第35話 そのドラゴン凶暴につき


「なんなんだよ、この山は。成層圏に近いんだろ? なんで普通に暖かいんだよ、おかしいだろ」


「魔素の濃い場所でも、例外的に生物にとって過ごしやすい所はある。ココもそうだったから数多くの竜たちが永いこと住んでいるわけだ」


 自分の常識外の事態にとりあえず文句を口にしてみたが、結局はサダマサの言うとおりなのだろう。


 俺たちが歩いている場所は巨大な山のいただきだ。

 だというのに、体感温度は不思議なことに平地のそれと変わらないものであった。


 おそらく火山自体は活きている。

 その上で、豊富な魔素によりフィールドが形成され上手いこと安定しているのが大きな要因なのだろう。

 さしずめ地熱式暖房とでも呼ぶべきか。


 いくら人間からトラバーユしつつあるサダマサといえど、あらかじめ登山装備を用意することもなくココを目指した理由がよくわかった。


 そして、次に地面。

 よくある剥き出しの岩肌ばかりでゴツゴツとしており、地面も細かい石ばかりの足場も安定しない場所を想定していたのだが、ココは踏み固められているようにしっかりとした地面になっている。

 まぁ、巨大質量の生物が、何千年も日夜歩き回っていればそうもなるのか。


「どうした? もっと地獄の釜のような場所を想像しておったか?」


 耳朶じだをくすぐる官能的な響きと共に、柔和とも妖艶ともとれそうな笑みで語り掛けてきたのは、サダマサの横を歩きつつ俺たちを先導していた見た目20歳前後の女だった。

 170㎝を超えるすらりとしつつ女性的な肉感を漂わせる身体に、その完璧に近い身体をさらに引き立てるストレートの黒髪。

 やや切れ長にして鋭さすら感じさせる目つきと流線を描く鼻梁びりょうを備えた、前世でもお目にかかったことがないようなとんでもない美人である。


 だが、このとびきりの美女は、人類の範疇はんちゅうに属する存在ではない。

 黒い上質な革の衣装だけならともかくとして、背中に蝙蝠のような羽が二対、尾骶骨びていこつのあたりから爬虫類を思わせる黒曜石のような輝きの鱗に覆われた尻尾を生やしており、足のふくらはぎから先の部分も鱗に覆われた猛禽類の足のようになっている。

 もし何の予備知識もなく会った時なら、竜人ドラゴニュート的な種族を俺が知らないだけと思ったかもしれないが、実際のところはそんな生易しいものではなかった。


 そう、こんな『悪魔』に近いとさえ思ってしまうような種族は、人類の中には存在していない。


 ちなみに、横にいるベアトリクスが俺の腕にしがみつき、ウーヴェも俺のそばを離れないようにしているのもそれが原因だ。


「そりゃ、あんな究極生物みたいな見た目をしているヤツが住んでる場所ともなれば、この世の終わりで見られる光景と大して変わらないと思ってたからな」


「ふふ、面白いことを申すのう」


 ココに住む生物らしからぬ居住用の建築物がある光景を見て、つまらんとばかりに鼻を鳴らす俺の言葉に、女は何が面白かったか呵々と笑う。

 まぁ、見た目よりは幾分か剛毅な性格をしているのは先ほど知ったことだが。


 だが、俺は知っている。

 この女が、数十分ほど前、竜峰アルデルートに着いた俺たちの前に姿を現した神話の生物神魔竜そのものであることを。





 ◆◆◆





 固定したままではとても視界に入りきらない山──竜峰アルデルートが誇る威容は、言葉を失うほどのものだった。


 圧倒的とでも言うしかなく、そこに住まう竜の存在などなくとも世界に伝えられ歴史に名を残すほどの大きさであり、まさに『世界の柱』。

 その地を訪れた冒険者の本などで読み知ってはいたが、まさかこれほどのものとは思いもしなかった。


 しかし……。


「どうやって登るんだよ、このとんでもない山。戦車でも呼べってのか。この世界の登山記録に挑戦するなんて御免だぞ」


「いや、登る必要はない」


 停車したハンヴィーから降りたサダマサは、例のごとく着物姿で悠然と立つと、俺たちに武器や荷物だけ用意しておけと告げて、そのまま収束した気を山に向かって放出し始めた。


 身体から漏れる魔力や気を止めて存在を感知されないようにする『気配遮断』とはまるで正反対の『威圧』とも言うべき技だ。

 こちらに向けられていないとはいっても、サダマサのような化物と変わらないヤツの出すものだ。その圧力に慣れていないからか、俺の隣で気圧されたように額に汗を浮かべているウーヴェとベアトリクス。


