第3話 インターンシップ前日
悪友の悪戯
お盆の休みが明けた八月の後半。
明日から始まるインターンシップのため
東京に来るのが初めてだという栞は新幹線に乗る前からそわそわしていて落ち着きがなく、駅から外に出た時は人目も
「ふわああああ! これが、……東京!」
完全にお
人の多さも建物の高さも、大阪駅の周辺と大差ないように思うのだが、東京というだけでどうしてこうも反応が違うのか。
何度か東京に来たことのある静夜は街並みよりも人の視線の方が気になった。
栞の様子を好奇の目で見て笑う人。そんなの関係なく彼女に見惚れて立ち止まる人、そして、その隣に立つ静夜を見て、不釣り合いなカップルだと訝しむ人。
栞の美貌と可憐さは大都会東京でも十分に通用することが分かったところで、静夜は彼女の手を引いて駅前の人混みから脱することにした。普通に恥ずかしかった。
それから二人はいくつかの地下鉄を乗り継ぎ、インターンシップが行われるスノーフォックスの本社近くの、
当然、普通のビジネスホテルだ。
あの康介のことだから、放っておくと絶対に学生らしからぬ、無駄に豪華なホテルを手配するに違いないと思い、静夜は普通のホテルにして欲しいと強く要望した。
ちなみに、宿泊費や東京までの交通費はスノーフォックスが会社として出してくれるらしい。これもインターンシップの経費の内だそうだ。
日も傾き始めた夕暮れ時。ホテルのエントランスに入り、ようやく都会の暑さから解放されたことに安堵する。スーツケースを引いて東京の人混みを歩き回った疲れがどっと押し寄せて来た。汗もかいたし、早くシャワーを浴びたい。
ホテルの部屋のきれいな浴室に期待を込めながら受付で名前を告げた静夜たちは、ホテルマンからカードキーを受け取り、そこで呆然とした。
カギが、一つしかない。
「……」「……」
互いに見つめ合い、瞬きする二人。
背中にかいた汗が冷房の風で急激に冷えていくのを感じながら、静夜は受付の男性に確認した。
「……あの、シングル
「いえ? ダブル
「今から部屋を変えてもらうことは出来ますか?」
「申し訳ございませんが、本日は満室となっております」
「……ちなみに、この部屋ってベッドは二つですか?」
「いいえ。ダブルサイズのベッドが一つでございます」
パソコンの画面に目をやって、にっこりとお手本のような笑顔を見せるホテルマン。
確信した。
どうやら静夜たちは、あの悪戯好きな悪友にまんまと嵌められたようだ。
『あれれ~、おかしいなぁ。俺は絶対に、間違いなく! 一人用の部屋を二つ頼んだはずなんだけどなぁ……?』
「嘘をつけ! ご丁寧にベッドが一つしかないカップル専用の部屋を予約しておいて、今更惚けても無駄だ!」
部屋の中には本当にベッドが一つしかなかった。
二人で寝るには十分な大きさであり、交際しているわけでもない年頃の男女が適切な距離を保って寝るには不十分な大きさのベッドが一つだけ。
これはいったいどういうことだ! と、このホテルを手配した張本人に電話をかけて怒鳴りつけたところ、坂上康介から返って来た答えは案の定ふざけたものだった。
『まあまあ、そうかっかしなさんなって。別にいいだろう? 知らない仲でもないんだし』
「いいわけあるか! 僕たちは遊びに来たわけじゃないんだ!」
『じゃあ遊びだったら良かったのか?』
「そういう話じゃない!」
「まあまあ静夜君、そないに怒鳴ったら他の部屋のお客さんに迷惑やで?」
「……むしろなんで栞さんはそんなに落ち着いてるの?」
「え? そ、それはたぶん、静夜君がウチの分まで怒ってくれとるからやない?」
静夜を
「栞さんも怒っていいんだよ? ちゃんと別々の部屋にしてねって頼んでなかった僕も不注意だったし……」
「ううん。ウチもその辺のことは任せっきりやったし、新幹線のチケットまで取ってくれたんやから、文句言うんは違うかなって……」
「た、確かにそれを言われると何も言い返せないけど、……でも、これは絶対にわざとだよ?」
「せやけど、今から部屋を変えてもらうのは無理なんやろ?」
『ああ! もうその部屋でインターンシップが終わる日の夜まで取っちゃったし、そこのホテルはこの先一週間は満室! 今日だけ我慢すれば済むってわけでもないし、宿泊代の方は既にスノーフォックスに請求しちまったから、別のホテルを探して泊まるなら静夜が自腹で払えよ?』
「……このっ!」
用意周到な康介の企てに思わず汚い言葉が口から出そうになった。
「……分かった。じゃあその辺の公園で野営でもする」
「え? ちょっと静夜君! それはあかんって!」
荷物を持って出て行こうとする静夜を栞が引き留める。
「放して、栞さん。さすがに五日間もこの部屋で一緒にっていうのは不味いよ」
「せやけど、五日間も野宿なんて危ないし、ウチだけでこの部屋使うんは申し訳ないし……」
「そこは気にしないでよ、栞さん……」
彼女にそんな悲しそうな顔をされると、逆に静夜の方が申し訳なくなってくる。
『いいじゃんか、静夜! 女の子と部屋で二人きりってのには慣れてるだろ? 大学に来るまでは
「妖花は妹だし、舞桜はただの居候だ!」
右手のスマホから会話に割り込んでくる康介の声がすごくウザい。
『妹は妹でも、妖花ちゃんは血の繋がらない義理の妹だし、舞桜ちゃんに至っては完全に赤の他人じゃん……。じゃあ何か? あの二人は良いのに、栞ちゃんと同じ部屋で寝泊まりするのは嫌だってことか?』
「べ、別にそんなことは言ってない!」
いきなりなんてことを言い出すんだ、この男は。
嫌ではない。嫌ではないからこそダメなのだ。
静夜は栞のことを、何とも思っていないわけではないのだから。
「……む、むしろ、栞さんの方が嫌なんじゃない? ここでこれから五日間も男と一緒は困るでしょ?」
静夜はある種の逃げ道を求めて栞に問いかけた。
女性の立場からすれば、この展開は普通に嫌で、困るはずだ。
付き合っているわけでもない男と日中の活動も含めて四六時中、寝ても覚めても一緒に居るなんて耐えられるはずがない。
仮に静夜が栞の立場だったら相手の男を殴り飛ばしてでも追い払っているところだ。
彼女に拒絶されてしまうのは辛いが、今はそれでも構わないと覚悟した静夜に対し、栞は少しの沈黙の後、頬を赤らめて首を横に振った。
「……う、ううん。……ウチは、嫌やないで? 確かに困ることはあるやろうし、他の男の人やったら絶対に嫌やけど、……静夜君とやったら、ええよ?」
「……」
胸の前でぎゅっと手を握り、潤んだ瞳の上目遣いでそんなことを言われてしまったら、静夜はもう逃げられない。
『……おい、静夜、栞ちゃんに恥かかすなよ?』
冷やかしの一言がカチンと頭に来たので、静夜は無言のまま康介との通話を切断した。
こうして、月宮静夜と三葉栞はホテルの同じ部屋から四日間のインターンシップに通うこととなった。
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