夏の思い出

 消灯させた真っ暗闇の部屋の中。月宮つきみや静夜せいや三葉みつばしおりは、互いに背を向けてベッドで横になっていた。


「……」「……」


 夜も更けた23時。明日から始まるインターンシップに備えてそろそろ寝ようと言い出したのは静夜と栞のどちらだったか。


 揃って就寝の体勢に入ったにもかかわらず、二人の意識は未だにはっきりとしていて、全く寝付ける気がしない。

 目は冴え渡り、つけっぱなしにしている冷房の雑音は沈黙の狭間に溶けて消え、背後のすぐ近くにいる相手の息遣いを強く感じる。

 気まずいと言ったらなかった。


「……静夜君、まだ起きとる?」

「……うん。何?」


「寒いかったら冷房、消してもええんやで?」

「大丈夫。栞さんは?」


「ウチも平気。って言うか、夏はクーラー消してまうとすぐに暑なって寝れへんから、このままの方が助かるわぁ」

「……この辺りはしばらく熱帯夜が続くって」


「ほんならこれが正解やね」

「そうだね……」


 互いの顔が見えないせいか、いつもより会話がぎこちない。


「……ふふふっ」


 何がおかしかったのか、栞が不意に笑みを吹きこぼす。


「どうしたの? 急に……」


「ごめん。ただ、ちょっと思い出してん。ちょうど去年の今ぐらいの時期に、サークルの先輩たちと泊まりがけの心霊スポット巡りに行ったやん? そう言えばあの時もウチらはこんな感じで一晩中一緒におったなって……」


「ああ、あの時ね……。でも、あれは野外のキャンプ場だったし、僕たちはテントの外で座って話していたから、今とはちょっと状況が違うんじゃない?」


「せやけど、真夏の夜に二人きりなのは一緒やった。……今と違うんは、怖くて怖くてたまらんかったってことだけやな……」


「そう言えば、栞さんが一番怖がってたよね?」


「わ、笑わんといてよ、静夜君! だって初めてやったんやもん! 幽霊さんとはっきり目があって、襲われそうになったのって……」


「本当は幽霊でも妖でもなくて、タチの悪い人間の悪戯だったけどね……」


 何があったのかというと、それは一年前の夏休み。静夜と栞が籍を置くサークル、民間伝承研究会の一部のメンバーで心霊スポット巡りという名のキャンプ旅行をした際に、本当に幽霊に出くわしてしまった、という話だ。


 静夜と栞を含めた男女混合8人のグループは大きなワゴン車をレンタルして、深夜に白い服を着た長い黒髪の女の幽霊が現れると噂されるとある山道に向かい、道の端に佇む不気味な女性の影を目撃した。


 最初は車で通り過ぎてしまい、確認のために一度車を降りて歩いて戻ると、その女性はいなくなっており、見間違いだったのかと首を傾げながら車に帰ると、車の傍には白装束に身を包んだ長い黒髪の女性が立っていて、というどこかで聞いたことのあるような心霊体験だ。


 あの時は、静夜以外の全員がパニック状態に陥って大変だった。


 幽霊に背を向けて一目散に走って逃げ出す運転手。腰を抜かして立てなくなる先輩。効果があるか分からない除霊アイテムを大量に取り出して何故か過去の浮気を懺悔ざんげし始めるサークルで一番のイケメン。


 栞も言葉を失って呆然と立ち尽くしてしまい、静夜は全員を落ち着かせるためにだいぶ骨を折った。

 全員が正気を取り戻す頃には女の幽霊はいなくなっていて、静夜たちは周辺を入念にチェックしてから車に乗り込んで、逃げるようにキャンプ場へと引き返す。


 しかし、さらなる問題が起こったのは、キャンプ場に帰った後だった。


 サークルの中でも屈指のお調子者で、心霊スポット巡りの時はずっとムードメイカーの役割を担っていた男の先輩が、空気を和ませるためなのか、こんな冗談を口にした。


「もしかしたらあの幽霊は、この中にいる誰かに取り憑いていて、キャンプ場にまでついてきちゃったかもしれないな」と。


 これを聞いた栞は苦笑いを浮かべるどころか余計に恐怖を煽られて、冗談を真に受けてしまった。


 みんなで車に戻った時、栞はくだんの幽霊の視線をはっきりと感じ取ったという。しかも、足がすくんで動けなくなった彼女に、幽霊はゆっくりと近付こうとしていた、とも。


 静夜が先輩たちの混乱を鎮めるために奔走している間の出来事で、実際に危害を加えられた訳ではなかったが、彼女に恐怖を与える効果は十分にあったようだ。


 三葉栞は、その簪につけた『厄除けの鈴』の効果によって妖などの危険な存在から自身の存在を隠すことで身を守っている。そのため、陰陽師よりも強い霊感を持っていながら、彼女は怖い思いをした経験がほとんどなかった。


