閑話~世界の果てで“その時”を待つ者~
先の事象にまで及んで、物事を考えることのできる能力は、知的生物の特権とも言える。
思考能力の発達していない生物は、自身の危機に直面して初めて対策を考え始める。
ゆえに、ろくな対策も取ることができずに死んでいき、生物として発展することも難しいまま世代だけを重ねていくか、あるいは強者に淘汰されるように滅びていく。
それに対して、人間をはじめとした知的生物は、あらかじめ危機をパターン化するなど想定をしてから行動をする。いわば
経験したリスクが教訓として伝えられ共有することで、代を重ねるごとに種としての発展を遂げていくのだ。
では、もしも。
もしも、生命に危機を及ぼすような可能性が全く存在しないのだとしたら。
思考できるだけの知性を持ってしまった生物は、どれだけ退屈なまま生きていかねばならないのだろうか。
◆◆◆
彼女はその場所で待っていた。
ふと周りを見渡せば、眼前には一面の雲海が広がっており、此処が俗世から隔絶された場所であることを否応なく突きつける。
雲が全くない日は珍しくさえあったが、このそびえ立つ巨大な山は雲さえも容易に分断してしまう。
そして、そんな中でも特に雲が少ない時には、遥か向こうに広がる森林地帯や草原を見渡すことができた。
時折見ることのできる下界の風景は、彼女の知る限りでは永い年月をかけてもほとんど変わることはない。
それだけに今いる場所が物理的なもののみならず、それこそ時間の流れからも切り離されているように感じられるのだった。
この場所も身体も、まるで牢獄のようではないか……。
立場もあって口にこそ出さなかったが、彼女は常々そう思っていた。
一族の者たちは、「我々が星の行く末を見守る」だの「真の武を持つ者を待つ超越した存在である」だのと言っているが、他の種族と交わろうともしない身でひとつの場所に留まるだけだ。
そんな身で何を言っても、所詮は世界に関与することすらできない哀れな種族の独り言。
もっと言えば強がりのようにしか聞こえず、彼女は虚しさすら感じていた。
これでは、季節の移ろいに合わせて空から空へ渡っていく間借り者たちの方が、自分たちよりもよほど世界を知っているではなかろうか。
生まれ出てから、やがて身体が動かなくなって朽ち果てるまでの悠久にも近い時の流れの中で、彼女も長い時を生きては来たが、胸を焦がすような想いを宿すことなどまったくと言っていいほどに経験がなかった。
決して彼女に感情がないというわけではない。
ただ感情の変化をもたらすような出来事が起こらなかったのだ。
それは、ともすれば延々と続く苦痛にも似ていた。
無論、人の身に紛れて俗世に出たこともあった。
残念ながら、その時には世界が彼女の求めるレベルになかったし、それは今でも大きな変化はないと聞く。
少なくとも、今のこの世界に彼女にとって大きな未知となるものは存在しなかったのだ。
だが、そうして世界を知っているつもりの彼女とて知らない。
彼女が世界の果てのように感じているこの場所も、さらに上には未だ何人たりとも見知らぬ広大な空間が広がっていることを。
そして、そんな空間の中に存在するこの世界が、どれほどの奇跡の上に成り立っている場所なのかも。
だから、待っている。
それは数年前のこと。彼女からすれば、ほんのつい最近の出来事であるが、ふらりと訪れた異国の男が単身で見せた武威。
彼女は、そこに強い未知の匂いを感じ取っていた。
「面白いヤツを見付けたらまたここに来よう」
去り際のその言葉に、彼女は何故か強い期待を覚えた。
久しぶりの、もしかすれば初めての感情かもしれない。
だから、待っている。
武威でなくとも良い。その未知の続きを見せてくれる存在でさえあれば。
胸中に渦巻く感情が、恋い焦がれる乙女のそれと同質のものであることもまた彼女は知らない。
ただ、その身に宿す想いは強い。
それこそ、数年という時間が、彼女の人生の中で最も長く感じられるほどに。
そして、今日もまた、彼女はその場所で待ち続けている。
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