反論への反論集その1・論理学の力-なぜ「的を得るは誤り」なのか-

 大人の学は道の為なり、小人の学は利の為なり。

 -楊雄-




 反論1

 正鵠を得る・射るが戦後の国語改革で的を得る・射るに変化した


 答

 戦前から使われています。



 反論2

 失うには外れる意味があり、得るには当たる意味があり、射るには当たる意味はない


 答

 失うには外れる意味はなく、得るには当たる意味はなく、射るには当たる意味があります。

 弓道では当たったら的中、外れたら失中と言います。

 また、的の中央に当てると高得点なのは西洋式。

 平家物語の扇の的で、「撃つ/当たる/射抜く」を「放つ/射る/射切る」と言い分けています。

 得失と得たりや応については、成功と失敗、うまくいったときで、得るに当たる、失うに外れる意味があるわけでは……。

 そも「的失い」「パンチが顔面を得る」といった言葉を聴いたことがあるのでしょうか。

 訓読した不失正鵠の通釈で「失わずをはずれない」とワザワザ説明しなければいけない理由が何なのか考えてください。



 反論3

 失の対義語は得である


 答

 得⇔損。失望⇔希望。失効⇔発効。失業⇔就業。見失う⇔見付ける。礼を失する⇔礼を尽くす、などがあります。



 反論4

 中国語で得正鵠がある


 答

 それは日本からの逆輸入。

 王彬彬氏の論文【現代中国語の中の日本語「外来語」問題】によると、広まったのは意味に違和感が無いからではなく、文法規則に違和感が無いから。

 しかも当時は日本ブームで日本人が使う言葉がなだれ込んでいました。

「女子高に通う男子高校生」などの有り得ない言葉が外国になだれ込んで、外国人が文法規則だけを見たらどう思うか?



 反論5

 正鵠=的。つまり的を得る


 答

 的を射るは慣用句で、的を得るは慣用句として不完全。

 慣用句は特定の単語の組み合わせを用い、同義であろうと別の単語では成立しません。

「的外れ」は18世紀から、「当たらずといえども遠からず」は1810年頃から用例があり、的を射るは1250年頃から物理的な意味での用例があり、戦前での用例もあります。

 的を射るが不失正鵠とは別に慣用句化した可能性は十分あると便宜的に言っても的外れではないでしょう。

 それが真実である確証はなくとも、不失正鵠を和訳すると「的を外れない」、中正鵠を和訳すると「的を射る」になる。

 的を射るが正鵠を射るの置き換えだとしたら本来の形とはいえませんが、それが正鵠に中るが正しくない根拠とはいえません。

 当然得るが誤りではない根拠にもなりません。



 反論6

 漁父の利から漁夫の利、一日三秋から一日千秋など、故事成語が変化することは珍しくない


 答

 故事成語の祖国にとっては単なる主体性を無視した間違いです。



 反論7

 日本語のプロは失わずと得るを認めていて、歴史的に使用されてる


 答

 その人は外国語のプロで、外国で歴史的に使用されていますか。

 日本に来た時点で間違っているという論の反論として成立しません。



 反論8

 的を得るの江戸時代での用例がある。つまり正鵠を得るなどとは関係なく、慣用句でもなく、そういう意味の完全なる造語である

 不失正鵠と無関係に作られた慣用句の的を射るを認めるなら的を得るも認めるべき


 答

 正鵠は江戸時代のずっと前から日本に伝来。

 そして江戸時代に「正鵠」に「まと」の振り仮名が書いてあることも散見されています。

 その正鵠から派生したと考えるのが順当。

 それに用例が少ししかなければ、その的を得るが正しい言葉として使われていたかは分からない。

 しかも的を射るという言葉の方が江戸自体のずっと前から使われていて、慣用句化した可能性は十分にある。

 的を得るが一般化していたのなら、辞書に載るのが的を射るより遅くて不自然。

 そもそも慣用句は特定の単語の組み合わせでしか認められず、新造語は記述。

 中国由来の言葉が大量に伝来し、10世紀には正鵠が物事の要点として使われ、江戸時代にはもう正鵠と的が同義であり、的を射るが古くから使われているにも関わらず、それらを完全に無視して一切影響なく的を得るが正鵠と関係ない日本独自の言葉として誕生した「ミラクル」が起きたと解釈するのですか。

