知られざる「的を得る」の語源の真実・「中正鵠」という外国語-なぜ「的を得るは誤り」なのか-

 道理を悟らない者は偏屈者であり、道理を悟れない者は愚者であり、あえて道理を悟ろうとしない者は奴隷である。

 -ウィリアム・ドルモンド-




 結論から言うと、「的を射る/正鵠に中る/正鵠をそれず」が元来正しい日本語及び外国語の和訳です。

 そして「的を得る/正鵠を得る/正鵠を失わず」は外国語の誤訳です。


 根拠は「的/正鵠をget/lost」の基になった中国語に「的を得る/失う」という言葉が存在せず、「的を射る/外れる」という言葉が存在するからです。

 それを示す古文書も多くあります。


 的を得るの語源は『礼記』の「不失正鵠」です。

 そこから訓読で「正鵠を失わず」となり、失の対で「正鵠を得る」になり、そして正鵠と的が同義であることから「的を得る」に変化しました。


 だが「失」は「うしなう/lost」以外に「それる/すべる/はずれる/miss」の意味がある。

 そも失の字の成り立ちからして「それる」意味があるのは実に明白。

 そして失の対は「える/get」の「得」ではなく、真の対は「あたる・hit」の「中」。

 漢語に「得正鵠」という言葉は存在せず、「中正鵠」という言葉が多用される。

 中正鵠を和訳すると「的を射る」。

 ゆえに的を得るの正体とは「外国語の誤訳」。


 そも日中で同じ漢字の意味が違うのは珍しくありません。

 なぜ違うかというと「日本人が推測で勝手に決めたから」です。

 信じられなければ、下記サイトや本などで調べてみるといいでしょう。

 漢字文化資料館

 http://kanjibunka.com/kanji-faq/history/q0320/


 万が一「中正鵠」の存在を疑うのであれば、下記サイトで「中 正鵠」で検索してみてください。

 http://zh.wikisource.org/wiki/Wikisource


 あなたは、日本で正鵠を得るや的を得るが使われはじめた時代より遥か過去の中国の古文書が根拠にならないと思いますか。

 あなたは、元代中国の儒学者・虞集(1272-1348年)の『尚志斎説』といった様々な漢籍が論拠にならないと思いますか。




 私は真実のみを、血まなこで、追いかけました。

 私はいま真実に追いつきました。私は追い越しました。そうして私はまだ走っています。

 真実は、いま私の背後を走っているようです。笑い話にもなりません。

 -太宰治-

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