白磁の指輪を振りかざす。

緑白にきらめく宝石は光を帯びていて。

共鳴するようにドクン、ドクン、と宝石が点滅する。

だが。

同じ輝きは眼前の観衆の中からは見当たらなくて。

「−−お取り込み中、失礼致します」

焦り、視線を左右に向けていたその時。

背後より、凜とした声が投げかけられる。

「−−!」

待機する召使い達を気にもとめず、土足でこの場へ踏み入る人物が一人。

全身黒の制服を身にまとい、人相を隠すように深く帽子を被る、つい先ほどまで父の隣で式典の様子を伺っていた空の国の使者。細身の体格ながらすらりとした背丈から性別は男だろうか。その雰囲気にどこか違和感があって。

ドクリ、と心臓が鼓動する。

「私は空の国より参りました紫赤の騎士。我らが主人より男爵へ御言葉を賜り、参上致しました」

空の国。

地上に領土を持たず、上空を浮遊し、常に移動しているとされる幻の王国。その歴史は長く、はるか古来より存在が認識されている都だが、そこを訪れた者はいないとされる。戦争中も雲の隙間から襲撃してきたともっぱら噂になっていた。和平条約を結んだ現在もなお、解明されていない謎の多い国家。それでも噂が絶えないのは、こうして使者が地上へ訪れるからに他ならないのだが。

そんな国家と長年対立していたのは、とある翡翠貴石が原因だったと記憶しているが。

しかし、なぜ、今、このタイミングで。

そもそも空の国の主人とは一体ーー?

騎士は沈黙を承諾を受け取ったのか、懐より上質な雪の手紙を取り出すなり、胸の前で広げる。

「”翡翠石の男爵殿

この度は20歳のお誕生日、誠お祝い申し上げます。ひとつ人生の階段を上った貴殿はより一層領民のため、国のために精進していくことでしょう。

さて、先日貴殿から賜った白磁の指輪ですが、残念ながらこちらを受け取ることはできません"」

指輪の話が出てきて、周囲がざわつく。

サプライズに、ともったいぶっていただけに痛い話題。

いや、それ以上に。

婚姻の指輪を贈った相手が、空の国の主人--!?

「"一族代々、婚姻を結ぶ相手に送る貴重な品とのことですが、調査の結果、この品は教会に提出していない魔具ウェポンであることが判明しました。魔具ウェポンは一つあるだけで国家の存続を揺るがしかねない巨大な力を秘めた兵器。各国の均衡を保つために教会及び騎士団にて管理・保管されるべき代物を一族が独占、保有している事実は誠遺憾であり、見逃すことのできない重罪であります"」

血の気がひいていく。

周りが静かだったのか、無意識に音を遮断していたのか、騎士の言葉以外、聞こえなくなっていた。

「"よって"」

騎士が続きを読み上げる。

聞きたいような、聞きたくないような。

「--”契約違反により”」

拒絶するように目を閉じた。

瞬間。

「その罪、己が身を以て償え」


「----!!?」

違和感を覚え、目を開く。

動かなかった。

動けなかった。

どれだけ力を込めても、声を出そう足掻いてみても、自由が効くのはせいぜい瞳くらいで。

召使いも使用人たちも、民も父上もみんな同じく。

金縛りにあったように、身動き取れず立ち尽くしていた。

なんだ、これは。

ぞくり、と悪寒が背筋をかける。

「……!!」

それと同時に。

騎士のすぐ隣の空間が不自然に歪んだ。ありえないことだが、それが真っ二つに割れると、隙間から渦巻き状の白い角を持った美しい動物が姿を現す。

長いたてがみ。灰色の肢体。

それは一族がこの地を治める以前、この地を治めていたとされる絶滅種、一角獣。

曇りガラスのごとき双眸がこちらを向いて、恐怖する姿をありのままに映す。

緑色の瞳はどこか見覚えがあるような。

かと思えば、すぐに照準は外れ、近くで固まっていた召使いへ。

コツリ、コツリ、と。

蹄を鳴らしてゆっくりと近づいていく。

瞬間。

「−−ッ!?」

ビチャリ、と。

飛沫が地面に飛び散った。



「−−−−!!!」

声にならない悲鳴が全身を震わせる。

頰を汚す生暖かい雫。

視界を染める赤、朱、紅----。

ねっとりと肌を伝うそれを理解してしまい、堪らなく拭いたい衝動に駆られる。しかし、依然として指先一本思い通りにできず。他人様には聞かせられない罵詈雑言を心の中で並べ立てるだけ。