 あなたの主張は、論理学用語の「可能性に訴える論証」「前後即因果の誤謬」「第三原因の誤謬」に該当します。

 正しさを極限まで追及するなら正鵠を射るどころか的を射るもアウト。

 実際そういう意見もあります。

 しかし正鵠に中るの正当性に何の疑いもありません。



 反論9

 元の意味から変化した言葉は山ほどあり、元来の正しい意味でなくともコミュニケーションできる。それらの言葉を認めないのか


 答

 その変化後は変化前があるからこそ作られたのでは。

 得るは比喩とかではなくて誤訳だから存在そのものが逸脱しすぎている。



 反論10

 漢文訓読は翻訳ではない。訓読は慣習、失わずと読んで外れないと解釈するし出来ている

 漢文とはそういうものだ


 答

 外国語を理解するために同じ意味の自国語を充てることが翻訳ではない根拠がありますか。

 日本国語大辞典の編集長でさえ翻訳と認めています。

 慣習と正当性は別で、訓読した時点で「中国人が書いた、純然たる漢文」ではありません。



 反論11

「トランプ」の真の意味は「西洋かるた」じゃなくて「切り札」

 日本でもトランプを真の意味に合わせるべきですか?


 答

 外国語のトランプを和訳する時に西洋かるたと訳すとメチャクチャな翻訳になります。

「語源の観点での正誤論」と「現在の観点での正誤論」は別の話です。

 日本で使われている場合は「元々間違いだが、今の日本での意味として解釈する」ようにしましょう。



 反論12

 ちゃんと意味が伝わってるのにわざわざ誤用指摘・言葉狩りするのは迷惑行為だ


 答

 ロシアと中国と韓国の人たちが集まって「北方領土・尖閣諸島・竹島をどのように護っていこう」と議論していたら?

 それを誤りと指摘するのは理論的に正しいです。



 反論13

 的を得る・正鵠を得る・正鵠を失わずは日本で歴史的・社会的に受け入れられている

 そもそも昔は誤用と言われずに共存していて、昔の人は誤用説を支持していなかった

 間違いである確たる証拠もなく、要領を得るといった言葉もある

 誤用説の言い出しっぺの三国が撤回したからすでに決着がついてる

 よって正しい言葉である


 答

 早まった一般化・誤った二分法・未知論証・個人的懐疑に基づいた論証・伝統に訴える論証・自然主義の誤謬・衆人に訴える論証・合成の誤謬・媒概念不周延の虚偽

 上記の論理学用語に当てはまらないと主張できるのでしょうか。

 なお三国以前から誤り説があります。



 反論14

 そんなに元々の形が正しいと主張するなら、古語を使うべきだ

 間違った言葉を使わずに、正しい言葉ばかり使うことが可能というならしてみせろ


 答

 論理の正当性と実行の有無は無関係。

 田代まさし氏はドラッグを使用した経験があり、薬物依存者の支援団体の職員になりました。

 しかし田代氏は最近になってドラッグに手を染めて逮捕されました。

 あなたは、田代氏が唱える「クスリを断つべきである」という論が不当であると反論すべきです。



 反論15

 ネット検索すればたくさんソースがある。的を得るは間違いじゃないは正しい


 答

 撤回したという結果だけを見て、それが正しい理屈の末のものであると証明されているのですか。

 三国に追随したと辞書編集者から聞いたのですか。

 辞書は正しい言葉を載せるものではないと説明していますか。

 漢文訓読が翻訳ではないと証明していますか。

 正鵠を失わずと得るが元来誤りではないと証明していますか。

 漢籍の表現まで遡って考察していますか。

「中正鵠」という言葉の存在をご存じですか。




 たとえ百人の専門家が、 「あなたには才能がない」と言ったとしても、その人たち全員が間違っているかもしれないじゃないですか。

 -マリリン・モンロー-

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