第34話 貴族サスペンス劇場~後編~


「それは、まさか……」


 さすがに、そこまでは予想していなかったのか。


 現在、気付いている人間はそう多くないが、帝国の成長は限界に近付いている。

 このままいくと、将来的に帝国が領土拡大策に走る可能性は決して低くなく、もしそうなれば《大森林》に眠る幾多の資源は開拓において必須のものとなる。

 そういう意味で見た場合、帝国は現時点では潜在的にではあるが『大森林』をもっとも欲しているのだった。


 まぁ、ここまで言えば簡単だ。

 その《大森林宝の山》に領地を接しており、対外強硬派でもある野心家のクラルヴァイン辺境伯からすれば、自分が上席議員の長になって世論を領土拡大に傾ければ、戦争の流れにもよるだろうが《大森林》を辺境伯所領軍を中心に占領して、自分の領土に組み込んでしまえるのだ。

 また、侵攻軍の編制についても、上席議員の長としての政治力で横槍を入れれば、自分にとってもっとも都合のいい形に改変できる。これを狙わないわけがない。


 だから、いずれ《大森林》侵攻が起きるにしても、早々にエンツェンスベルガー公爵を長の座から追い落としておきたいのである。

 とはいえ、帝族でもある公爵家にちょっかいを出すリスクは相当に高く、エンツェンスベルガー公爵の病はおそらく偶然であろう。

 ただ、それを知ったクラルヴァイン辺境伯は、これを好機と議会への工作を図るのと同時に病の治療を当面受けさせないように画策したのだろう。

 しばらく議員として動けないことになれば、その役職を他者に譲らなければならなくなる。


 だが、予想外のことが起きた。

 公爵の娘がをしようとしたのだ。


 家臣団から腕利きの兵を用意して向かえば、公爵家の保有戦力である。中位程度の『竜の鱗』入手はそう難しいことでもない。

 だから苦肉の策として、盗賊あるいは盗賊に見える私兵を使ってベアトリクスを襲わざるを得なかったのだ。


「さぁ? 事実は闇の中です。証拠らしき物もなかったですしね」


 先ほどの襲撃の後、具体的にはベアトリクスが気絶してからだが、俺たちは一応盗賊の身柄を調べてはいた。

 結果から言えば、ベアトリクスに言ったとおり手掛かりになりそうな物は何もなく、それなりに鍛えられていた身体から傭兵くずれくらいには思っていた。

 ベアトリクスから身の上話を聞くまでは。


 おそらく、ベアトリクスが家臣を連れて竜峰に向かったことを知ったクラルヴァイン辺境伯は、領内は監視だけで素通りさせて、竜峰に近づき油断したところで、放置しておいた盗賊か、盗賊に見えるようにした配下の者たちに襲わせたのだろう。


 もっとも、対外強硬派筆頭の位置にいるだけのことはあって、クラルヴァイン辺境伯もその辺の奸智かんちには長けているようだ。

 当然、証拠になりそうなモノを残すような真似はせず、俺の推理も推測の域を出ることはないのだが。


「……」


 さて、青い顔をしたままのお嬢様ベアトリクスをどうしたものか。


 まぁ、乗りかかった舟である。

 泥舟にならなきゃ良いが、とりあえずベアトリクスには竜峰まで付き合ってもらうしかあるまい。


 一時的に『お荷物』を抱えることにはなるが、よくよく考えれば、これは公爵家とパイプを作るチャンスかもしれない。

 今の段階で、帝国貴族の政争に巻き込まれるのはあまり上策とは言えないが、俺も一応は侯爵家の人間だ。上席議員でもあるヘルムントの政治力を利用すれば、どうしようもなく面倒なことにはならないだろう。


