第32話 強襲! 公爵令嬢!


 停車した馬車のすぐ近くまでハンヴィーで寄ると、疲労の限界を迎えたのであろう馬が地面に倒れて荒い呼吸を繰り返していた。

 馬車の中にいる人間を残していなくなってしまった飼い主のために必死になるとは、まことにご苦労なことである。


 そして、馬車に描かれた紋章に目を運んだところで俺はようやく思い出す。


「こりゃ帝都北部に領土を持つエンツェンスベルガー公爵の紋章じゃないか」


 故意か偶然かはわからないが、高級木材で作られたと思われる車体の方もそれなりに攻撃を受けていることがわかった。

 おそらく、乗っているのが貴族だとはわかっていても、まさか帝族に名を連ねるレベルの家だとは思っていなかったのだろう。

 単純に盗賊程度ではそんな知識がなかったと考えるのが無難だし、そもそも帝都方面の超VIPが辺境をうろついているなんて想像だにしていなかったに違いない。


 とはいえ、そんな諸々を知らないで襲撃を受けた中の人間は、さぞや生きた心地がしなかったことだろう。


 しかし、それでも護衛は何とかしようと文字通り必死に守り抜いていた。

 車体にはいくつかの槍がつけたであろう傷と、何本かの矢が突き立っているくらいであり、これだけの損傷で済んだのは僥倖ぎょうこうと言えた。


 もっとも、その代償は護衛兵の壊滅であり、馬車の御者も何本かの矢を急所に受けて既に絶命していたわけだが。


「うるさいからエンジン切ってから迎えに行くぞー。ウーヴェは一応銃座についといてくれ。全周警戒しといてな」


「へいへい。わかりましたよ」


 知らない人間にとって、自動車の内燃機関エンジンの音は魔物の唸り声かなんかに聞こえるらしい。

 警戒心を和らげるためにも余計なことはしないに限る。


「しかし、あまりにも護衛が少なかったな。クリスみたいに銃火器で武装してるなら構わなかったんだろうが」


「なにか事情があったと思いたいところだけど、最悪の結果になっちまったな」


 果たして中にいるのがどんな人間か知らないが、公爵家の人間というだけではこのまま自分の領地まで戻ることは到底不可能だ。

 当然だ。馬車の御者もそうだが、護衛も誰もいないのだ。

 日常の生理的な活動すら含め、すべてを自分でどうにかしなくてはならない。


 また、最大のネックは治安状態だ。

 日替わりで盗賊に襲われるような世界である。

 馬車を使っても、3週間はかかるであろう領地までの長旅の間に、何事もないと考える方がおかしい。


 いっそのこと、盗賊に捕まって奴隷に売り飛ばされるなり身代金の要求をされる方が、完全なソロ状態にて自力で生き延びようとするよりも最終的に生還できる可能性は遥かに高い。


 まぁ、男女どちらかにもよるが、今まで貴族としての人生の中で培ってきた人間性を真っ向から否定されることにはなるだろう。

 性別的には後者だったら、輪をかけてヤバいことになりかねないので正直オススメはしかねる。


 とはいえ、いくらなんでも助けておいてそんなサバイバルどころかギャンブルのような生存戦略にトライさせる冷血さは持っていないつもりなので、一応どうにかしてあげる方向で進めたい。


 とりあえず、まずは面談をとドアをノックしてみるも返事はなかった。


「おかしいな、反応がない。盗賊はいちいちノックなんてしてくれないと思うんだが……」


「バカなことを言うな。襲われた人間にそんなこと考えられる余裕なんかあるか」


 もちろん、冗談だ。こんな襲撃の直後に返事があるなんて俺も思っちゃいない。


 場を暖める軽い冗談のつもりであったが、俺とサダマサの間だけでやっていては何の意味もない。

 念のため、車体に12.7㎜弾が貫通した後はないか調べるが、その形跡は見当たらなかった。

 思わず安堵の溜息が出る。


「開けるぞ」


 俺の言葉に、サダマサは無言で頷く。


 ふとそこで、なんか昔映画でこういうシーンを見たことを思い出す。

 パニックムービーで、謎の生物に襲われた豪華客船の船長室に閉じこもった船員が、主人公たちの集団がドアを開けた瞬間に凶器を振り回して襲ってくるやつ。ちなみに、その映画では運悪く正面にいたヤツが、備え付けの防火斧で頭かカチ割られて死んでいた。


