反論への反論集その2・論理学の力-なぜ「的を得るは誤り」なのか-
自然は人類を二人の君主、つまり苦痛と快楽の支配下においてきた。
-ジェレミ・ベンサム-
反論16
的・正鵠・得る・失うの意味はこう解釈できる
慣用句だろうと借用語だろうと文法や語彙が間違いでない・文脈から意味を理解できるなら「正しい言葉」である
答
その理論は規範としても記述としても語学としても言語学としても規範学としても経験科学としても邪道です。
時代と共に次々と意味が変化していく言葉を「意味が伝われば正しい言葉」とするなら、正しくない言葉を見つける方が難しくなりますね。
あなたはアバウトでイディオムだらけで派生しすぎで文脈重視な英語で、詳しい動作を説明しなくて口語だらけだからこそ多用されるgetを当たったときに使用できるならhitと同じものであることを示し、失敗でlostと言えるならmissやfailと同じものであると断言するのでしょう。
たとえば同じ「失敗」というニュアンスでも、「lose」は実際の損失(負ける。損をする。など)をいい、「miss」は機会を逸する(乗り遅れる。聞きそびれる。など)をさす違いがあります。
そんなあなたはseeもwatchもlookもgazeもstareもviewもganderも日本語で「見る」だから全て同じ「見る」だと断言するのでしょう。
さらに同じ漢字なら日本語の知識だけで中国語を理解できるとお思いでしょうが、中国の正史は高校の漢文程度の知識で読みこなせるほど生やさしくはありません。
しまいには「失」という文字自体に元々それる意味はないと字の成り立ち自体を否定するのでしょう。もしくは業界で悪評の白川静信者。
あなたの「正しい言葉であると認められた」根拠が「辞書」であるのなら、正誤の定義をしない辞書編集者を「辞書の言葉は正しい」と説き伏せるのでしょう。
はたまた「意味が通じるから正しい」と言葉の学問を完全無視した驚くべき理屈でしょうか。
そして現在過去未来の言語学者を一人残らず「言葉の真髄を理解できぬ愚か者」と愚弄するのでしょう。
きっとあなたは小中高の「勉強」と大学の「学問」が似て非なるものとご存じないのでしょう。
学力や学歴が知性や論理の正しさに直結するとは解せないですが、学問の知識が無くとも言葉のテストでいい点をとることが言葉に精通することであると認識しているのであれば、あなたが「言葉」を語るのは10000光年早いです。
あなたが主張する「意味が通じれば正しい言葉」は学問の知識を持たない人が唱えまくるあまりにもポピュラーな主張であって、「辞書に載ってない言葉を使用する大衆の言葉を採集する」辞書編集者が「的を得るを正しいと定義していない」こと、的を得る肯定派の飯間氏でさえ「正しい」と主張していないことが何を意味するのか考えてください。
そも「意味の理解」は「言葉が正しいから」ではありません。
心理学の「非言語コミュニケーション」といった「言葉の正しさ」以外の要素を無視できるとお思いか。
それでも納得いかないなら、権威ある言語学者さんに「ルー語は文法規則・語彙・意思伝達のすべてになにも問題がないから正しい言葉である」と情報提供してあげることをオススメします。
反論17
出典や語源が何だろうと正鵠を失わずと正鵠を得るは日本語。正鵠は物事の要点のことだ
漢語や外来語は日本で独自に進化したものである
日本と中国は別の文化であり、中国語は関係なく、日本語として扱うべき
日本語の規範を考えろ
答
あなたは、スマート、オフィスレディー、ワイシャツ、レッテルを貼る、ピリオドを打つ、アナルが元来正しい日本語だとでも主張しますか。
元来外国語なら日本は無関係です。
「外国から伝わった言葉」は「外国語」が無ければ存在しえない。
中国が存在しなくとも「漢字・カタカナ・ひらがな・音読み・訓読み」という概念が存在したとお考えでしょうか。
独自の文字・読みを作ったのなら、それはそもそも「漢字」などの「外国から伝わった言葉」という概念に当てはまらない。
「イヌ」と「ネコ」は鳴き声から名付けられたとされているが、外国がイヌとネコという言葉の意味を逆にして取り入れ、その国が「イヌとネコは日本と異文化の我が国の言葉として定着した、我が国の言葉だ。イヌとネコの元来の正誤を論じる上で、原点である日本、語源である鳴き声は関係ない」と言ってきたらどう思いますか。
自国の規範が本国の規範でもあるか一切疑問を抱かないのですか。
反論18
言語の体系そのものが別だから、すべての言葉の文字・読み・意味を完全に正確に伝来することなんて無理
だから表現が異なっていても、それは誤りなどではない
それをわざわざ攻撃しなくてもいいんじゃないか
むしろそれこそ誤りだ
答
不可能だから何だと言うのか。
不可能だからこそ我々は「完璧にできない事実にあらがう努力をする」のでは。
世界各国は他国と協調するからこそ、この地球で自国として存在している。
自国が己の力ではどうしようもない問題を抱えても、他国からの助けによって解決できることがある。
現在世界がつながっているのは、外国語が解らない先人たちが、外国語を理解するために必死の努力をした結果だ。
己が自己以外を愛するからこそ人類は進化できた。
他国の言葉を完全に正確に理解しようと励んだからこそ自国は発展できた。
もし先人たちが外国語を完璧に理解できなくとも構わないと考えていたら、確実に今の世界は無い。
たしかに努力は万能ではなく、努力ではどうにもならないことの方が多い。
だが努力は人間のみならず生きとし生けるものに欠かすことのならないものだ。
警察官が人質を誤射したり、医師が手術ミスしたり、救急隊員が救命処置をしくじったり、イスラム国を狙ったのに市民に当たったり……
人間である以上完全に失敗しないなど不可能。
だが失敗を失敗と認める勇気こそが「成功に導き、他者だけでなく自己を救うための光」だろう。
「世界平和を実現するべく、地球人一丸となって核と戦争を滅ぼそう」という論は「不可能だが、正論」である。
反論19
昔がどうであれ、今よければそれでいい
答
あなたは「天皇が存在しなくとも、今の日本は存在していた」と主張できないだろう。
パンドラの箱は元来は箱ではなくツボ(カメ)。
元来の壺がなくとも現在の箱は存在したのでしょうか。
変化後の箱がなくとも変化前の壺は存在し、変化前の壺がなければ変化後の箱は存在しません。
哲学が学問の母と呼ばれるのは、現在の学問は元々哲学から派生して独立したものだから。
ではお聞きしますが、あなたは哲学という概念がなくとも今の学問が存在しているとお考えでしょうか。
すべての世界線のあらゆる時間軸は「現在の行動」で変化する。
あなたが刹那主義であり、並行世界のあなたが刹那主義でなければ、二人のあなたの未来は確実に異なる。
あなたが存在する時間軸は、あなたの先祖が一人も欠けなかった時間軸でもある。
過去がなければ現在は存在せず、未来は現在でしか変えられない。
あなたが何かを諦めていたら、諦めなかった異世界のあなたはあなたをどう思うだろう。
大切な「時間・世界」は「刹那的な現在の世界」ではなく「何かを為し、何かを為さなかった、変えることは叶わないが振り返られる過去の世界」と「不確定要素に満ち溢れ、希望と絶望が入り混じるが、反逆によって変えることのできる未来の世界」だ。
ある小さな時代は、独特の醜いやり方で、ほかのすべての時代を誤解する。
-ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン-
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