第5話 花嫁奪還作戦

出迎える小姑

 深夜の京都、東山区。


 道を歩く人の姿はどこにもなく、妖の気配すらない、穏やかで不気味な夜だった。

 虚ろな信号機が赤から青に切り替わると、東大路通ひがしおおじどおりの沈黙を無遠慮に壊しながら大型トラックが走り去っていく。


 胸騒ぎが収まらず、涼しい夜風が吹く中、静夜は暑苦しそうに上着のジャケットを脱ぎ捨てた。


「落ち着け、静夜せいや。どうして陸翔りくとより、お前の方が焦っているんだ? さっきから念が乱れまくりだぞ?」


 普段の彼らしからぬ狼狽ぶりを見咎めて、舞桜まおはため息をこぼす。

 車椅子から二人を見上げる紅庵寺こうあんじ陸翔りくとは、愛想笑いを浮かべて空気を和ませながら、ちらちらと静夜の持つスマホが気になる様子だった。


「舞桜ちゃんの言う通りだよ、月宮君。椿つばきが無事であることは間違いないんだし、偵察に行ってくれているのは、君のところの忍びなんだろ? そこまで心配しなくてもいいと思うけど……?」


 京天門きょうてんもん本家の屋敷より二キロは離れた索敵範囲外の路上にて、月宮静夜は自分のスマホに百瀬ももせ姉妹からの着信が入るのを待っていた。


 これから彼らが実行しようとしているのは、謹慎処分を受けて実家に幽閉されている紅庵寺陸翔の婚約者、京天門椿つばきの救出。文字通りの花嫁奪還だ。


 屋敷の中に閉じ込められ、外部との連絡手段を絶たれただけで彼女の身に危険が迫っているような状況ではないそうだが、それを無理矢理に外へ連れ出す以上は、侵入する京天門邸の警備体制や花嫁の居場所を予め知っておく必要がある。

 そのための偵察として《陰陽師協会》の忍びである百瀬萌依めいと百瀬萌枝もえの双子を派遣したのだが、彼女たちからなかなか連絡が入らない。


 それに、椿が軟禁されるという事態に陥ったのは自分のせいではないか、という自責の念が静夜から平静を奪っていた。


 三日前、静夜は大学の学生食堂に現れた椿と陸翔に向かって、一度両親と話し合い、結婚を認めてくれるように頼まない限りは、二人の駆け落ちに協力しないと強く言い放った。

 あの後、椿と陸翔は悩んだ末、静夜の言う通りにそれぞれの両親に改めて話をして自分たちの意志を伝えたらしい。


 陸翔の方は、彼の強い思いと意志が伝わったのか明確な反対はされなかったようで、最後には父親が「勝手にしろ!」と叫んで部屋を出て行き、母は悲し気に顔を曇らせながらも息子の気持ちを尊重してくれたそうだ。


 しかし、椿からは三日前に別れてから連絡が取れなくなってしまった。

 両親の説得が難航しているのかと心配し始めた矢先に届いたメッセージは、話し合いの破談と外に出られないように閉じ込められたことを伝えるもの。


 電話やメールではなく、かなり回りくどい方法を使って彼氏に助けを求めてきたことから、彼女が今どのような状況に陥っているのかはある程度推測することが出来た。

 椿と陸翔が本気であるのと同じように、京天門家もまた、娘を嫁に出さないために全力なのだ。


「あー、クソッ! 萌依も萌枝も電話に出ない! もう三十分は経つっていうのに何してるんだ?」


 辛抱堪らずこちらから電話をかけてみても姉妹からの反応はない。いくら不真面目でも、あの双子が静夜からの着信を無視することは滅多になかった。もしかしたら何かあったのかもしれない。


 不穏な想像が脳裏を過ぎって心臓の鼓動が速くなる。滲んだ冷や汗が夜風に晒されて寒気を感じた。

 静夜はもう一度、部下に電話をかける。繰り返されるコール音の後、しばらくしてから今度は通話が繋がった。


 良かったと安堵しかけた次の瞬間、――



『――何度電話をかけて来ても、あなたの後輩は出て来なくってよ?』



 聞き覚えのない声がスマホから聞こえて来て、静夜の思考は吹き飛んだ。


「……誰だ、君は?」


『まあ怖い。……坂上君のお友達というからもう少しチャラチャラした人を想像してたのだけれど、彼と違ってあなたは真面目そうね』


 電話越しに視線を感じて、静夜は即座に振り返る。

 隠すつもりのない気配が路地の影から現れて、声は静夜の耳に直接聞こえて来た。


「――私のタイプじゃないわ」


 通話が切られ、見知らぬ人影は手にしていたスマホを投げ捨てて壊す。双子の姉の萌依が持っていたはずのスマホだ。


 街灯の元に姿を晒した人物は、声もそうだったが顔立ちも何処か椿に似ていた。柔和な彼女から優しさを取り払って、ずる賢さと欲深さを加えると、ちょうど目の前の女性のような雰囲気になるだろうか。


