3
白磁の指輪を振りかざす。
緑白にきらめく宝石は光を帯びていて。
共鳴するようにドクン、ドクン、と宝石が点滅する。
だが。
同じ輝きは眼前の観衆の中からは見当たらなくて。
「−−お取り込み中、失礼致します」
焦り、視線を左右に向けていたその時。
背後より、凜とした声が投げかけられる。
「−−!」
待機する召使い達を気にもとめず、土足でこの場へ踏み入る人物が一人。
全身黒の制服を身にまとい、人相を隠すように深く帽子を被る、つい先ほどまで父の隣で式典の様子を伺っていた空の国の使者。細身の体格ながらすらりとした背丈から性別は男だろうか。その雰囲気にどこか違和感があって。
ドクリ、と心臓が鼓動する。
「私は空の国より参りました紫赤の騎士。我らが主人より男爵へ御言葉を賜り、参上致しました」
空の国。
地上に領土を持たず、上空を浮遊し、常に移動しているとされる幻の王国。その歴史は長く、はるか古来より存在が認識されている都だが、そこを訪れた者はいないとされる。戦争中も雲の隙間から襲撃してきたともっぱら噂になっていた。和平条約を結んだ現在もなお、解明されていない謎の多い国家。それでも噂が絶えないのは、こうして使者が地上へ訪れるからに他ならないのだが。
そんな国家と長年対立していたのは、とある翡翠貴石が原因だったと記憶しているが。
しかし、なぜ、今、このタイミングで。
そもそも空の国の主人とは一体ーー?
騎士は沈黙を承諾を受け取ったのか、懐より上質な雪の手紙を取り出すなり、胸の前で広げる。
「”翡翠石の男爵殿
この度は20歳のお誕生日、誠お祝い申し上げます。ひとつ人生の階段を上った貴殿はより一層領民のため、国のために精進していくことでしょう。
さて、先日貴殿から賜った白磁の指輪ですが、残念ながらこちらを受け取ることはできません"」
指輪の話が出てきて、周囲がざわつく。
サプライズに、ともったいぶっていただけに痛い話題。
いや、それ以上に。
婚姻の指輪を贈った相手が、空の国の主人--!?
「"一族代々、婚姻を結ぶ相手に送る貴重な品とのことですが、調査の結果、この品は教会に提出していない
血の気がひいていく。
周りが静かだったのか、無意識に音を遮断していたのか、騎士の言葉以外、聞こえなくなっていた。
「"よって"」
騎士が続きを読み上げる。
聞きたいような、聞きたくないような。
「--”契約違反により”」
拒絶するように目を閉じた。
瞬間。
「その罪、己が身を以て償え」
「----!!?」
違和感を覚え、目を開く。
動かなかった。
動けなかった。
どれだけ力を込めても、声を出そう足掻いてみても、自由が効くのはせいぜい瞳くらいで。
召使いも使用人たちも、民も父上もみんな同じく。
金縛りにあったように、身動き取れず立ち尽くしていた。
なんだ、これは。
ぞくり、と悪寒が背筋をかける。
「……!!」
それと同時に。
騎士のすぐ隣の空間が不自然に歪んだ。ありえないことだが、それが真っ二つに割れると、隙間から渦巻き状の白い角を持った美しい動物が姿を現す。
長いたてがみ。灰色の肢体。
それは一族がこの地を治める以前、この地を治めていたとされる絶滅種、一角獣。
曇りガラスのごとき双眸がこちらを向いて、恐怖する姿をありのままに映す。
緑色の瞳はどこか見覚えがあるような。
かと思えば、すぐに照準は外れ、近くで固まっていた召使いへ。
コツリ、コツリ、と。
蹄を鳴らしてゆっくりと近づいていく。
瞬間。
「−−ッ!?」
ビチャリ、と。
飛沫が地面に飛び散った。
「−−−−!!!」
声にならない悲鳴が全身を震わせる。
