知られざる学問の常識「経験科学」と「規範学」という概念-なぜ「辞書は正しいは誤り」なのか-

 人生まれて学ばざれば生まれざるに同じ。

 学んで道を知らざれば学ばざるに同じ。

 知って行わざれば知らざるに同じ。

 -貝原益軒-




 学問には、経験科学と規範学という種類があります。

 簡単に言うと、経験科学は事実命題を扱い、規範学は当為命題を扱います。


 規範学に属するもので有名なのは論理学、倫理学、美学でしょう。

 論理学は真偽、倫理学は善悪、美学は美醜という概念の正誤の追及が目的。


 一方で、多くの人が誤解していますが「科学」とは「世のため人のために何かをする」学問ではありません。

(数学や医学等は置いといて)科学とは事実のみを研究するものであり、当為を論じるために発展したものではありません。

 そして言語学は経験科学に属します。


 確かに科学は人類が何を望み、価値とし、規範としているかを語ることはできるかもしれない。

 だが科学は人類が何を望むべきか、価値とすべきかを語ることはできない。


 たとえば生物学は、ヒトは生存と繁殖が目的の生き物である解明しました。

 しかし「そうである」と説明するということではあっても、「そうすべき」という意味で語ってはいない。

 それどころか生物学は、ヒトが存在する意味を全く見出していない。

 生物学が見出したものは「ヒトは偶然の産物であり、存在理由など一欠けらもない」。


 科学が語れる当為があるとすれば……。

 1.ある時代・文化・場所・ヒトが、何を規範として実行しているか。

 2.それらが、ヒトのどのような本性に根ざしたものか。

 3.科学以外の分野で、ヒトが何かを価値あるものとした場合に、実現すべくどう行動するのが健全か。


 科学者たちは、事実を解明しようと、それで当為を判断してはならないし、できないし、したくもないと考えています。

「科学で解明された事実から当為を導こうとする科学者」などもはや科学でも科学者でもない。

 まがうかたなき疑似科学、エセ科学者である。

 真に正しい科学者たちは「科学では戦争を否定することができない。ゆえに科学が解明した事実に立ち向かうべく、科学者ではない一人の人間として戦争を否定する」のです。


 科学の言語学をささえとした「本来言葉に正誤は無い。言葉の変化は自然だから咎めるべきでない」という発言は、「本来生物の行動に正誤は無い。戦争は自然だから咎めるべきでない」と発言しているのに等しい。


 当記事がデタラメと思うようでしたら、ためしに社会学者にでも聞いてみることをオススメします。

 否定する学者が見つかりましたら、ぜひとも報告してください。




 おお汝、ひとの世の道しるべをなす学問よ。

 徳を求めてうまず、もろもろの悪徳を駆逐する学問よ。

 汝の教えに従いて有益にすごせる一日は、罪につつまれる永生きにまさる。

 -マルクス・トゥッリウス・キケロ-

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