開眼
呪符が陸翔へ向けて投げられる。足の動かない青年は逃げることも出来ず、見えない力に吹き飛ばされて敷地の外まで追い出される、――はずだった。
放たれた呪符が、目の前を横切った何かに攫われて消える。
「え?」
目で追うと、呪符を貫いた黒塗りの刃物が庭の植木に突き刺さって止まっていた。
「……あれは、クナイ?」
何か良くない気配を感じ取り、咄嗟に大きく後退する絹江女史。陸翔がクナイの飛んできた方向へ顔を向けると、肩で息をする一人の忍びが闇の中から追撃の手裏剣を構えていた。
「
闘牛の相手をしている静夜も彼女に気付いて声を飛ばした。そっくりな双子のため、片方しかいないと呼び名に困る。
「萌依ッス、先輩! ……はぁあ、やっと出られたッスね。捕まって結界の中に閉じ込められた時はもうダメかと思ったッス……」
「おや、出てきましたか……。あなたたちを閉じ込めた独房の結界はすり抜けも出来ないよう綿密に作り込んだはずですが……」
「だからこんなにも時間がかかったんスよ! 前の時だってちょー大変だったって言うのに、ドジったッス……。あ! それからアタシのスマホ、どこにやったッスか?」
「お前のスマホなら、京天門の次女が持ってて、確か路上に捨てられて壊れてなかったか?」
「ハァア⁉ ……あの女、今度会ったらもっかい縛り上げて、絶対に弁償させるッス!」
「そんなことより、萌依一人だけ? 萌枝とは一緒じゃないの? 椿さんは?」
「ああ、それなら心配無用ッス!」
矢継ぎ早に質問を重ねる静夜の方を振り向き、萌依が得意気に笑って見せると、彼女の後ろの障子戸が水面のように波打って、身体を透過させた萌枝と椿が姿を現した。
「椿! 無事だったのか!」
「……陸翔さん!」
三日ぶりの再会を果たしたカップルはお互いに声を上げる。
萌依と萌枝は捕まった汚名を返上するように絹江女史を出し抜き、椿の救出を成し遂げてくれたようだ。
「先輩たちがおばさんの目を引き付けてくれたおかげでこっちは動きやすかったッス! ま、何重にも張られた結界をすり抜けるのは、さすがにアタシらだけじゃ無理だったッスけど……」
「月宮君! 母の結界は強力なものほど効果範囲が狭くなるわ! もう少し離れれば、〈
闘牛の式神に翻弄される静夜に気付いて、椿が助言を飛ばした。
身内の術だからか、それとも陸翔から教わったという紅庵寺流の技の恩恵か、彼女には見えるはずのない結界の展開状況が読み取れるようだ。
静夜は椿の言葉を疑うことなく即座に後退し、突進してくる猛牛を敷地の隅まで誘い出した。
結界術〈画竜点睛〉の外ならば、月宮一族の秘術は息を吹き返す。
「――月宮流陰陽剣術・七の型〈
夜色の刀身が牛の額に突き立てられた。刃が肉を裂いて突き刺さる確かな手応えの後、呪いによって傷口が全身を駆け巡って広がり、バラバラに斬り刻まれた式神は依代となった呪符に戻って姿を消した。
椿の言う通り、刀の使用を封じる〈画竜点睛〉の領域は敷地内全体に広がっているわけではないようだ。
「……なるほど。椿が手を貸したから、結界のすり抜けも上手くいったのですね……」
娘の裏切りと反抗を目の当たりにして、母の顔には失望と寂しさが映った。
「……お母さん、ごめんなさい。……でも、こうなってしまった以上は、もう私もこうするしかないの!」
椿は躊躇なく屋敷を取り囲む塀の外に向かって駆け出す。萌依と萌枝も後に続いた。
「待ちなさい!」
絹江女史が娘たちに気を取られたこの隙に、舞桜が動けなくなってしまった花婿を抱え上げる。
「お前も行くぞ、
静夜もまた門の外を目指して飛び出した。脱出の障害となる屋敷全体を取り囲んだ結界を斬り破るべく、再び
誰よりも速く外周の結界へとたどり着き、静夜は左手の小太刀で退路を切り開こうとした。
「――月宮流陰陽剣術・八の型〈破月〉!」
今度こそ、静夜の夜鳴丸が絹江女史の鉄壁を打ち破ると確信した一太刀は――、
「――は?」「――え?」
――振り下ろす直前で突然目の前に現れた竜道院舞桜を誤って斬り裂き、彼女の憑霊術を強制的に解呪させた。
「――言ったはずです。娘を守ることこそ、親である私の使命である、と」
刃を掠めた肩口から舞桜の鮮血が飛び散る。
憑霊術による筋力の増強を失った華奢な少女は、刃を躱そうとした拍子に体勢を崩し、抱えていた陸翔の身体を宙に放り投げて地面に倒れた。
「……ど、どうして舞桜が? もっと後ろにいたはずじゃ……?」
「先輩、後ろ、避けて!」
狼狽える静夜が鋭い声につられて振り返ると、目の前には何故か忍びが投げた思われる手裏剣やクナイが迫って来ている。
反射的に小太刀で弾こうとするも、避けきれなかった凶器が一つ、静夜の足を掠めて怪我を負わせた。
おかしい。明らかに何かの術に掛けられている。
屋敷の外を目指していたはずの静夜たちはいつの間にか元居た場所に戻されていて、萌依と萌枝もいつの間にか腕や足に軽傷を負っていた。
「……つ、月宮君、……椿は?」
投げ出されて地に伏せる陸翔は、泥で汚れた顔を上げて彼女の安否を気に掛ける。
ハッと我に返って周囲を見回すと、全員の視線がとある一点に集まって硬直した。
「……な、なんスか? アレ……」「分かんないッスけど、なんかとてつもなくヤバそうってことだけはビンビンに伝わって来るッス……」
冷や汗を滲ませる双子の忍び。静夜も舞桜も息を呑んで、陸翔もまた言葉を失っている。
「……椿が閉じ込められているアレは、……結界、なのか……?」
舞桜の言葉からは迷いと混乱が窺えた。
確かに京天門椿の身柄は、浮遊する球体上の物体の中に封じ込められていた。だがそれは、結界と呼ぶにはあまりにも異様な模様を浮かべている。
大部分の表面は半透明の白色で、赤いひび割れのような模様が不規則に刻まれ、中央には黒い円形の何かが一つの生き物のようにキョロキョロと球体の表面をあちこちに行き来している。
否。それは生き物というよりも、まるで、――
「――眼、球?」
京天門椿は、巨大な眼球の中に囚われていた。
「……『目に入れても痛くない』という言葉がありますでしょう? これはまさに、そのたとえを体現した術……、私のとっておきです」
全員が一斉に撤退を試みた混乱の渦中で、いったい何が起こったのか。
京天門椿が囚われたあの眼球のような結界は何か。
静夜たちはいったいなぜ同士討ちをしたのか。
何一つ状況が分からない中で、たった一つの事実が彼らにこの事態の異質さを示していた。
――
長女の椿を産むよりも前に視力を失い、以来決して開くことはなかったという両目の瞼が今ははっきりと見開かれ、焦点の定まった瞳は静夜たちの姿を捉えて離さなかった。
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