目醒めた時、ひとりぼっちだった。

長い眠りについていたわけでも、人間のように大怪我を負って、意識を手放していたわけでもない。

昨日までのことは記憶にある。

ただ、昨日までになかった”何か”が今の自分には宿っていて。

まさしく、覚醒したばかりと言えた。

−−気がついたかい。調子はどう?

相手は部屋に入ってくるなりそう問いかける。

特には。

そういう意味を思い浮かべれば、頷いてくれる。

人の姿をして、人と同じ格好で、人の言葉を話し、人と同じ動作をする。

視界に映るのは疑いようのない人間で。

けれど不思議と警戒心は抱かなかった。

納得していた。

本能が理解していた。

彼の本性を。彼の奥に隠された正体を。

彼はいろんな話をしてくれた。

自分の置かれた状況、自分の正体、課せられた使命、背負うべき責任。

それから。

−−君はひとりぼっちだ。森にいた仲間は皆、人の手によって奪われてしまった。

どうして?

−−刈り取られてしまった。君たちが守り続けてきた場所も、湖も。若い女の人間がやってきただろう? 角に宿った君たちの力が、人間たちの標的になったんだ。

…………。

−−人間は欲深い生き物だ。己が目的のためならば、どんな犠牲が払うことも厭わない。たとえそれが一つの種族が絶滅する道であっても。ある方法がなくなれば別の方法を探し、失われた手段ですら過去として葬ってしまう。

……そんなこと、許せない。

内側から湧き上がってくる何か。

激しく揺れ動く心臓。

どうしようもない熱い何かが、自分自身を掻き立てる。

−−それは感情だ。動物が持つ厄介なもの。感情は時に己を突き動かし、また感情は時に己を苦しめる。

感情。

これもまた昨日の自分には宿り得なかった代物。

多くの動物が持つというのであれば、きっと人間もこれを持っているのだろう。

胸を押し付けられたような息苦しさがある。

体は至って正常、怪我もなく、不便はまるでないのに。

どうしてか、万全とは言い難い。

苦しい。くるしい。クルシイ。苦しい。

−−感情の変化には必ず原因がつきまとう。その問題を解決、解消した時、ようやく苦しみから解放される。

辛い。きつい。痛い。苦しい。

助けて。

−−原因は一つ。そして方法も一つ。だが、それにはまだ準備が必要だ。君が完全な復讐を遂げるには、身につけなければならないものが山ほどある。

それでも君はやるのかい。

その問いは、考える間も無く”イエス”だった。

ニヤリ、と彼の口が三日月に歪む。

−−僕が手伝ってあげよう。君はもうひとりじゃない。



それから長い年月が過ぎていってた。

もともと、長い時間を生きてきたのだろうけれど。

その日から生活は百八十度変わっていって。

かつての自分の生活思い出せないほどだった。

そして--ようやくその時は訪れた。



屋敷に仕えて数年、一族の元にある御子息が迎えられた。

「はじめまして」

膝を折って視線を合わせる。世話付きを任されたのは偶然か必然か。

翡翠の瞳を持った若君。怯えながらしっかりと自分の足で立つその姿に、気づけば将来の期待を抱くようになっていた。

その一方で。

「さすが坊ちゃん、飲み込みが早いです」

「坊ちゃんならこれくらい、簡単すぎましたね」

大袈裟なくらい褒めちぎる周囲の人間たち。

街の子ならば、できて当然のことを、さも能力のある賢い子だと思わせる。

そんな周囲に影響されてか、坊ちゃんもその思惑通りに堕落してしまう。

このままじゃダメだ。

このままじゃ駄目だ。

思考を巡らせ、様々な策を弄し、色んなことを試してみた。

だというのに。

「僕はいずれ男爵を引き継ぐ人間なんだ。領民たちが叶わない絵空事も、僕なら掴むことができる」

「ですが……」

「お節介はもうよしてくれ。僕ももう大人なんだから。誰に指図されるでもない、自分で決められる」

予想は外れ、いつの日か恐れた方向へ足を進めている。

自身で決断できると言っておきながら。

「運命の相手は絶対いるから」

そう信じて、こちらの助言なんて聞く耳すら持たなくなって。

”--運命なんてクソくらえ。”

あの人の元で聞いた、”彼ら”の嘆きが脳裏をよぎる。

こんなにも長い間生を全うしているというのに。

もう後戻りできないところまで来てしまっていた−−。


「出発されるんですね。でも、本当にいいんですか? 坊ちゃんに知らせなくて」

「…………もう、いいんです。わたしは、彼にふさわしくなかった。きっとそういうことなんでしょう」

歓声に沸く屋敷の裏口。

ひとり、身支度を整えた彼女の見送りに来ていた。

暗がりでも光を灯す目は赤く充血していて。

それでも毅然とした態度で笑顔を見せる。

ふと、彼女が口を開いた。

「……貴方はその、ジェダイトの言う運命の人に会ったのでしょう? 印象というか特徴というか……どんな素敵な人だったのか、最後に聞かせてもらえませんか?」

「会ったとはいっても、すぐに坊ちゃんに屋敷へ戻るよう言われてしまったので……正直あまり覚えていないです。すみません、お役に立てず」

「そうですか……」

躊躇いながらようやく口にしてくれた彼女の想いですら、曖昧に誤魔化すことしかできない。

だが、たった一つ言えることがある。

「−−でも、テラ様の方がずっとお似合いでしたよ。それだけはしっかり記憶しています」

「……ありがとう、嘘だとしても嬉しいです」

嘘なんかじゃない。

無理に言ってるわけでもない。

貴女こそが−−テラ様こそが、坊ちゃんの運命の人なのだから。

だが、それも過去になろうとしていた。

「−−お元気で、テラお嬢様」

「−−見送り、ありがとう。貴方のこと、忘れないわ」

しっかりと前を見据え、たった一人夢に向かって旅立つ少女。

辛いことがあっても、上手くいかないことがあっても、それを受け入れ、また前進することのできる。

その後ろ姿に、人の強さを感じていた。

これでよかったんだ。

これで、よかったんだ−−−−。

ふわり、と。

甘い香りが誘ってくる。

ようやくやってきた長年の願い。

その時は、もう間も無く訪れる。

ひとり残された屋敷の裏。

力を抜けば自然とほどけていった。

姿を偽り、種族を偽り。

衣服を脱ぎ捨て、両手を地面につける。

体を覆うは灰色の体毛。額にずしりとのしかかる螺旋状の角こそ己足らしめる代物であり、復讐をぶつける相手に突き刺す最上の凶器。

瞳を閉じる。

もう、迷いなどない。

一角獣みんなの仇を、今−−」


次に見開いた目の前に立っていたのは、緑の瞳を持つ−−−−。

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