鉄壁の巫女
「……なんだ、今のは……? 手応えがまるでなかった」
「法陣もちゃんと発動してるのに、どうして立っていられるんだ……?」
幻想が生み出す霊峰の重量に押し潰されるはずの絹江女史は
陸翔に抉られたはずのみぞおちにダメージを受けている仕草もない。
「ここが京天門の、……私の用意した要塞であることをお忘れですか? 地の利はこちらにあるのです」
指先すら動かせない状況になって今更、静夜たちは自らが相手の掌の上であることを思い知った。
「……――や、破れ!」
舞桜が言霊を使って力づくで緊縛の結界を壊す。
空間全体に作用する結界術は一度の発動で複数人にまとめて効果を及ぼすことが出来る一方、そのうちの一人にでも破られれば捕らえた全員に抜け出されてしまうという欠点を持つ。
「静夜!」
故に、舞桜はすかさず彼の名を呼んだ。理由は言われずとも分かっている。
自由を取り戻した静夜は、この要塞を形作っている複数の結界を解呪すべく左手に握る小太刀、愛刀〈
夜色の霞が月明かりに煌めく刀身を覆い隠す。
禹歩を使い、一足跳びに間合いを詰めた。
「――月宮流陰陽剣術・八の型、〈
横一文字に小太刀を薙ぐ。あらゆる術法を打ち破る八の型で術師を斬ると、その術師が発動させている全ての術を一度に消し去ることが出来る。
刃は確実に、印を結ぶ絹江女史の手を捉えた。
「……え?」
静夜は愛刀を払った体勢のままで固まり、驚愕にあえぐ。
夜鳴丸は、絹江女史の両手をすり抜けて、虚空を通り過ぎたのだ。
「――蒼炎寺拳法、――!」
静夜以上のスピードで背後に回り込んでいた陸翔が結界の解呪を見計らって技を放つ。
「――〈
しかし、渾身の踵落としは絹江女史を仕留める直前で防がれ、陸翔の身体は衝撃に跳ね返されてしまった。
「どういうことだ⁉︎」
結界が破られていない。静夜の月宮流陰陽剣術が効いていないことに、舞桜も驚きの声を上げた。
「……結界術〈
恭しく一礼する絹江女史。確かに静夜の夜鳴丸は彼女の両手を斬ったはずだが、そこにはかすり傷の一つもなく、八の型〈破月〉が発動した感覚もなかった。
事実、敷地内を覆い尽くすいくつもの結界は未だに健在。陸翔の技も弾かれている。
静夜の月宮流陰陽剣術を封じたというのは、嘘でもハッタリでもないようだ。
「舞桜! 代わりにその結界術だけでも言霊で破れないか? さっきやったみたいに」
「いや無理だ! 他にもそれを妨害する結界が何重にも張り巡らされている。結界一つならなんとかなるが、やはり元を断ち切らないと意味がない!」
「でも、今の絹江さんには……!」
どんな攻撃も陰陽術も、何も効かない、効いていない。
まさに『鉄壁』。彼女に与えられた二つ名の重みを、静夜たちはその身を持って味わっていた。
「では、次は私の方から参りましょう」
玄関の屋根から飛び降りてきた絹江女史は袖から一枚の呪符を取り出して念を込める。召喚したのは、牛の式神。体は静夜の背丈よりも大きく、耳の横から生えた二本の角と細くしなやかな脚を見る限り、それはまさしく荒れ狂う闘牛の類だった。
「蹴散らしなさい」
石畳に
「――〈
展開した領域内にいるものの動きを制止させる結界が猛進する牛の身体を縛り上げようとする。
しかし、スピードを上げる怪物は、静夜の結界をものともせずに押し破り、その速さと力強さを猛然と示した。
「結界術〈
静夜の結界術や法陣が通用しなかったり、舞桜の桜火が効かなかったりしたのは、まさにこの結界が原因だ。念の流れが一方通行であれば、相手に直接作用する術法は何も届かない。
「だったら、直接の物理攻撃なら……!」