「あ、あおいちゃん?」


 陸翔が驚きと共に彼女の名を呼んだ。

 葵ということは、彼女が京天門家の次女、京天門葵か。


「お久しぶりですね、陸翔さん。ますますいい男になったみたいで……。どうですか? 今夜はお姉ちゃんの代わりに私と遊びません?」


「そんなことより、謹慎中のはずの君がどうしてここにいる? 椿はどうした?」


 陸翔の剣幕に、葵は不快そうな舌打ちを鳴らしてふざけた冗談をやめる。


「チッ、相変わらずお姉ちゃん一筋なのね。……私のことはどうでもいいでしょう? それに、お姉ちゃんが今どうなっているのかはだいだい知ってるはずよね? だからそんな珍しいお友達を連れて来たんでしょう?」


 静夜と舞桜の二人を順に見て、葵は不敵に笑う。彼女が何をしに来たのかは簡単に想像できた。


「ウチに忍び込んで来たあのクソ生意気な忍者たちなら、うちの母親の結界にまんまと引っかかって無様に捕まったわよ? 生きて返して欲しければここで手を引きなさい。……ま、私はあの双子に個人的な恨みがあるからどのみちただでは帰さないけど? ……陸翔さんもお姉ちゃんのことは諦めて下さいね」


 脅迫と警告。

 結界ということは、やはり母親である京天門絹江きぬえもこの件に一枚噛んでいるのだろう。萌依や萌枝がそんなドジをするとは考えにくいが、あの『鉄壁の巫女』がこのような事態を想定して網を張っていたとすれば納得も行く。


 現に、萌依のスマホを持っていたのは葵だ。萌枝と一緒に捕まったという話は嘘や張ったりではないだろう。


「……椿を、返してくれ」


「アハハハ! アハハハハ! いかにもな台詞頂きましたぁ!」


 陸翔の嘆願も、葵は哄笑で払いのけて無下にした。


「そもそも、お姉ちゃんは陸翔さんの所有物じゃないはずよ? 京天門の人間を京天門の家がどうしようと部外者には関係ない。蒼炎寺も竜道院も、《陰陽師協会》だって、これはあなたたちが立ち入るような問題じゃないのよ!」


「子どもは、親の所有物でもない!」


 舞桜が一歩前に出て言い返す。

 家に逆らって出奔してきた者として、葵の言葉は聞き捨てならなかった。


「……そうね、確かにあなたの言う通りよ。だから私も今まで自由にやって来た。今更家の言うことを素直に聞く気にもならないわ……」


「じゃあどうして、俺たちの邪魔をするんだ⁉」


 陸翔は叫ぶ。古臭い陰陽師の家風や仕来りに嫌気が差している者同士、同じ世代の子どもとして分かり合えるはずだと思うのに、葵は陸翔の前に立ちはだかって姉の意志と自由を蔑ろにしようとしている。


「当たり前じゃない。……私はね、私よりも自由な人間が望んだ幸せを手に入れることが心底気に入らないの。こっちはあなたたちのせいであの窮屈な家に連れ戻されたっていうのに、今度は姉の方を連れ出して、好きな人と一緒にさせてやろうっていうわけ? そんなの、面白くないに決まってるじゃない! 邪魔して当然! あの女もしばらくはこの可愛い妹と一緒に、あの家に縛り付けられていればいいのよ!」


 下劣な笑みを浮かべ、平気で人の足を引っ張ろうとする葵は、本当に椿の妹かと疑ってしまうほど、性根が腐り切っているようだった。

 さらに救いようのないことに、彼女はそれを自覚している。


「って言っても、私は姉と違ってお行儀良くないから、すぐにまた出て行くわ。今こうして家の言いなりになってあなたたちを邪魔しに来たのも、謹慎処分を早く解いてもらうための点数稼ぎ。手っ取り早く私の点数になってもらうわよ、お義兄様!」


 敵意と戦意が膨れ上がった。何か来ると察知した静夜たちはすぐに防御の構えを取る。

 葵が右手を払うと、キラリと光った何かが加速して弾丸のように飛来した。

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