2
執事を連れて出かけた週末。街はお祭りムードに包まれていた。
主役は言うまでもなく自分自身。領民がその日を今か今かと待ち望んでいた。
20歳の誕生日は相続権を持つものが婚約相手を発表する日。
婚約者が国民に認められれば、そのまま結婚、なんてこともザラだった。
色恋沙汰絶えない男爵の心を射止めた相手はどんな人なのだろう。
街行く人は皆、期待に胸を躍らせていた。
しかし。
「こんな時に遊んでる暇はありませんよ坊ちゃん。一刻も早くお相手を見つけなければならないと言うのに……」
「だからこうして探してるんだろ。いいからお前もよく探せ」
庶民の服を身に纏い、お忍びで城下町を散策。高台に登って絶好のポイントを陣取ると、双眼鏡で街中を覗く。
探すのはもちろん、運命の相手だ。
だが、街中の女性とは覚えてこそいないがほぼ全員と一度会っている。
今更、人混みを探したところでその人が見つかるとは到底思えないが、だからと言ってじっとしてなどいられなかったのだった。
うーん、とうねりながら、北を、東を、南を、西を向く。文句も言わず従ってくれる執事と共に探し求める。
どこかにいるはずだ。
どこかで待っているはずだ。
期待と希望を頼りに、ひたすら魔法の筒を覗き込んだ。
「−−ああ、ここなら全体が見渡せそうですわ」
午前から潜り込み、どれくらい時間が経っただろう。
背後から聞こえた女性の声に、びくりと反応する。
自分の顔は国民によく知られていた。みつかれば、こんなところで、こんな格好で何をしてるのかと悪い噂が立ちかねない。
残念ながら今日も運命の人とは出会えない。
時間切れだな、と帽子を深くかぶり直しながらも、相手の顔を見上げた。
その視界に。
「----」
視線がぶつかる。
空より深い藍色の瞳。
あまりの衝撃に、思わず言葉を失っていた。
端正な顔立ち。華奢な体格。
それならばこれまでの女性と全く変わりはなかったけれど。
身にまとった気品あるオーラと、鍔の下にありながらも光を失わない輝く双眸がこちらを見つめて離してくれない。
すーっと吸い込まれていくような感覚。
城下町の騒音も、執事が囁く警告も聞こえず。
世界には僕と彼女の二人だけが存在していた。
「あのっ、」
気づけば声をかけていた。帽子を取って素顔を晒していた。
逃さないようすぐさま彼女の両手を取り、胸の前まで持ち上げ優しく包む。
「よろしければ少しお話ししませんか?」
「……喜んで」
戸惑いつつも頷いてくれる。
控えめながらも花のようなその笑顔に心奪われてしまっていた。
執事を先に帰らせ、彼女とたくさんの話をした。
ルリと名乗った彼女は異国からの観光者で、男爵の誕生日兼婚約発表を見にはるばるやってきたのだった。
正体を晒したつもりだったが、彼女は初めての訪問とのことで、こちらの身分など知る由もなく。これ幸いと偽名を使い、たった二人、たわいのない会話を交わす。
表情豊かながらも気品と上品さを備えた貴婦人。しかし、やはり一番の魅力は輝きを放ち続ける宝石のごとき瞳で。微笑みながらその眼で見つめられてしまうと、自然と頰が緩んでしまうほどに。ますます心惹かれていく。
日が落ちて、辺りが闇に包まれ始めても話は尽きず、楽しくも穏やかな時間が過ぎていく。
しかし、終わりは唐突に訪れて。
「お嬢様、そろそろ」
「……お話しができて、とても楽しかったです」
「こちらこそ……貴女のような素敵な方と出会えたこと、神に感謝いたします」
音もなくやってきた全身黒づくめの人物。腰に携えているのは細身の剣だろうか。隙のない身のこなしと態度に彼女の護衛だと判断する。
そして同時に確信していた。
ルリは間違いなく、異国の王族、あるいはそれに近しい身分の者である、と。
心はもう決まっていた。
「ルリさん、いや……ルリ様」
敬称をつけ、改める。
感の鋭い聡明な彼女は何かを感じ取って言葉を待ってくれる。
僕は懐より青い小箱を取り出した。
「こちらを。この出会いに感謝して、私から細やかながらプレゼントです」
「ですが……」
「こちらは今回の祭典に必要な装飾品。当日にもなれば、街の者は皆これを肌につけ、国の繁栄を願うのです」
嘘だ。