フッ、と。

鼻息を荒くする獣は、脚に付着した穢れを意に介することなく、標的を隣の人間へ向け。

「−−−−」

今度は前足で相手の視界から生命を奪っていった。



「−−きゃああああっ!!!」

どこからともなく発せられた叫びが響き渡る。

気づけば身体は自由になり、腰を抜かして地面に尻餅をついていた。

身分も立場も関係なく、その場から逃げんようと駆け出す人々。

しかし、その後ろ姿を獣が見逃すはずもなく。

「あああぁあ−−」

「くっ、くるなバケモ−−」

突然、光が瞬き、灼熱が横切ったかと思えば。

そこにいたはずの人影は文字通り跡形もなく消え去っていて。

ひとり、またひとり、と。

雑音の元凶を排除するように、その息の根を止めていく。

なんで。

どうして、こんなこと−−。

「まだわからねえの?」

「っ!!」

そういって話しかけてきたのは、たった一人余裕の態度で様子を伺っていた紫赤の騎士。

そこで初めて彼の顔を垣間見ることができて。

眉目秀麗、同性ですら惚れる美しさ。

だが、もっとも注目してしまったのは、強い意志を感じさせる紅玉のような双眸。先ほどから同じ色ばかり視界に入っているというのに、彼のそれは穢れなく、透き通るような魅力を秘めていて。

しかし、その瞳の奥で感情が高ぶっているのを知ってしまう。

熱く、激しく、止まることを知らない威勢。

怒りだった。

「これは復讐さ。あんたらのせいでこの地を追われ、家族を失った一角獣あいつができる唯一の方法」

「お、お前……!!」

「言っとくが、指輪を渡したのはあんたの意志だ。それを責任転嫁で怒りぶつけられても、オレは痛くも痒くもないんだけど」

肩をすくめる騎士は懐から何かを取り出すと、弧を描くように投げてくる。

きらり、ときらめく宝飾品。

紛れもなく、彼女に渡した片割れだった。

「返しとくよ。そんな歪な代物、持ってるだけで不愉快だ」

「なにっ……!?」

「ああそれと、あんたにもう一つ言付けがあったんだった。”貴重な品をそう易々と手放すものではありませんよ”だと。ったく、それ目的だったくせに、嫌味ったらしにもほどがあるだろ」

そう吐き捨てるなり、騎士は歩き出す。

「ま、待て!」

「オレは別に構わねえけど、周りの状況をよく見てみるんだな」

逃すまいと、と伸ばした腕が騎士の足を掴む。視線だけこちらへ向け、言われた言葉。

その意味を理解するのに数秒もかからなかった。

「いやああ!」

「たっ、たすけてく−−」

庭園の方からだった。

途切れる声。広がっていく赤い水溜り。

武器を手に抵抗を試みたものは、道具ごと踏みつけられ。

他人を出し抜き、ひとり外へ逃げようしたものは背後から角で一突きにされ。

唯一の脱出口である庭園の門へ回り込むなり、木々を倒してその道を塞ぎ、人々を追い込む。

群衆が脅威を連れてこちらへ来ようとしていた。

「助けなくていいのか? 仮にも治める側の人間だろ」

助けるも何も……。

「助けるのは庶民お前たちの仕事だろう!?」

「……そうか。なら、もういいよ」

あれだけ燃えていた瞳が一瞬にして無となり。

軽くあしらって手を払った騎士が、最後に振り返り、こちらを見下ろす。

「これがあんたの運命だ。せいぜい足掻いてみろよ。人間らしく」

そう言い捨てるなり、次の瞬間には騎士の姿はどこにも無くなっていた。

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