小さな火もやがては大きな炎に育つ

「……やっぱりその〈証明〉は、お義母様らしくないです。自分が見たいものだけを見て、都合の悪い現実からは目を逸らすような真似は、今まで真摯に子どもたちと向き合って来たあなたには似合いません。……この〈証明〉は間違っています」


「……〈証明〉を否定するということは、私の〈存在の定義〉と私そのものを否定するということです。それは陰陽師にとっての人格否定であり、最大の侮蔑に値します。それを分かった上で言っていますか?」


 陸翔りくとは顔を上げ、絹江きぬえ女史の目を真っ向から睨み返し、頷いた。


「……はい。……あなたは、間違っています」


 力強い言葉に、それを聞いた静夜たちは息を呑む。

 そして絹江女史からは、今までに感じたプレッシャーが生温く思えるほどの鋭い殺意がひざまずく青年に向けられた。


 怒った、というわけではない。今のやり取りは、陸翔が自ら「自分を殺して下さい」と首を差し出したようなものだ。絹江女史はそれに答えただけに過ぎない。


 これは陰陽師にとっての暗黙の了解。禁句の一つだ。


 相手の存在そのものを否定した者は、報復として殺されても文句を言えない。


 むしろ、〈存在の定義〉を否定されて、相手を殺さなかったということはすなわち、その否定を受け入れたことになり、自分の〈存在の定義〉を自分で否定することになってしまう。


〈証明〉の最中であればなおのこと、それは決して聞き捨ててはならない発言なのだ。


「娘と結婚できないのなら死を選ぶ、ということですか……。なんとも愚かな選択ですね」


「陸翔さん! 今すぐ発言を撤回して謝罪して下さい! 今ならまだ間に合います!」


「ダメだよ、月宮君。……男が一度口にした言葉を曲げてはいけない。それが自分の心からの言葉であれば、なおさらね……」


「馬鹿かお前は! 死んだら元も子もないだろうが!」


 舞桜も声を張り上げる。陸翔は首を横に振り、絹江女史は一枚の呪符から槍を取り出して刃先を彼に向けた。


「今更撤回しても許しませんわ。一度口に出した言葉をなかったことにはできません」


 未だ眼球の中に閉じ込められている椿つばきは、さらに激しく結界を叩いて何かを訴えている。どうやら結界の外の音や声は彼女にも聞こえているようで、その大人びた顔は既に涙でぐちゃぐちゃに崩れてしまっていた。


「……ごめんな、椿。……やっぱり俺たちは、結ばれない運命だったのかもな……」


 愛する人を最期にその目に焼き付けて、陸翔は満足したような表情を浮かべた。


「お別れはもう十分かしら?」


「……ええ……。生まれ変わって出直してきますよ。今度は、彼女と一緒に生きられる星の元に……」


 絹江女史が槍を振りかぶる。投擲でとどめを刺すつもりのようだ。


 静夜は迷わず陸翔の前に立ち、防御の結界を展開した。

 何の術にもかかっていないただの投げ槍なら、結界で防げないはずはない。


 だがそれも、京天門絹江の〈証明〉の中では無意味な抵抗に過ぎなかった。


「馬鹿ね……」


 一度目を閉じ、再び見開いた瞬間、静夜が後ろに庇ったはずの陸翔は絹江女史の目の前に連れ出される。

 彼女の視界に囚われている以上、彼女の見た先には必ず、そこに魅入られた人物が存在する。

 全ては彼女が思い描いた通りの光景が現実となるのだ。


 つまり、この〈証明〉において京天門絹江の攻撃は絶対に躱せない。

 結果は、過程を踏む遥か以前から既に決められている。


 二人の距離は一足一刀。静夜たちからは遠く離れて手が届かず、振り下ろされる槍の一撃を防ぐことは最早叶わない。


 死を悟った男は、雲に覆われた夜空を見上げた。月も星もない暗闇には、愛する人を閉じ込めた忌まわしい眼球が地上を見下してわらっている。


 あの結界さえなければ、彼女を縛り付ける京天門のしがらみさえなければ、きっと自分たちは幸せになれたのに、そうではなかった人生を呪って、陸翔は世界に別れを告げた。――


 ――パリーン! と、耳を劈く破砕音が響き渡ったのは、その直後。


 絹江女史の槍が、陸翔の心臓を貫く寸前に、彼の死を拒んだ世界が産声を上げた。


「――もうやめて! お母さん!」


 嘆きと悲しみに満ちた叫び声が天から降り注ぐ。

 自らを閉じ込めていた母の結界を打ち破り、京天門椿はさらに強く拳を握った。


「椿……ッ!」


 娘に結界が破られたことを察して、絹江女史は即座に振り返る。

 椿は愛する人を守るために、そして己を縛る血筋の呪いから解放されるために、切なる願いを込めて拳を振るった。


「――蒼炎寺拳法そうえんじけんぽう紅庵寺流こうあんじりゅう、〈星火燎原せいかりょうげん〉!」


 絹江女史は槍を構えて椿の拳撃を受け止める。


 空中の結界から落ちて来た位置エネルギーを加えても、女性の腕力では槍の柄を折ることも出来ない。


 しかし、蒼炎寺拳法・紅庵寺流の一撃は、触れた槍に小さな火を灯すと、それを瞬く間に大きく広げて相手の全身を包み込み、激しく炎上し始めた。


 予想外の奇襲と燃え上がる炎に気を取られて硬直する絹江女史。

 両足で華麗に着地した椿はこの隙に陸翔を抱きかかえ、屋敷の門を目指して地を蹴った。


「月宮君たちも! 今のうちに早く逃げて!」


 茫然とする静夜の横を走り抜け、椿は陸翔を連れて屋敷の門を跳び越えてしまう。

 まさに電光石火。椿が自力で結界を破ったかと思えば、次の瞬間には母の隙を突いて戦線離脱を果たしてしまった。

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