 いったい何のつもりかと思うも、それはほどなくして答えとなり現れた。


「クリス、わたし、なんだか寒いのですが……」


 声をかけられて見れば、隣にいたベアトリクスが俺に引っ付いて震えていた。

 身長から言えば、ベアトリクスは第二次性徴期に達していない俺よりもやや大きく、そんなのにひっつかれると身動きがとりにくくて仕方ない。


「こんな温暖な気候でいったい何を言ってーーーー」


 言いかけたところで、俺も冷や汗が噴き出る感覚に襲われ口をつぐむ。


 ……あぁ、


 一般的に、ヒトが魔力を感知するには、魔法の素質や先天性の能力を必要とする。

 それは、能力のない人間にとって魔力が、自分にとって感知できるものとして認識されていないからだ。


 しかし、逆に言えば極大の魔力を目の当たりにした場合、その存在を感じ取ることができるとも言い換えられる。

 2mの距離にあるライターの火の熱は感じ取れなくとも、同じく2m向こうのたき火のそれが伝わるように。


 だから、特別魔力感知に優れているわけでもないベアトリクスにもわかったのだ。

 


「おいおい……。御自らの出迎えかよ……」


 こちらに近付いてくる影と、それに伴うようにして強まっていく圧力。


 その強大な気配と、存在の威容が放つオーラに耐えきれなくなったベアトリクスとウーヴェは、早々にブレーカーが落ちたように気絶した。

 ウーヴェのヤツはドワーフの例に漏れず頑丈なので放っておけばいいが、ベアトリクスは華奢きゃしゃな少女な上にゲストでもあるからそうはいかない。


 俺の腕に絡められた腕の力が抜けるのを察知して、慌てて少女の身体を抱き留める。

 やれやれと思ったが、それと同時に面倒ごとを避けられたとも感じていた。中途半端に耐えて取り乱されたりするよりは遥かにマシだからだ。


『久し振りじゃな、サダマサ。……ほぅ、そこの気を失っていない小さき者が、お主の言っていた面白いヤツかの?』


 押し付けられるような圧力の中、頭上から降り注ぐ『声』。


 生物としての構造上発声器官を持たないからか、俺の耳──というよりも脳に届いたそれは、魔力に乗せた念による会話方法らしい。

 妙にスムーズに入ってきたことから、特定の言語ではなく意思を正確に伝える高等伝達手段なのだろう。


 冷静に分析してしまったが、先ほどからそれが目の前に存在しているだけで冷や汗が止まらない。


 そりゃそうだ。

 伸びきっていないからわからないが、頭頂部から尻尾の先までは30メートルを超え、明らかに装甲車クラスの巨大質量を持っているであろうにもかかわらず、俺たちの前にふわりと音もなく着地した生物。

 その姿は、地球時代にも伝説上の存在として知られていたドラゴンそのままであったのだから。


 雑に言えば、漆黒の鱗に覆われたワニの口を持つトカゲを二足歩行にして胴体を発達させ、背中に皮膜に覆われたコウモリに近い見た目の羽をくっつけ、極めつけに剣山のように赤黒い角が無数に生えた頭部を兜のようにイカつくした外見だ。

 しかし、それらが合わさった威容はまさに究極生物『ドラゴン』そのものである。


 こちらを睥睨へいげいする鋭い金色の眼光は、野生動物や魔物の持つ荒々しいそれではなく、永きにわたりこの世界の移ろいを眺めてきたであろう深い知性を感じさせる重厚な色を放っていた。


 だが、気のせいだろうか。

 その落ち着いた瞳の中に、何やら別の──まるで正反対にも近い感情が垣間見えた気がしたのは。


「そうだ。面白いヤツを見付けたからちょっとばかり連れてきた」


 そんな怪獣映画の中に放り込まれた気分の俺をよそに、ドラゴンの威容にまったく動じた様子もなく、サダマサは、俺からベアトリクスを受け取り、ウーヴェを引きずりながら知己ちきと会話するような口調で語りかける。


 別に疑っていたわけではない。だが、本当に人間の身でこんなヤバいなんて言葉で済ませられない生物と知り合いなのか。


『ほぅ、それではさっそく見せてもらおうかの。我が友がどのような逸材を連れてきたのか!』


 俺の見る竜の双眸そうぼうが笑みの形へと歪んだように見えたのは、はたして錯覚だったのだろうか。

 叩き付けられた圧力によって俺の視界が歪んだだけではないのか。

 ぞわりという感覚が、大量の不可視の蟻となって俺の背中を駆け上がってくる。


 これは死ぬ──!


