第28話 死の商人はじめました?~後編~
どうした? などとは当然訊かない。
そう、俺もすでに気配の接近を感じていた。
まだ事態がわかっていないイゾルデにはハンドサインで注意を促す。
「一応訊いておくけど、なんで満足できなかったんだ?」
問答を続けるこちらには一切構わず、存在を隠そうともしない足音に唸り声までくっ付けて、今度はブラウンベアーが飛び出して来た。
こちらを威嚇するべく2足歩行状態になっているが、身の丈で言うならば2.5メートルはゆうにある。
ゴブリンでは上位種が何体かいないと全く相手にできないといわれるだけあって実にデカい。
人間でも、戦闘力に優れない駆け出し冒険者が魔物討伐の依頼を受けて帰って来ない場合、真っ先に原因として考えられるのが、森狼の群れかコイツだ。
そう、亜人やダンジョンのモンスターを除き、冒険者にとって最初に超えるべき『初心者の壁』として存在しているのが、このブラウンベアーなのだ。
なにも抵抗などされることなく食料にできるフォレストウルフを放置してまで、こちらへまっすぐやって来たのは、フォレストウルフの死臭を嗅ぎ付けて近くまで寄ってきたところで、体毛のない
ブラウンベアーは、一見のっそりと動きそうな見た目をしつつも、それなりに俊敏な動きをするし、かなり良い鼻を持っていることでも知られている。
そしてこの熊、人間は好物だが、中でも肉の柔らかい子どもは特に大好物らしい。
我慢ができないのか
「結局、生死の狭間での躍動感が味わいたくなって、ライバルと認識していた同門の腕利きを斬りに行こうとした。……まぁ、結果としてはそうなる前にこの世界に飛ばされて来たわけだがな」
やらかしてしまう直前で、その剣の才能を平和な世界で埋没させるのがもったいないと思った何かによって異世界リクルートされた、と。
依然として俺との会話は続けたまま、ココは俺がやるとばかりに、ふらりとサダマサがブラウンベアーの前に立つ。
俺が相手をするにも、肉体年齢的にも小太刀を使っていては有効打を与えにくいこと、また破壊力に優れた銃を使おうにもMP7A1ではストッピングパワーが不足するとの判断から自分に任せろということなのだろう。
スラグ弾を発射するセミオートショットガンでも出せば対応はできると思われるが、実戦でその隙を作るのは致命的だ。
そこは自分でも理解していたため、素直にサダマサに出番を譲る。
一方、攻撃されるか逃げ出されるか、おそらくそのふたつのうちのどちらかだと思っていたであろうブラウンベアーは、獲物の想定外の行動に若干の戸惑いを見せている。
だが、獲物が逃げることなく目の前に留まっているという事実に満足したのか、表情にわずかに滲んでいた戸惑いは食欲のそれに戻り、躊躇のない
試される大地に生息していたヒグマの一撃ですら、人間の身体を素敵にザクロのごとくズタズタにするのだ。
そんなモノを生身の人間が喰らってしまえば……という意識が浮かんでしまうのだが――――
「クリスにも、これくらいはやれるようになってほしいものだがな」
振り抜かれるベアナックルの内側に潜り込むようにして、辛うじて俺の視力で捉えられるギリギリの速度で跳ね上がった剣閃。
それはブラウンベアーの腕を絶妙なタイミングで捉え、易々と切り飛ばしてのける。
数百キロにも及ぶ体重が乗った右腕の見事な一撃だったが、肘の関節付近で切断されたため、勢いそのままに右腕だけが飛んでいき、木の幹に叩き付けられて地面に落ちた。
脳が事態を察知するまでのわずかなタイムラグを経て、ブラウンベアーの口から凄まじい悲鳴交じりの咆吼が上がる。
なぜかまでの理解はできてはいないが、自分が凄まじい傷を負ったことはなんとかわかっているようだ。
極度の興奮状態で憎悪のこもった視線をサダマサに送ると、今度は右腕のない状態でも何とかなるように身体ごと飛び掛かって押し倒そうと牙を剥いて勢いをつけようとした。
だが、そんな絶好の隙を放置してくれるハズもない。
真正面からサダマサの威圧をぶつけられ、ブラウンベアーは金縛りにでも遭ったかのように動けなくなる。
そして、サダマサの八双の構えから振り下ろされた鋭い一撃が、何もできないままでいるブラウンベアーの左肩からするりと侵入。
その一撃が持つ重さと鋭さは、あっという間に肩骨を断ち切り雁金にまで達し、そのままするりと身体から抜けていった。
主要な血管を断ち切られ、大量の血液が傷口から勢いよく流れ出す。
「少し力を抜き過ぎたな」
サダマサの言うように、その一撃だけでは強靭な生命力を持つブラウンベアーの生命活動を停止させるには至らず、返す刀で首をはねるとようやく森の王者にも等しい巨躯は地面に崩れ落ちるのだった。
一拍遅れるように、断ち切られた頸動脈から噴き上がる鮮血が、緑の大地を真っ赤に染めていく。
「……どう考えてもそっちの方が派手にぶっ壊れてるじゃねぇか」
「だから最初に言っただろう。責めてなんかいないって。それより、学園に入るまでにはこれくらいできてもらうからな。明日からもっとシゴかないといかん」
そう言って微笑むサダマサに、俺は今まで以上の目に遭うのか……と全身から冷や汗と脂汗の混合物が噴き出るのを感じた。
ブラウンベアーを倒せることは中級冒険者の証明と先ほど言ったが、あれはあくまで数人で徒党を組んで、ないしはひとりでも相当な準備をした上でかなりの手数を使ってである。
決して、サダマサのように1分以内でさくっと刀で斬って倒してしまうことを意味するわけではないのだ。
しかも俺に見せつけるために手を抜いて戦ったときている。
まだ『相伝コース』教育を続ける気満々なのだな……。
そう理解した俺は、もはや五体満足で中等学園に入学することはできないかもしれないと半ば諦念にも似た感情を覚えるのであった。
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