 どちらにしろ、ベアトリクスも俺たちが竜峰へ向かうことを知ってしまった。

 だから、現状領地へ帰ることを急かそうとしないあたり、このままついて行きあわよくば……と考えていると見てよさそうだ。

 目下の利害は一致するだろう。


 正直、俺にとって本当の課題は人外魔境の竜峰アルデルートに連行されることであって、人間同士の醜い争い細かいことは後回しにしたい。


「まぁ、まずは《竜峰》へ参りましょう。今日中に着くことは確定していますし」


「そんなに早く!?」


「あぁ、魔法を動力にした鋼鉄の馬車がありますのでね」


 思えば、何気なく放ったこのひと言は失敗であった。

 ひと段落ついたことで生じた油断からだろう。


 内燃機関の説明をしたところでベアトリクスに理解できるとは思えなかったため、ファンタジーにありがちな魔法万能論で片付けようと適当にモノを喋ってしまったからだ。


「属性系統に関連しない魔法のようなもの……まさか、クリス。あなたは『使徒』なのですか?」


「……は? 『使徒』? なんですかそれは」


 あ、一瞬動揺して返事するまでに間ができてしまった。


 そう、『使徒』。俺はその単語に聞き覚えがあった。

 3年ほど前にイゾルデを誘拐したオスヴィンも、同じような単語を口走っていたからだ。


 だが、聞き覚えがあるだけで、その単語の意味するところを俺は知らない。

 狂信者の戯言ざれごとと片付け、調べるようなこともしていなかった。


 あの時、イゾルデの救出を優先していたとはいえ、気にも留めなかったのは完全な失策である。


「世界を救う使命を持つのは、創造神より『神剣』を与えられし『勇者』である。これは世界にあまねく知れ渡っている伝説ですが、その『勇者』ではなく、この世界に様々な恩恵を授ける存在として『使徒』が現れると、公爵家のような帝族に連なる家には代々伝わっているのです」


 ……あー、しくじったわ。この感じだとほぼ間違いなくバレている。


 クソ、ベアトリクスの言う『使徒』のような存在の口伝が、公爵家に残っているとはまったくもって予想外だった。

 社交界デビューが当分先のこととはいえ、貴族社会の細かな情報収集が、まるで足りていなかったな。


 いや、それ以前の問題か。

 自分自身の『勇者』じゃないという立ち位置に甘んじ過ぎたかもしれない。


 さて、ここからどう答えるべきか……。


「ご歓談中のところ悪いが、そろそろ目的地が見えてくるぞ」


 ちょっとマズい方向に傾きかけていた俺たちの会話は、サダマサの絶妙なアシストにより中断される。


 俺と半ば運命共同体になりつつある以上、自身も何らかの形で面倒事に巻き込まれる可能性があると判断したのか、それとなく聞き耳は立てていてくれたのだろう。

 とりあえず、今は先送りにしておきたい話題だけに正直助かった。


「なんだよ、何も見えないじゃねーか」


 ベアトリクスから逃げるようにして銃座から上半身を乗り出してみるが、依然として続いている平原の風景の中にそれらしきものは見当たらない。 

 だが、サダマサがわざわざこんな状況下で意味のないことを言うとも思いにくい。

 とりあえず車内に戻ってみると、ベアトリクスも俺同様に怪訝そうな表情を浮かべていた。


「今はまだ、な。竜峰に辿り着くことが難しいと言われる最大の理由がコレだ。ある一定の距離に近付くまで視覚の認識を阻害する魔法が、《神魔竜》たちの膨大な魔力によって周囲の土地に恒常的にかけられている」


 サダマサがそう言うと同時に、突如として空間がかすかに揺れた気がした。

 いや、たしかに揺れた。

 おそらく今の揺れが、サダマサの言っていた魔法がかけられたエリアを抜けた瞬間だったのだ。


「おいおいおいおい……。こりゃあ、マジでファンタジーな光景そのものじゃねぇか……」


 今度こそ、俺の視界に巨大な壁──いや、おそらく山であろうモノの姿が飛び込んできた。


 なんというデカさか。そうとしか言葉が出てこない。


 先ほどまで遠くに連なっていた山々もかなりの標高を誇るものと思っていたが、目の前のコレを見てはそれらと比較する気にもならない。


 ざっくり見ても、標高は地球では存在しなかった1万mすら超えているだろう。


 いったいどんな力が働いているのか、成層圏にも届こうという高さを持っているハズなのに、その山肌には本来あってしかるべき雪が一切見受けられない。

 ともすれば、そのいただきを覆い隠そうと周囲に集まっている雲ですら、取るに足らないものであるかのように天を貫いている威容は、まさに世界にそびえる柱そのものである。


「見えただろう。アレが通称『世界の柱』──竜峰アルデルートだ」


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