 脳内で警告音がけたたましく鳴り響き、瞬時に魔力を身体に流し込むと、身体強化して全力で後方に飛び退すさる。


 動体視力が攻撃の軌跡を捉えたわけではない。あくまで前世と現世で培った戦いにおける勘に過ぎない。


 だが、その勘が俺の命を救うことになった。


 大量に分泌されるアドレナリンのせいか、スローモーションになった視界の中で、俺の目と鼻の先を竜の尻尾が通り過ぎていくのが見えた。

 もし直撃を喰らえば、尻尾の表面に付いている数多の刺状突起物により、引っかけられて挽き肉になるのは必至。


 挽き肉。そのフレーズに自分自身で前世での死にざまがリフレインする。

 何が悲しくて、前世でも現世でも同じような死に方をしなくてはならないのかという憤り。


 しかし、反撃しようにも手段は限られる。

 サダマサのように魔力を武器や全身に纏わせて戦う特殊技法を習得しきっていない以上、手持ちの小太刀に魔力を纏わせたところで竜相手ではカッターナイフ程度の効果も発揮するか怪しい。


 では、この地上最強の生物相手に有効となりそうな攻撃手段は──


「いきなり仕掛けてきやがって。目にもの見せてやる!」


 俺が後方に逃げたと見たか、尻尾を振りぬいたままの姿勢でいる黒竜に向け、俺は瞬時に『お取り寄せ』したパンツァーファウスト3──あぁ、自衛軍では110㎜個人携帯対戦車弾だった──を構える。


「吹っ飛べ、クソトカゲ!!」


 訓練で繰り返した動作に従ってプローブを引っ張り対戦車榴弾モードで躊躇ちゅうちょなくぶっ放す。


 なるべくカウンターマス(反動を殺す重量物)の影響がないようにと思ったが、そんな後方の安全を考えているヒマはない。

 反射物のいくつかが地面から跳ね返ってきて背中に当たるのを涙目で感じつつ、俺は決死の一撃が黒竜に突き刺さるその瞬間を待つ。


 本当はジャベリンなどのタンデム弾頭を持つ対戦車ミサイルでも使ってやりたかったが、ここで魔力の消費を考えない戦いをするは迂闊だ。

 それに彼我の距離が近過ぎてダイレクトアタックモードでも最小射程をクリアできないので元々不可能だった。


 とにかく、こいつの│成形炸薬弾頭HEATで《神魔竜》の鱗をぶち抜けるかがカギだ。

 視線の先では、黒竜が強靭な鱗で防御をしようとするもそれは間に合わず、首筋に着弾して轟音と共に爆発する。


「……やったか!?」


「おい、ワザとだろテメェ! ぶっ殺すぞ、サダマサッ!!」


 弾頭のなくなった発射機を構えたまま、俺は知ってて死亡フラグを立てやがったサダマサに向けて中指を立てつつ怒鳴り散らす。

 どうして、人が生きるか死ぬか微妙なところにいるのに平気で茶々を入れてくれるのだろうか、この腐れ外道は!


「……ッ!?」


 まずいと思った時には遅かった。一瞬でも気を抜いてしまった隙は究極生物相手では致命的だった。

 間隙を縫うように、粉塵の中から鉤爪が飛び出して来て、回避する間すら与えられず俺を地面に縫い付けた。

 衝撃が俺の全身を揺さぶり、肺腑はいふから空気が押し出され一瞬酸欠にも似た状態に追いやられる。

 その衝撃でパンツァーファウスト3の発射機を落としてしまう。


 今のが俺の最強技だと理解しているのか、死なないように手加減しやがったのだ。


『やってくれるではないか人の子が……。わらわが高位竜でなければ即死していたかもしれぬぞ……』


 首や頭部から少なくない量の血を流し、凄絶な笑みのような表情を浮かべつつ、こちらに対して強大な殺気を向けている黒竜。


 やはり歩兵携行兵器程度では、強靭極まりない鱗で破壊力のほとんどを削がれてしまうか。


 恒常的に超高位治癒魔法が働いているのか、既に傷口は急速に修復を始めている。俺がどうするかと逡巡している数秒で完全に塞がってしまった。

 なんつー化け物だ。


『どうする? 妾が少しでも指先に力を入れたらお主は終わりだぞ? それとも命乞いでもしてみるか?』


 黒竜の『念話』は脳内への響きだけで声の個性などはわからない。

 だが、間違いなく絶対的な優位を得たことで嗜虐しぎゃく的な色に染まっているのは間違いなかった。


 そう簡単に倒せるなんて微塵も思っていなかったが、あまりにも圧倒的すぎる。

 こんな生物としての武とかそんなものを超越したヤツを相手に、どうやって個人の武力で勝ちを掴み取れというのか。


 いまだ衝撃で揺さぶられたままの脳みそは、思考能力を完全に発揮してくれない。

 おぼつかない思考の中、生物としての本能が懸命に死の危機から脱する手段はないかと模索する。


 この竜は、まだまだ俺を認めちゃいない。もっと別のを見せつける必要がある。


 そこでかすかな違和感を覚える。

 簡単に死ぬわけもない竜が、ヒトの身である俺にそんな単純な武威モノを望んでいるのだろうか?


 考える。

 おそらく、この究極生物に大きなダメージを与えるのは『勇者』の武力でも可能だ。

 だが、それなら『勇者』を連れてこいと要求するはずだ。


 とはいえ、このまま何もしなければ、間違いなく俺は死ぬ。

 これで終わりなのか?


 ……いや、あるではないか。勝ちを認めさせる方法ならひとつだけ。


「……命乞い? それはコッチのセリフだ、爬虫類め……!」

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