陸翔が術を介さず、己の拳で絹江女史本人に殴りかかる。
盲目の女性に背後から襲い掛かる攻撃がいくら卑劣であろうと、相手が相手では手段を選んでもいられない。
対する絹江女史は、そんな負い目すらも嘲笑うように陸翔の拳を直接掌で受け止めた。
「そ、そんな馬鹿な……!」
「結界術〈
手首を翻して陸翔の腕を掴み、合気道の要領で彼を中空へと投げ飛ばす。たとえ女性でも念の制御に長けた術師なら自身の筋力を法力で補うことなど造作もない。だが結界術を主軸として戦う彼女に近接格闘の覚えがあるとは驚きだ。
空中に放り出された陸翔へ向けて、絹江女史は追撃の呪符を投げる。狙いは正確無比。陸翔は禹歩を使って躱そうとするが、呪符は狙いすましたかのように至近距離で爆発し、爆風によって陸翔は地面に叩きつけられた。
「陸翔さん!」
猪突猛進の闘牛を小太刀でいなしつつ静夜が叫ぶ。
「他人の心配をしている場合か!」
舞桜は言霊も桜火も銃弾すら弾き返す猛獣を相手に苦戦を強いられる。
陸翔は全身を強く打った衝撃で暗示が解け、足が再び動かなくなってしまった。痛みの走る上半身を何とか起こして、朦朧とする頭でもう一度加持祈禱による両足の再生を試みる。
「そんな無茶を繰り返していたら、そのうち本格的に足が壊れて、どんな小細工をしても動かなくなりますよ?」
大人としての気遣いか、それとも暗に諦めろと諭すためか、絹江女史は往生際悪く足掻く陸翔に歩み寄り、穏やかな口調で告げた。
「加持祈禱による身体機能の回復は諸刃の剣です。頭と体を騙して治ったかのように錯覚させておきながら、その実、問題は何も解決していない。病は気からと言いますが、奇跡を疑えば最後、現実を思い出した身体は、もう二度と絶望から這い上がっては来られません。だからこそ今の京天門は、呪いではなく医学で人を治すのです。まやかしは所詮まやかし。加持祈禱を使うのは本当に最後の手段です。……それに、技術や人の理解が進んだ現代であれば、たとえ足が動かなくても目が見えなくても、十分に豊かな暮らしが出来るものです。私だって、普通に生活するだけならこんな結界の中に閉じこもる必要はありません。人間という生き物は手足が使えなくなったり、目が見えなくなったりした程度で死んでしまうほど弱い動物ではありませんから……」
「……そ、それはつまり、自分の運命を受け入れて諦めろ、って言いたいんですか? ここであなたに勝てないのは、俺の足が不完全だからじゃない。結婚を認めてくれないのは、そもそも俺が紅庵寺の生まれだから、全ては仕方のないことだと、全部を受け入れて引き下がれって、そういうことですか……?」
「その通りです。人は結局、生まれ持った自分の運命からは逃れられないのですから」
娘を愛した青年へ、母が送るのは敗北と諦観。
完成された大人の人生観と、見えないその目で見て来た数々の現実。抗えなかった世界。どう戦えばいいのかすら分からない理不尽という敵を相手に、『鉄壁の巫女』は何度も傷付き、敗北してきた。
故に、京天門絹江は理不尽を振りかざす。
悪意ではなく、もちろん善意でもなく、ただ己の絶望を伝え、世界とはこういうものだと教育する。
それもまた、大人の役目であるという信念の下に。
「……出て行きなさい」
絹江女史は一枚の呪符に念を込めて陸翔に言い渡す。
身動きの取れない青年は、座してそのとどめを待つほかになく、式神に翻弄される静夜と舞桜も、彼を助けに行ける状況ではなかった。
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