 どうにもイヤな予感がして、俺はドアの正面からは外れてなるべくゆっくり目にドアを開ける。


 カギはかかっていなそうだが、中からかけられていると厄介だった。

 ショットガンでぶち抜くか、サダマサにさっくり斬ってもらうしかなくなる。

 とはいえ、仮にも俺たちは文明人を自称しているので、SWATの突入チームのようにドアを破壊したりはせずにちゃんと手で開けたいところだ。


「わあああああああっ!」


 木材の軋む音がして扉が開くのと同時に、中から悲鳴ではなく気力を振り絞るような声がして少女が飛び出してくる。


 少女と言っても、パッと見た限りでは俺よりも2歳くらい上だろう。


 この国の人間特有の、白い肌に金色の髪が特徴の可憐な少女であった。こんな豪華な馬車に乗っているだけのことはあって、さぞや高価であろう豪奢ごう しゃなドレス風の衣装に身を包んでいた。

 正直、舞踏会に行くわけでもあるまいし、俺にはこんなものは外へ出て行くには重くて動きにくそうな格好にしか見えない。


 だが、機能性などよりも面子の方が死ぬほど大事な貴族には、こういう恰好が実用性のある鎧よりもずっと大事なものであることは知っているし、一応貴族の家に生まれた以上はそういうモノが効果を発揮する光景も何度か見てきている。