誰もこんな希少な品、凡庸な貴族ですら用意できない。
中身は指輪。一角獣を紋章にもつ一家のお守りとして、重宝される代物だった。
小さな粒がさりげなく輝く宝飾品は伝統の品で、裏側には特殊な紋が施されている。
外の世界で言うところの"魔法"の術式らしく、緑色に輝く石も魔石と呼ばれる希少性の高い代物。生命の源なる魔素を蓄積、魔法を展開する大事な保管具だった。
天使が降臨し、神使によって預言が告げられる昨今、魔法は魔物から身を守る為の唯一の方法だだった。そして魔法は
そしてこれは代々、一族が婚約者へ送る寵愛の証でもあった。
すなわち、これはプロポーズと同義。
そして
「……わかりました」
遠慮がちだった彼女だが、強く勧めれば最終的には頷き、懐へと仕舞う。
一瞬たりとも見逃さず、この光景を記憶に焼き付ける。
「……ありがとうございます、ルリ様。それでは、よい滞在を」
湧き上がる感涙に絶叫し、抱きしめ、その麗しい唇を奪いたいほどの衝動を必死になって抑える。
不審がらせては駄目だ。勘付かれては駄目だ。
つとめて自然に、紳士に、礼儀正しく。
理性で己を押し殺し一歩後退。膝をつけ、手を取るとその甲に軽い口づける。
驚いた表情もまた愛らしくて。
咄嗟に帽子の鍔を握り、顔を隠す。
幸福に綻ぶ表情など見せるなんてできるはずもなく。
騎士にエスコートされて街中へと消えるその瞬間まで、後ろ姿を追っていた。
「--あはははっ!!」
ひとりきりになって、ようやく押さえつけていた心が弾けた。
腹を抱え、汚れるのを厭わず地面に転がる。
この瞬間の喜びほど最たるものはなかった!
2年間、否、おとぎ話に憧れを抱いたその日から、たった一人の相手を求め、手段も選ばず駆けずり回った結末で、ようやくその人を手にすることができたのだから。
準備は順調。
あとは当日の手回しをするのみ。だが、それも執事に言えば問題ないだろう。
一向に婚約者を見つけない自分に愛想を尽かしはじめた父に最高のサプライズで見返してやるのだ。
憂鬱で億劫だった一週間が、待ち遠しい楽しみへと変わっていく。
「……お待ちしておりますよ、我が妻となる愛し子」
呟きは風とともに街中へ流れていった。
◇◆◇◆
−−当日。
会場は式典の準備と騒がしさで気が張り詰めていた。
ここは国内でも最大級の広さを持つウェス地区。成人の儀にて継承、管理を任された、天然自然物にも登録されている翡翠輝石の産地で、世界的にも価値ある場所だ。
城の召使いをしていた母の実家が父と禁断の恋地に落ち、城を去った後、誰にも打ち解けることなく、ここで自分を出産。母が流行りの病で急死し、孤児院から迎えが来るまでの間過ごした故郷。そんな思い出の地で人生の転機を迎えることに、またしても運命を感じていた。
カーテンの隙間から外を眺める。
玄関より広がる幾何学模様の庭園には、これでもかというほどの人、人、人の数。
この日をどれだけ多くの人が楽しみにしているのか、それだけで十分感じることができた。
運命の出会いを果たした彼女のことは執事以外に公開していない。そのせいで父とはロクな言葉も交わしていないのだが、それも今日でおさらば。最上の相手を見つけた自分を褒めて応援してくれるに違いない。
ポケットに忍ばせた片割れの指輪を指でなぞる。
−−コンコンコンッ。
「どうぞ」
「失礼いたします」
執事かと思いきや、入ってきたのは幼馴染のテラ。亜麻色の髪をクルクルと巻いた幼さが残る顔立ちながらも、しっかりと自己も持つ彼女は、外交に力を入れる貴族のひとり娘で、優しい心の持ち主。勉強熱心な彼女は、近々世界最大の都市へ赴き、修学に励むことになっている。
孤児院から城へ迎えられたその日から、気を許しあう仲だった。
「お誕生日、おめでとうございます。ジェダイト様」
「ありがとう、テラ。こんなところまで大変だったんじゃないか?」
「そんなことありません。魔法のおかげで随分と長旅も楽になりましたし。それに、せっかくジェダイト様が招待してくださったんです。舞台が空の上だって私は行ってみせますよ」
上品な赤のドレスを纏う彼女が微笑みながら近づいてくる。
「……準備は大丈夫ですか」
