竜道院家の教育

 母親の千鶴ちづる女史は、娘の発言に頭を抱えている。


「あなたはまだそんなことを言っているのですか? 周りの大人たちの言葉を全て鵜呑みにして信じ込み、自分で考えることをやめてはいけません。羽衣はごろもはご先祖様と同じ力を持ってはいても、ご先祖様本人ではないでしょう?」


「お主はまだ信じてくれぬのか? 妾は力だけでなく、前世の記憶もきちんと引き継いでおる。これを輪廻転生りんねてんせいと言わずして何と言い表すつもりじゃ?」


 娘に現実を悟らせようとする母を見上げて、羽衣は心細い気持ちを落胆のため息に込めていた。

 どうして分かってくれないのかと、あるいは怒りを内に秘めるように。


「お主が家を出て行った二年前も、妾は悪いことなどしておらん! 一門の者は皆、妾のことを褒め称えてくれたぞ? 『よくぞ竜道院りんどういん一門の滅亡を目論む、京天門と蒼炎寺の姑息な企てを打ち破ってくれた』とな。妾たちを仲間外れにして、あやつらは自分たちの一門が栄えることだけを考えておった。妾が天罰を与えてやるのは当然のことじゃった!」


 声を張り上げて自らの正当性を主張する十一歳の娘。

 母はこれに毅然とした態度で応え、娘の間違いを諭した。


「だからと言って、幸せになろうとしていた椿つばきお姉さんと陸翔りくとお兄さんにあんな大怪我を負わせる必要がありましたか? どんなにお父さんたちがいいと言っても、人を傷付けることだけはお母さんが許しません。今からでも二人に謝りなさい。お母さんも一緒に行きますから」


「嫌じゃ! 妾は初代『竜倒りゅうどう』であるぞ? 非を認めてこうべを垂れるなどあってはならん。一門の連中に示しがつかんではないか⁉」


 それは最早、駄々をこねる子どものわがままだった。高価な着物を着つけた令嬢の威厳は既にない。羽衣はさらに言い訳染みた主張を重ねた。


「そもそも、京天門と蒼炎寺が我ら竜道院と並んで京都の御三家と呼ばれておること自体がおこがましいのじゃ。歴史的にも伝統的にも奴らは竜道院の足下にも及ばぬではないか。妾が死んだ後になってから起こった一族のことなど、知ったことではないわ!」


「それもまた、お父さんたちから教わったんですか?」


「だとしたら何か問題があるのか?」


「……」


 そこで千鶴女史は一つため息をつき、静夜たちに向き直って自らに淹れた煎茶をすすった。


「お聞きの通りです。竜道院家や一門の人間は、正しく聞こえる理屈を羽衣に吹き込んで、この子の力を自分たちの都合のいいように利用しようとしています。一族の先祖返りだと信じ込ませて……、まるで洗脳です」


 洗脳。センセーショナルな単語が千鶴女史の口から紡がれる。


 安易に使っていい言葉ではないと思うが、確かに竜道院家の教育はとても恣意的だと感じる。その自覚があるにせよ無いにせよ、母親である千鶴女史が娘の成長と将来を危惧する気持ちは分かる気がした。


 それに羽衣の話を聞く限り、彼女の行動の動機はそのほとんどが一門の大人たちに言われたから、に帰結している。


 普段の振る舞いは、始祖としての威厳を示すことを期待されているため。

 二年前の事件は、竜道院家が窮地に立たされることを防ぐため。


 今の話からすると、竜道院の大人たちが羽衣を言葉巧みにそそのかして結納の儀を襲撃させた裏工作も容易に想像できてしまう。


 純粋無垢な童女は、汚い大人たちに騙されて、その力と才能を利用されているだけのようにも思えて来た。


「心外じゃ。妾は決して功一郎こういちろうたちの操り人形ではないぞ! 今夜の一件も、千鶴のところには行くなと抜かして妾の道を塞いできた家の阿呆どもを振り払って来てやったというのに、あんまりじゃ!」


「何? 伯父上たちは伯母上を助けに行こうとしたお前を邪魔したのか?」


 舞桜まおが耳を疑って聞き返すと、童女は煮えたぎる怒りを隠すことなく、鼻から荒い息を吐いて憤慨した。


「如何にも。千鶴の身が危ないと伝えても、功一郎は既に竜道院家とは何ら関りのないこと故、放っておけと……、なにも妾が出向くほどのことではないと言ってきたのじゃ。当然、その減らず口を黙らせて吹き飛ばしてやったがの……。他の使用人たちも千鶴のことは無視しろと言ってきた故、灸を据えてやったわ」


 静夜せいやも、この話には竜道院家の狂気を感じた。

 いくら離婚して屋敷を出て行った女性のこととは言え、身の危険を察知した実の娘に助けに行くなと諭すのは常軌を逸している。とても常識的、倫理的な判断とは思えない。


 これを聞いた舞桜は、実家に対する憤りを露わにして乱暴に言葉を吐き捨てた。


「ハッ! まったくあの家は相変わらずだな。自分たちの名誉や権威、格式の高さを守ることしか頭にない。羽衣を先祖返りと持ち上げて担ぎ出し、一門の繁栄のためならその強大な力をどんなことにでも利用して、気に入らない相手の足さえ引っ張り、自分たちだけが得をするように仕向けている。……本当にくだらない。自分たちで何かを成すわけでもなく、他人を貶めてそれを嗤い、過去の栄誉や先祖の威光を借りてふんぞり返っている様は滑稽だ!」


 侮蔑と嘲笑。自分の存在を何かに依存させる在り方の否定。

 自分の在り方を確固たる覚悟と意志に基づいて貫かんとする竜道院舞桜には、到底容認できない生き方だった。

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