気に食わない比較

「……本当に、それでいいんですか?」


 問いかける静夜せいやは声を震わせて、思わず唇を噛み締める。


「家族を説得することも、情勢の変化を待つこともなく、最初から全てを諦めて、それしか方法はないと決めつけて、後戻りができない状況に自分たちを追い込んで、……それで無理矢理にでも我を通そうとするなんて、そんなのは逃げです。立ち向かうことを放棄している!」


 胸の中で痛々しい怒りが込み上げてくる。静夜の声は次第に熱を帯びていった。


「お二人は本当に、それでいいんですか?」


 もう一度。今度はさらに強く、悔しさと息苦しさを詰めた口調で質問した。


「……せ、静夜君?」


 しおりが荒く息をする彼の顔を心配するように覗き込む。

 椿つばき陸翔りくとは怪訝そうに眉を顰めて静夜の様子を伺った。


「……君なら、分かってくれると思ったんだけどな。あの子を、……竜道院りんどういん家の忌み子を受け入れている君なら……」


「……どういう意味ですか?」


 失望と落胆の込められたため息に静夜の表情はさらに険しくなる。何か、とんでもない侮蔑を言われたように感じた。


「俺たちはね、彼女に勇気をもらったんだ。自分のことを認めてもらうために、家や組織に反抗し、手段を選ばず行動を起こした、あの竜道院舞桜まおに」


「……だから、椿さんに一族の秘術を教えて、彼女と同じように《陰陽師協会》を頼って《平安会》を抜けようとしているんですか?」


「それが、俺たちに残された最後の道だと考えてね」


「……」


 卑怯な言い回しだ、と静夜は思った。


 彼らは、竜道院舞桜という前例を引き合いに出して静夜を言いくるめようとしている。

 自分たちの行いを正当化するために聞こえのいい言葉を並べ、舞桜が《平安会》の掟を破って禁術に手を染めたことや、破門になったことを美化して語っている。


「あの子とあなたたちは、全然違うと思います」


 静夜は反論せずにはいられなかった。


「確かにあの子は、母親が勝手に決めた縁談を拒むために憑霊術を覚え、処分を逃れるために家出をし、敵対している《陰陽師協会》に助けを求めてきました。ですが竜道院舞桜は僕と初めて会った時、自分は京都から出ないと言ったんです。……彼女は逃げてない。彼女は、自分の運命と戦うために立ち上がったんです。……どうせ分かってくれないだろうからと自己完結して、親の手の届かないところへ逃げ出そうとしているあなたたちと一緒にしないであげて下さい」


 一番気に入らないと思ったのは、間違いなくそこだ。

 初冬の夜、凍てつく暗闇の中からたった一人で現れた十四歳の少女と、初夏の夜、賑やかな明かりに照らされたクラブの中で待ち構えていた二十代半ばのカップルは、決して重ならない。

 何もない道を手探りで歩いて来た少女と、その道を後からなぞって来ただけ二人は、決して交わらない。

 目指しているものが、根本的に違っているのだから。


「……」「……」


 強い口調で言い放った静夜の気迫に戦き、悲恋のカップルは押し黙る。

 静夜は鼓動を早める心臓を少し落ち着かせて、昨夜からずっと訊いてみたかった質問をぶつけた。


「一つだけ聞かせて下さい。……椿さんと陸翔さんは、出来ることならお互いのご家族にこの結婚を認めて頂きたいと思っていますか? それとも、両親や親族のことなんて最早どうでもいいですか? 周りの人に何を言われても構わないと、本当にそうお考えですか?」