 アホくさいと思っても、一概に否定すべきものではない。

 少なくともこんな状況では何か言っても無駄にしかならないので、特に余計なことを言うつもりもないが。


「おっと、ヤバい……!」


 少女の格好がどうのこうのと言っている場合ではない。

 そんな可憐な姿をした貴族令嬢は、盗賊に一矢報いようと飛び出した勢いのまま宙を舞い、そのまま地面に情熱的なキスをしそうになっていた。


 もし正面からドアを開けていたら、俺は短剣の一撃か情熱的なキスを受けていたことだろう。

 なお、この身体になってからのキス経験はないので、貴重なファーストキスのチャンスを棒に振ったことになる。

 どうやら創造神は、俺にラッキースケベ属性はつけてくれなかったようだ。


 そして、キスがどうのと言ったが、身体を張ってまで少女を受け止めてくれる人間は誰もおらず、現在進行形で宙を舞っているところだ。

 腰だめに短剣を構えたままで、飛び出した先に何もなければそうもなる。


 さらに良くないことに、馬車の居室部分はそれなりに高く作られている。

 ただ落ちるのではなく、勢いをつけているとなれば、受け身が取れなければ大ケガをしかねない。


 すかさず身体ごと腕を伸ばして、すくい上げるように抱きかかえる。


「危なかった……。短剣持ったままで転んだら大ケガしちまうぞ……」


 サダマサの鬼特訓による魔力循環で、恒常的に身体能力を強化していなければ、間に合わないところだった。


「ア、アナタは……?」


 いくら相手が若いとはいえ、いつまでも女性の身体に触っているものではない。

 自分の力でゆっくり立たせてやってから、俺は一応現時点ではこちらから厄介な方向にもっていく必要もないと、喋り方を貴人に対する扱いに変える。


「僭越ながら、御身おんみはエンツェンスベルガー公爵家に連なる方とお見受け致します。私はしがない旅の人間でクリスと申します。彼らは同行者の──」


「異教徒に異種族……!」


 ちなみに、俺が本名を名乗らなかったのは、貴族として振る舞うのは非常に目立つことになるから避けようと、今回の旅を始める際に作った設定があったからである。

 ハンヴィーで移動しているので、通常よりもずっと人と接する機会を減らしているのだが、それでも貴族であると判明するのはだいたい厄介ごとのタネになる。


 まぁ、そんな設定はどうでもいいとばかりに、早速同行者のサダマサとウーヴェが帝国貴族の身分やら人種やらのしょうもない意識に引っかかったらしいが。

 てか、ちゃんと最後まで名乗らせろよ。


 ……さてさて、これはどうしたものだろう。


 少女の反応は、実のところ帝国全体の対外意識から考えれば仕方のないもので、彼女が特別差別主義者レイシストというわけではない。

 だが、自分がおかれている状況を認識し、明らかに余計だと思われるコトは言わないで、事を丸く収めるスキルくらいは持っていて欲しかった。

 まぁ、今の今までそんなモノを必要としない環境下で育ってきたのだから、急に発揮しろと求めるのも無理な話であるが。


「そういう言い方もできるかもしれませんね。もっとも、自分の同行者に向けられて喜ばしいセリフではないですが」


えある帝国臣民が──って、そんなことを言っている場合ではないのでした。諸々はどうであれ、盗賊から助けてくれたことについては、礼を申し上げなくてはなりませんね」


「たまたま居合わせただけです。礼を言われるようなことでもないでしょう」


 少女が前半部分を途中で切ったのは、偶然だとしても賢明であった。

 おそらく、卑賎ひせんだ云々と常套句じょうとうくを口に出そうとしたのだろうが、それをしなかっただけでも評価には値する。

 もっとも、現状を正確に把握できていないという評価まで改まってはいないが。


 わかっていたことではあるが、それでも実際のところ俺は多少の不快感を覚えていた。


 まぁ、少女なりに状況は認識しているのかもしれない。

 ちゃんとした素性で名乗ったわけでもない俺は、少女にしてみればただの村人Aとさほど変わらない存在だ。

 そんなどこの馬の骨かわからない相手に対して貴族が礼をする時点で異例ともいえる。

 当人の性格が出る部分でまともな対応をしたのだから、思いのほかちゃんとした頭は持っているようだ。


「謙虚なのですね。それで、助けて頂いた謝礼もせぬままの提案となり心苦しいのですが、わたしを領地まで送ってくださらないかしら。先ほどの分と合わせて、それなりの謝礼は名誉にかけて保証致しましょう」


 まぁ、想定内の要求だ。自分ひとりだけでは、そう遠くない将来野垂れ死にすることはそれなりにわかっているらしい。


「残念ながら、それはちょっと難しいところだな。我々はこの先の《竜峰》アルデルートに行かねばならない。ちと野暮用があってね」


「なっ、《竜峰》に……⁉」


 俺の代わりに、いつも通りの言葉を発したサダマサ。

 それを見て、俺はてっきり、少女が貴族らしさ全開で無礼なとか噛みついてくるかと思ったのだが、意外にも少女は何かを考えるかのような表情を浮かべ黙りこんでしまった。


 ふむ……。


 その様子を見て、もしかすると襲われていたことも含めて何か事情があるのではないかと思い、これは場合によっては上手いこと話を丸く持ってイケるかもしれんと考え始める。


「何か事情が? 良かったらお話しいただけないですかね?」


 サダマサにやらせるよりも、ガキではあるが見た目は帝国人の俺がやった方が良いと判断し、ひとまず交渉を持ちかけることにした。


「そうですね。アナタたちの盗賊を倒した腕を見込んで──」


 だが、そんな俺の目論見は脆くも崩れ去る。

 本当に盗賊を追い払ったのが俺たちであるか確かめるようと少女が周りを見回した際、盗賊だったモノの残骸を見て卒倒したことにより中断されることになったからだ。


 まったく、この調子じゃ先が思いやられるな……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る