 妖に襲われそうになったのはあれが初めてだと語る栞に、怖くて眠れないから話し相手になって欲しいと必死に頼まれたことを静夜はおぼろげに思い出す。


「……あの時は、どんな話をしたっけ?」


「う〜ん、あんま覚えとらんけど、静夜君が質問して、ウチばっかり話しとったような気ぃする」


「あれ? そうだっけ?」


「そうやったと思うで? あの頃の静夜君って自分のこと全然話してくれへんかったし、妖花ちゃんのことを知ったのも冬になってからやったやん?」


「……」


 それを引き合いに出されると、静夜には返す言葉がない。


「……妖花ちゃんのこともそうやけど、静夜君って秘密主義やったよね? 陰陽師協会のこととか、ウチの『厄除けの鈴』のこととか、……舞桜ちゃんの時だってウチには内緒やったし……。まあ、ウチも何も訊かへんかったから、おあいこやけど……」


「……あまり深く関わって欲しくなかったんだ。陰陽師の世界は闇が深いし、危険だから」


「……」


 そんな静夜の気遣いは、栞も理解しているつもりだった。


 その一方で、心のどこかでは密かにこんな期待をしてしまう。


「……何かあったら、静夜君が守ってくれるんやないの? ……あの時みたいに……」


 初めての恐怖に身体が震えた、真夏の夜。

 山間にあるキャンプ場の夜風は少し肌寒く、ガスランプ以外に灯りのない、常闇の中。

 世界が静まり返った午前2時。栞がようやく白装束の幽霊のことを忘れ始めた頃。


 まるで見計らっていたかのように、長い黒髪の女は再び静夜たちの前に現れた。


 長すぎる前髪の間から覗く口元は両端が不気味に吊り上がり、獲物を見つけた悪霊は、ゆっくりと静夜たちの方へ歩み寄って来る。

 お調子者の先輩が言っていた通り、幽霊はキャンプ場まで自分たちを追ってきたのだと、栞は悲鳴すら上げられずに腰を抜かして動けなくなってしまう。


 震える彼女を見て静夜は「大丈夫だよ」と力強く頷き、その肩に手を置いた。


 白装束の幽霊なんて、デタラメだ。


 栞が偽物だと気付けなかったのは、襲われそうになったという恐怖が先に立ち、冷静に見極めることが出来なかったからだろう。


 相手が妖だろうと、幽霊だろうと、人間だろうと、自分に害をなそうとする存在は何でも怖い。


 面白半分で心霊スポットにやってくる人たちを軽く脅かすだけであれば見逃してやろうと思っていたが、キャンプ場にまで追いかけてくるのはさすがに度を越しているので、静夜はその後、幽霊になりすまして現れた不審人物をらしめた。


 白装束に長い黒髪のカツラをかぶって幽霊のふりをしていたのは、静夜たちと同じ年頃の若い男子大学生だった。ビデオカメラを持った仲間も数人いたので一緒に縛り上げて事情を吐かせると、彼らは駆け出しのYouTuberらしく、動画の企画のためにこのような悪戯を仕掛けては、その様子を撮影していたそうだ。

 今回は特に、栞や先輩たちのリアクションが良かったため、追撃を仕掛けるべくキャンプ場までついて来たと言う。


 ちなみに、例の山道を管理する自治体やキャンプ場の関係者に対し、撮影の許可などは何もとっていないとのこと。


 到底許されることではないので、静夜は陰陽術も使って軽く彼らを脅かし、ビデオカメラのデータを全て削除させてから迷惑な自称YouTuberたちを解放した。


 真相が分かってしまえば、それはただの笑い話であり、忘れられない夏の一夜の思い出となる。

 あの事件以降、静夜と栞の距離はますます縮まったように思う。

 特に栞は、それ以前にも増して静夜のことを頼りにするようになった。


 何かあっても月宮静夜が守ってくれる。そんな信頼を寄せている。

 当の静夜には、その信用がかえって心苦しかった。

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