以上は己が意を押し通すべく研鑽した武威で神話ドラゴンを打倒するのが『勇者』であろう。いにしえの魔王たちは、何度私に戦いを挑んできたことか」


「『勇者』に幻想を抱き過ぎだろうそれは。結局のところ、異世界から拉致られた素人なんだぞ?」


 べつに俺は『勇者』でもなんでもない。

 だが、このような規格外の存在から目をつけられてしまうのも気の毒に感じられ言葉を挟む。


「そうだ。そうなのだ。結局、1万年という果てしない時の中を生きてきて、『勇者』は誰ひとりとして私を満足させてはくれなかった。戦いの昂揚を教えてくれたのは、遥か過去の戦友と異界の剣士サダマサだけだった」


 アプストルはサダマサへと視線を送り、それから次に俺の顔をまっすぐに見据える。

 そして楽しむような、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。


「なれば、その剣士に認められし異端の『使徒』よ。お主は面白い運命を持っているようだ」


「どういうことだ?」


「回せ回せ。世界を掻き回せ。星と共に終焉を迎えるだけではつまらぬし、ヒトの子たちにとってもまだこの世界は狭過ぎる。そうであろうや」


 老齢の黒竜は詠うように俺へと言葉を投げかける。

 彼は最後までその意味を語ろうとはしなかった。





 ◆◆◆





「……ティアマットコレは、私が結構なよわいになってからの子でのぅ? 甘やかし過ぎたつもりもないのだが、どういうワケか神魔竜の血族とは思えない好奇心に溢れたはねっ返り娘に育ってしまったのだよ。求愛してきた他の竜をボコボコにするわで……」 


「おとーさま、わりゃわがはにゃっかえりではのって、他の竜どもが情けなくも枯れ果てているのじゃにょ?」


 いやはや。っていうか、にょってなんなんだよ。


 さすがに俺も竜が酒に弱いとは微塵も思っていなかったが、それでも酒精の回るままに任せていたのは失敗だったかもしれない。

 あっという間に一升瓶が3本空いてしまい、後に残ったのは空瓶と酔っ払いの竜が2匹。


 そんな酔っ払って会話が噛み合っていないのに4本目の瓶から酒を注いでずっと飲みながら喋っている竜の親子を尻目に、サダマサは普段と何ら変わらぬ顔で飲み続け、今は俺に5本目の瓶──東北の酒に変えたもの──から酒を注がせていた。


「……どんだけ飲むんだよ、サダマサ。お前ならヤマタノオロチでも酔い潰せそうだな」


「頭が多くても肝臓は1個だろ? 飲むのが速いだけで大したことはなさそうだな」


 などとうそぶきながらサダマサは杯を傾けていたが、一瞬その光景でも思い浮かべたのか、サダマサの笑みに凄味が交じる。

 相変わらず物騒なヤツだ。


「しかし、俺は銃を使わないでもこの世界で生きていける自信はあるが、やはり日本のメシと酒は恋しくなるな。特に朝の味噌汁と納豆が忘れられんのだ」


 郷愁か? と思ったが、それがメシと酒だけというのも実にロマンもへったくれもない。

 というか自信どころか、世界の潮流を変えられるくらいの戦闘力を持っているの、自覚してるだろお前。


「そりゃ俺もだよ。酒飲んだら余計に強くなっちまった。屋敷に戻ったら、できる範囲で日本食を導入しよう。それくらいなら『お取り寄せ』フル使用しても構わんだろうしな」


 異世界人どころか地球の外国人にもキツい納豆は、おそらくテロ物質にしか見えないだろうからやめておきたいところだが、その他は日本人の血が騒いでしまいそうだ。


「こりぁクリス!  しゃだましゃとばかりではにょーて、ちっとはわらわの相手もせにゅか!」


 不意に、それまでアプストルとワケのわからない会話を繰り広げていたティアマットが俺に背後から飛びついてきた。

 絡むターゲットを俺へと変えたのか、形の良い唇を三日月の形へ変えて獲物を見付けたような嗜虐心しぎゃくしんを漂わせた表情を浮かべている。


 あ、コレはヤバい。


 だが、それと同時に後頭部にふよんという感触が生まれていることにも気づいてしまう。


 ……あー、これは当たってるヤツだなー。けしからんなー。


「なんだよ、《神魔竜》がだらしなく酔っ払いやがって……」


 人類を遥かに超越した生物に備わったの感触を遺憾なく味わえることに、内心で運命に五体投地の勢いで感謝を捧げながら、俺は依然としてその感触を堪能しつつも、非常に面倒臭そうな顔でティアマットに苦言を呈する。


「にゃーにを申しゅか。しゃけは酔うためにあるのじゃぞぅ? というか、もっとわりゃわをかまえー。会ったばかりであろう。親交を深めりゅのじゃー!」


 なんですか、このわがままな竜のお姫様は。


 一旦は満足したのか、ティアマットは拘束抱き着きを解除すると俺のすぐ真横に腰を下ろし、一升瓶を傾けてぐい呑みから酒を飲み始める。


 それとなく助けを求めようと視線をさまよわせるも、巻き込まれてはたまらないと思ったのか、サダマサは瓶を持ってアプストルとの会話へ逃げていた。

 ひでぇことに2人ともこちらをまったく見ようともしない。


「こりぇ、どこを見ておりゅのじゃー。わりゃわのようなイイ女が相手をしておりゅというのにー」


 頭を掴まれ、すごい力で強引にティアマットの方を向かされる。

 なにコレ、下手すると首の骨折れるどころか千切れるんじゃねぇ?


「……はいはい、たしかにイイ女ですよ。ティアマットさんは」


 目こそ完全に据わっているが、俺の前に座っているティアマットは相も変わらず超絶美人だ。

 というか、モロに俺好みの容姿をしている。


「しかし、よく見りゅとクリス。おにゅし、かわゆい顔をしておるにょう」


 もっとも、天が与えた神々しいまでの美貌をだらしなく弛緩させて、残念極まりないショタコンっぽい発言とかしてさえいなければと注釈がつく。


「よしよしー。もっとちこう寄りぇー」


 さすがに身の危険を感じれきた。

 あれ、コレ喰われるんじゃね? もちろん性的な意味で。


「ふむふむ。ずいぶんと気に入られたようじゃな、クリスよ。なんならティアマットをめとらぬか? 『勇者』なんぞ目じゃないくらい人類の歴史に名を刻めるぞ」


 おいー!! なんで酔っ払い相手と思って、適当に流してこの場を終了させようとしているところに爆弾発言しやがるんだ、このドラゴンジジいは!!


「むふふふ、こんにゃにかわゆいクリスがわりゃわの……」


 ちょ! もう誰かこの空気何とかしてー!!


 そうして深まっていく《竜峰》の夜に、俺の心の叫びだけが誰にも届くことなく溶けていくのだった。


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