知られざる辞書の「正誤」の真実-なぜ「辞書は正しいは誤り」なのか-

 学んで思わざれば則ち罔く、思って学ばざれば則ち殆し。

 -孔子-




 言語学の世界では「ことばは恣意的に決まる」が常識です。

 なぜなら語学ではなく言語学だからです。


 記述主義ではない辞典だって記述文法に傾いています。

 極右ではない右だって右翼ですし、極左ではない左だって左翼です。


 ではなぜ辞書で正誤を解説する必要があるのか?

「実用的かどうか」です。

 辞書に「誤りではない」とするのは、編集者が「自分は世間で通用するから誤りじゃないと思ってる」からにすぎません。

 正確に言えば言語学に「誤用・正用」という概念自体が存在せず、単に「使用実態」のみで評価します。

 評価と言っても、善し悪しについてではありません。


 辞書編集者は「言葉に『間違い・正しい』はありません」と言いますが、裏を返せば言語学に『間違い・正しい』という概念自体が存在しないため、『間違い・間違いでない・正しい・正しくない言葉』と判断する能力も権利も持たないのです。


 もちろん言語学系の人は「間違い・正しい」という表現を嫌うだけでなく、「間違いでない・正しくない」という表現にも嫌悪感を持つ人がいます。

 代わりに「許容している人は少なくない」や「本来の言い方ではない」といった表現をします。

 ゆえに言語学は「この言葉は間違いでないから使っていいんだよ」とも「この言葉は相応しくないから使うべきじゃない」とも発言すべきではありません。


 これらの辞書・学問の真実を疑うのであれば、飯間氏以外の専門家の声を聴いてください。

 下記サイトで明鏡国語辞典の矢澤真人さんが短い記事ですが色々語ってくれています。


 ATOK.com 国語辞典は、自分の言葉を映すもの

 http://www.atok.com/nihongo2/index_v02.html




 まず第一に理解しなければならないことは、自分が理解していないということである。

 -ジャン=ポール・サルトル-

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