頰を汚す生暖かい雫。
視界を染める赤、朱、紅----。
ねっとりと肌を伝うそれを理解してしまい、堪らなく拭いたい衝動に駆られる。しかし、依然として指先一本思い通りにできず。他人様には聞かせられない罵詈雑言を心の中で並べ立てるだけ。
フッ、と。
鼻息を荒くする獣は、脚に付着した穢れを意に介することなく、標的を隣の人間へ向け。
「−−−−」
今度は前足で相手の視界から生命を奪っていった。
「−−きゃああああっ!!!」
どこからともなく発せられた叫びが響き渡る。
気づけば身体は自由になり、腰を抜かして地面に尻餅をついていた。
身分も立場も関係なく、その場から逃げんようと駆け出す人々。
しかし、その後ろ姿を獣が見逃すはずもなく。
「あああぁあ−−」
「くっ、くるなバケモ−−」
突然、光が瞬き、灼熱が横切ったかと思えば。
そこにいたはずの人影は文字通り跡形もなく消え去っていて。
ひとり、またひとり、と。
雑音の元凶を排除するように、その息の根を止めていく。
なんで。
どうして、こんなこと−−。
「まだわからねえの?」
「っ!!」
そういって話しかけてきたのは、たった一人余裕の態度で様子を伺っていた紫赤の騎士。
そこで初めて彼の顔を垣間見ることができて。
眉目秀麗、同性ですら惚れる美しさ。
だが、もっとも注目してしまったのは、強い意志を感じさせる紅玉のような双眸。先ほどから同じ色ばかり視界に入っているというのに、彼のそれは穢れなく、透き通るような魅力を秘めていて。
しかし、その瞳の奥で感情が高ぶっているのを知ってしまう。
熱く、激しく、止まることを知らない威勢。
怒りだった。
「これは復讐さ。あんたらのせいでこの地を追われ、家族を失った
「お、お前……!!」
「言っとくが、指輪を渡したのはあんたの意志だ。それを責任転嫁で怒りぶつけられても、オレは痛くも痒くもないんだけど」
肩をすくめる騎士は懐から何かを取り出すと、弧を描くように投げてくる。
きらり、ときらめく宝飾品。
紛れもなく、彼女に渡した片割れだった。
「返しとくよ。そんな歪な代物、持ってるだけで不愉快だ」
「なにっ……!?」
「ああそれと、あんたにもう一つ言付けがあったんだった。”貴重な品をそう易々と手放すものではありませんよ”だと。ったく、それ目的だったくせに、嫌味ったらしにもほどがあるだろ」
そう吐き捨てるなり、騎士は歩き出す。
「ま、待て!」
「オレは別に構わねえけど、周りの状況をよく見てみるんだな」
逃すまいと、と伸ばした腕が騎士の足を掴む。視線だけこちらへ向け、言われた言葉。
その意味を理解するのに数秒もかからなかった。
「いやああ!」
「たっ、たすけてく−−」
庭園の方からだった。
途切れる声。広がっていく赤い水溜り。
武器を手に抵抗を試みたものは、道具ごと踏みつけられ。
他人を出し抜き、ひとり外へ逃げようしたものは背後から角で一突きにされ。
唯一の脱出口である庭園の門へ回り込むなり、木々を倒してその道を塞ぎ、人々を追い込む。
群衆が脅威を連れてこちらへ来ようとしていた。
「助けなくていいのか? 仮にも治める側の人間だろ」
助けるも何も……。
「助けるのは
「……そうか。なら、もういいよ」
あれだけ燃えていた瞳が一瞬にして無となり。
軽くあしらって手を払った騎士が、最後に振り返り、こちらを見下ろす。
「これがあんたの運命だ。せいぜい足掻いてみろよ。人間らしく」
そう言い捨てるなり、次の瞬間には騎士の姿はどこにも無くなっていた。
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