知られざる「言語学」と「語学」という学問の違い-なぜ「辞書は正しいは誤り」なのか-

 私は六人の誠実な召使いを持っています。

 私が知っていることは、みな彼らが教えてくれたのです。

 彼らの名は「なぜ」「なにを」「いつ」「誰が」「どこで」そして「いかに」です。

 -ジョゼフ・ラドヤード・キップリング-




 言語学と語学は同一の学問ではありません。

 日本では名称が似ているため頻繁に混同されていますが、実際は全然違う学問なのです。

 たとえばドイツ語だと、言語学はLinguistikやSprachwissenschaft(シュプラーハヴィッセンシャフト)と呼び、語学はFremdsprachen(フレムトシュプラーヘン)とちっとも似てない名称で呼びます。


 語学とは以下のように説明できます。

「ある言語を読み、書き、話し、聞くことができるようになるための技術であり、規範文法に寄り添う」


 言語学は以下のように説明できます。

「客観的な視点から、構造や体形に分析し、言語がどのような『モノ』になっているかを解明する科学であり、記述文法に寄り添う」


 例として、ある人物が「ancient roman」を「アンシャントロマン」と読んだ場合。

 語学は「ロマンはいいが、ancientはエインシャントあるいはエンシェントと読む。アンシャントは間違い」と指摘します。

 言語学は「おっ、新しい言い方だな。みんなの感想やなぜそう読んだかを知りたい。アンシャントを研究の対象にしたい。正誤に興味はない」と観察するだけで指摘しません。


 語学と言語学の関係は、「言葉」を「料理」に置き換えてみるとわかりやすいです。


 料理に使う道具の合理的な選択、美味しくなる調理法を求めるのが「技術」であり、料理のレベルを上げたいのが目的。

 料理に使う道具の材質と製造方法、食材の成分の化学変化の解明を求めるのが「科学」であり、料理はできなくていいから「料理自体の中身」を知りたいのが目的。


 料理人は美味しい料理を作れる「技術のプロ」と言えますが、化学変化を完全には把握できていないでしょう。

 科学者は様々な化学変化を説明できる「科学のプロ」と言えますが、料理が得意な人ばかりではないでしょう。


 事実、語学がダメな言語学者はどこにでもいます。

 それはちょうど心理学者が「コミュニケーション」が得意な人ばかりでないのと同じです。

 たしかに他者の心理を理解する能力は自然に養われますし、とくにコミュニケーション能力を鍛えようとしていない一般人よりは得意でしょう。

 しかしコミュニケーション力で仕事しているわけではないので、コミュニケーション力が仕事に直結する水商売や芸能人のほうがよほど得意でしょう。


 さて、辞書は語学と言語学のどちらに属する本でしょうか?

 答えは言語学。

 要するに辞書は「言葉の正否を論じる立場ではない」のです。


 これらの概念の存在がウソだと疑うのであれば、大学で言語学を学びはじめたばかりの学生さんにでも聞いてみるといいでしょう。

 ではなぜ「基本的すぎる言葉の学問の専門知識」を学者が詳しく説明しないのか?

 当たり前すぎて話さないのです。

 あなたはゲームに詳しくない人に「ゼルダの伝説の主人公はゼルダじゃない」と一々説明しますか?




 我々の社会を除く他の社会では、地球の周りを太陽が回っていると信じている。

 そんなことを多数決で決めようというのか?

 -アイザック・アシモフ-

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