第8話 狂信者の影
報せを聞いた母親のハイデマリーは卒倒した。
「おい、マリー! ……お前たち、マリーを寝室へ。それからクリス。わかる範囲でいい。状況を教えてくれ」
「……はい、父上」
崩れ落ちるハイデマリーを慌てて抱き留めたヘルムントが、メイドたちを呼び寄せてハイデマリーの面倒をみさせる。
妻の身体も心配だろうが、娘が誘拐されているのだからさすがに優先度が違う。
運び出されるハイデマリーを見送ると、ヘルムントは俺に当時の状況を聞いてきた。
いつもの退屈な授業に出るため部屋に入った時には、イゾルデは連れ去られた後であった。
悲鳴すらなかったため、実に鮮やかな手口と言わざるを得ない。
クソな授業がもっとクソな事態にレベルアップした瞬間だった。
そして、肝心の犯人であるが、まさかの家庭教師の男であった。
オスヴィンという名前の老年に足を踏み入れた教会の助祭で、侯爵家に出入りしている身分で助祭となれば政争に負けたか、よっぽどの能無しかと思っていたが、まさか司祭ではなく誘拐犯に出世するとは思わなかった。
結局のところ、ヤツは前に触れた聖堂教会の原理主義者──魔法使いを『魔技使い』とか呼んでしまう脳味噌にカビの生えた過激派の構成員だったらしい。
おそらく、イゾルデがひとりで魔法の鍛錬をしているところを目撃していたのだろう。
「侯爵閣下。御息女イゾルデ様はお預かりしました。魔の
ちなみに、この手紙の内容がハイデマリーを一撃で気絶させた。
だが、ハイデマリーの反応も、この手紙の意味するところを知るからこそであった。ヘルムントにしても、妻同様何が起こるかわかっているから、彼にしては珍しく焦っているのだ。
もちろん、それは俺とて例外ではない。
図書室で仕入れた知識により、原理主義者にとって『清める』という行為が、地球で過去行われていた魔女狩りとほぼ同じ内容だと知っていたからだ。
この『清め』の代表例が鞭打ちであり、鞭で打てば取り憑いた悪霊が逃げるという『療法』として行われていたようだが、はっきり言って正気の沙汰ではない。
「イゾルデは……」
ヘルムントはその先を言わなかったが、意味するところは理解できる。
成人男性でも、鞭で数十回も打たれれば外傷性ショックで死ぬのだ。
5歳児のイゾルデに耐えられるハズもないし、よしんば生き残れてもとても正視に耐えられないような凄まじい傷痕が残る。
普通の人間の感性ならば、到底実行に移せる行為ではない。
だが、この連中は自分たちに都合の良いように解釈された教義による使命感が、その
俺たち家族の感情など関係なく、連中は死体を前に悲壮な表情を浮かべ「救うための努力をしたが~」という常套句で済ませてくれるだろう。
それくらい連中はイカレているのだ。
「クソ、なんとかしなくては……。侯爵領の軍は動かせないが……」
「………」
ヘルムントは苦悩の表情を浮かべていたが、正直俺はイゾルデを侯爵家として助け出すのは難しいであろうと予想していた。
貴族において、子どもというのは自分たちの青い血を次代へ繋ぐ存在であり、優先されるのは家督を継ぐ長男のみである。
だから、次男はスペア扱いだし、娘などは家から外に出す政略結婚の道具にされるのが普通である。最悪、いつ死んでしまっても構わないと言っても過言ではないのだ。
今回のような事態も、
今回の件で家臣団の意見を求めようとも、心配する素振りは見せつつ遠まわしに同じようなことを言われるのがオチである。
彼らとしては、無茶をさせて当主を失うわけにはいかないからだ。
「……クリス。イゾルデのために所領軍を動員することはムリだ。だから、私は帝都へ行って聖堂騎士の派遣を要請する」
正直、貴族として考えればヘルムントの口からこんな言葉が出てくること自体が意外だと言えた。
だが、俺は同時に納得もしていた。
それは、身内ですら争い合う貴族社会の中で侯爵という高い地位にありながらも、帝都からほんの少し離れた比較的豊かな土地がその心を荒ませることなく育てたのか、あるいは生来のモノなのか、ヘルムントを筆頭にアウエンミュラー家は家族を大切にする家風を保ち続けていた。
ヘルムントが流行病で両親を比較的早くに亡くして、苦労しながら家督を継いで領地経営にあたってきたのも関係しているのだろう。
貴族にしては子どもにかなり優しいな、くらいに感じていたが、改めてその愛情がとても強いものであったと理解できた。
「今はレオもいないが、その間は男のお前が家を頼む」
「……はい」
これも貴族教育のひとつで、本来は形式的な行動なのだろう。
だが、ヘルムントの瞳に宿る感情が、俺に彼の真意を正確に理解させた。
「心配するな。私が必ず何とかするさ」
俺が気に病んでいると思ったのだろう。ヘルムントは俺を安心させるように笑顔を見せて頭を撫でてくれる。
……もし俺がもっと早く部屋に向かっていればイゾルデを助けられたのだろうか。
考えかけてすぐに、俺は
所詮は6歳児、単身で何ができたのだという話になる。現実逃避もいいところだ。
ここは素直に親父に任せ、聖堂騎士団の到着を待つのが無難だろう。さすがに侯爵家の要請を断るようなこともあるまい。
早ければ、騎士団も深夜にはこちらへ着き、明け方には捜索を行っているハズだ。素人は変に出しゃばらず、いつものように魔力の鍛錬を続けていればいい。
だが――――俺は思考を切り替えることができなかった。
そもそも、イゾルデに魔法を教え始めたのは俺である。それゆえに自分自身の責任を感じずにはいられなかった。
なんと迂闊なことだろうか。
貴族は大きな財力であったり国政における発言力を持っているが、だからこそ狙われやすい存在でもあることを完全に失念していた。
せめて、先に両親へとイゾルデに魔法の才能があることを知らせておくべきだったのだ。
もしもココで、妹という絶好の立ち位置におり魔法的素養もあるイゾルデを
だが、そんな打算など知らないイゾルデは、生来の素直さで俺を慕ってくれた。
長男レオンハルトにかかりきりになりがちな両親への不満を漏らすこともなく、俺との時間でその寂しさを埋めていたのだろう。
イゾルデは彼女なりに貴族の家に生まれたことを理解し、可能な限り寂しさにも耐えていたのだ。
そんなイゾルデの平穏すら奪おうとするヤツを野放しにできるか……そんなものは愚問である。
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