「ああ。すべて順調だ。あとは窓の外で待つみんなへ真実を告げるだけ」
「……それはつまり、白磁の指輪を渡す人を決めた、ということですか」
「そうだよ」
俯き、問いを投げるテラへ視線を移し、肯定の言葉を述べる。
ふるり、とその肩が震える。
「……私、ジェダイトのことが好きでした。初めて会った時から、ずっとずっと。その気持ちは今も変わりありません」
突然の告白だった。
彼女の気持ちには気づいていた。好意を抱かれていると。それはもちろん自分も同じで。
もし、運命に出会えなければ、父の言いつけ通り、彼女と婚姻を果たしていただろう。
だが、幼馴染だからこそ、ずっと一緒にいたからこそ、守りたいと思った。傷つけたくなかった。彼女への感情は恋ではなく、家族愛に似たものと化していた。
心地よかった。気後れせず入られた。けれど−−刺激はなかった。平凡だった。それが理由。テラは違うと確信した要因。
自分には運命の、誰もが羨む未来が待っている、と。
だから。
「……ありがとう。君にそういってもらえて、僕は幸せ者だ」
「……−−−−」
「失礼致します。坊ちゃん、準備整いました。いつでもいけます」
「……よしっ」
ノックして入ってきた執事からの連絡。
その時は、もう目の前にまでやってきていた。
テラは俯いて、立ち尽くしている。
「テラ、僕の幸せを願ってくれるかい?」
「……はい、もちろんです」
震える声で言葉を投げかけてくれる。
我ながら酷いことをするものだ。
「行ってくる」
それだけ告げて、部屋を後にする。
「……よろしいのですか?」
「……もう決めたことだ。僕は−−僕の運命を迎えに行く」
細工は流々。
決め台詞もばっちり。
再び指輪に触れると、いつにない熱を持っていて。
貴婦人も近くまできている。
さあ、後世まで受け継がれる最高の瞬間を今、この手に−−。
◇◆◇◆
「ご来場の皆様方! 本日はこのような場へお越し頂き、誠に感謝申し上げます」
光差し込む窓を開け、大観衆が待つ庭先へ。
演技ぶって一礼すれば、一斉に拍手が湧き、すぐに鎮静する。
全体をぐるっと見渡してみる。
身分、性別、年齢関係なく、大勢の人がこちらをみていた。
ここにきたころは、注目されることに慣れず、常に誰かの影に隠れていた。父上、執事、召使い、グリィ伯父様、ああ、テラの後ろに隠れたこともあったっけ。
あれから15年。
独りで立つのも今日が最後。そして二人で立つのも今日が最初。
ふと、視線が止まる。
バルコニーから広がる景色の端、厳しい目を向ける父の姿があった。
その隣には空の国−−百年来の対立関係にあり、数年の休戦を経てようやく和平を結ぶまでに至った隣国の使者の姿もある。
みんなが、僕を見ている。
無意識にポケットの指輪に手を伸ばしていた。
彼女は何処かにいるらしい。
「−−さて、このような天下で皆様をお待たせするのは忍びなく、早速広間にて宴を楽しんで頂きたいところですが……その前に、私からご報告があります。ご承知の通り、我が一族は皆、20歳までに生涯を共にするパートナーをご紹介して参りました。そして、私も長年、その相手を探して奮闘していたことは皆様もご承知のはず。実際に対面した方もいらっしゃることでしょう。随分とお待たせしてしまいましたが……私はようやく心より愛することのできる女性と巡り会うことができたのです」
突然の発表に群衆はもちろん、来賓席、そして一族たちもざわつき始めた。
加熱する指先。
彼女は、すぐ近くまで来ている。
「その方は可憐で、優美で、しかしながらしっかりと己を持つ、強い女性でした。そんな彼女の心に触れ、私は虜になってしまったのです」
胸に手を当て、芝居掛かった仕草で語りかける。
彼女は本当に素敵な人だった。
偽りでもなく、本心から。
出会ってからこの時まで。
忘れる瞬間が一秒たりともなく。
太陽のような笑顔が欲しい。
潤しい瞳でずっと自分を見て欲しい。
全てを知りたい。その肌の心地よさから、心に秘めた感情まで。
すべて−−僕のものにしたい。
「ご紹介しましょう。私の運命の人は−−−−!」
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