 相手の心の奥を深く覗き込むような目で、静夜は二人を睨み付けた。


 彼らの意志は固い。

 結ばれるためには駆け落ちしかないと考えるに至った背景にも理解は及ぶ。

 たとえそれがどんな犠牲を払うものだったとしても、譲れないものの為に己の存在の全てを賭ける。

 つまらない理由や、下らない意地だったとしても、自らの愚かしさすらも呑み込んで、己が定めた在り方に準じて胸を張る。

 それは陰陽師の生き様としても、人の生き方としても、とても尊いものであると静夜は感じるし、そこはあの桜色の少女にも通じるところがあると思う。


 が、だとしても。


 椿と陸翔にとって最も理想的な未来は、やはり違うと思うのだ。

 本音を見逃すまいと目を見開く静夜の真剣な問い掛けに、射抜かれた二人はきまりが悪くなって顔を背けた。


「……私たちだって出来ることなら認めて欲しい」


「……椿……」


「家柄とか、血筋の繁栄とか、陰陽師のしがらみのことなんて全部忘れて、普通の人と同じようにただ好きな人と一緒になって、それを家族や友人たちに祝ってもらいたい。月宮君の言う通り、それが出来るなら一番だと思うわ。……でも、私たちはそうではないでしょう? 陰陽師の家に生まれて、陰陽師としての力を引き継いでしまった以上は、普通の人と同じには出来ないの。……月宮君も分かるでしょう? あなたとあなたのお友達が生きている世界は、全然違うのよ?」


 椿は悲し気に眉根を寄せて、静夜と彼の隣に座る栞と康介を対比する。

 陰陽師ではない学生二人が言葉を呑む一方で、陰陽師である静夜は表情一つ変えずに異を唱えた。


「分かりません。僕は、自分とみんなのいる世界が別だとは思っていませんので」


 そこまでの自負や自惚れを月宮静夜は持ち合わせていない。

 陰陽師も所詮は、人間社会の一部に過ぎず、同じ世界に生きる同じ人間でしかない。


 共感と賛同を求める椿の言葉をきっぱりと跳ね除けて、今度は静夜の方から突き付けた。


「椿さん、陸翔さん、……一度この件に関してそれぞれのご両親と真剣に話し合ってみて下さい。結婚したいという意志をちゃんと伝えて、認めて欲しいとお願いして下さい。……その話し合いが無ければ、僕はお二人に今後一切協力しません」


「俺たちの依頼を断るって言うのか?」


「そうです」


 強気に頷いて拒絶を表す。譲るつもりは毛頭ない。


「……あのファイルが欲しくはないのか?」


「人質を取らないで下さい。みっともないですよ?」


 陸翔の対抗措置は、静夜の神経を逆撫でするだけだった。


「せ、静夜君、人質って……?」


 不穏な単語を聞いて栞が心配そうに耳打ちして来るが、静夜は「栞さんは気にしなくていいよ」と退ける。


 依頼を受ける交換条件として提示した報酬を脅しに使うなんて卑劣だ。

 そんな苦し紛れの抵抗に素直に従うほど、今の静夜は穏やかでもない。


「僕と舞桜は昨夜、竜道院羽衣はごろもに会いました」


「え?」「何だって?」


 いきなりの報告に二人が困惑するのも無理はない。しかし静夜は元々、昨夜の羽衣との約束を伝えるために連絡を取ったのだ。構わず続ける。


「羽衣は、お二人の結婚について今回は手を出さないと約束してくれました。一門の他の術師にも手は出させない、と。この結婚を利用して京天門きょうてんもん一門と蒼炎寺そうえんじ一門が竜道院羽衣や彼女の母親である千羽せんば千鶴ちづる女史に危害を加えない限りは、成り行きを静観するそうです」


「あの子が、本当に?」「信じてもいい話なのか?」


「本人の口から直接聞いた言葉です。こちらから刺激しない限りは何もしてこないと思います」


 彼女の力は強大で恐ろしいが、一度交わした約束を反故にするような性格には思えない。


「竜道院一門が介入して来ないのであれば、あとは椿さんと陸翔さんの気持ち次第だと思います。きちんと話せば、ご家族も分かって下さるかもしれません。……家のしきたりとか歴史とか、そんな御託を並べて逃げ出す前に、一度真正面から向き合ってみてはいかがですか?」


「……」「……」


 ずっと大きな障害の一つだと考えていた竜道院の壁が突然消え去ったのだ。椿と陸翔は開いたままの口が未だに塞がらない。


「自分たちはもう子どもではないと仰るなら、大人として通すべき筋はちゃんと通して下さい。話はそれからです」


 静夜は最後の台詞を叩きつけて一方的に話を終わらせる。

 最初は同情や憐憫れんびんの情もあったはずなのに、今となっては怒りと悔しさが勝っていた。

 心臓の鼓動は妙に速く、身体は熱くなって不愉快な汗をかいている。

 冷房の効いた食堂から外に出ると、梅雨の晴れ間から覗いた初夏の太陽が湿った空気を熱して暑苦しく、忌々しかった。

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