母親の見立て

「でも、私には分かります。羽衣はごろもと皆さんが思う竜道院りんどういん家の始祖は全く別の人間です。先祖から引き継いでいるのは昔の記憶と力だけで人格や考えはあの子だけのものです。きっと娘と直接会って話をすれば、あなたたちにも分かると思います」


 断言するその口調から窺えるのは揺るぎない自信。千鶴ちづる女史は母親として、娘である羽衣のことを微塵も疑っていなかった。

 現実から目を背けて、母親としての願望を語っているようにも聞こえない。


「……そ、そうは言いますが伯母上、羽衣の好戦的な性格は伝え聞く始祖のそれに近いのではありませんか? 特に二年前のアレは常軌を逸していました」


 舞桜はこれに納得がいかず疑問を呈する。静夜もこれには深く頷いた。


 羽衣と始祖が別人だと言われても事実は変わらない。

 現に二年前、黄竜おうりゅうを従えた少女は京天門きょうてんもん家と紅庵寺こうあんじ家の結納の儀を襲撃し、京天門椿つばきから光を奪い、紅庵寺陸翔りくとの両足を壊している。


 この話題が出ると、千鶴女史は表情を曇らせて俯いた。


「……あの事件は、私たち大人の責任です。あの子を竜道院家の始祖の生まれ変わりとして育て、常識的な倫理観を何も教えず、まだ幼いあの子に始祖としての振る舞いを期待している竜道院家の教育があのような悲劇を引き起こしたのです。もちろん、あの子を止めることが出来なかった私も同罪です」


 自責の念と罪の意識を噛み締める竜道院家の元嫁。


 二年前の事件について竜道院一門の関係者が非を認めるのは、もしかしたらこれが初めてかもしれなかった。


 竜道院一門は二年前の事件で被害に遭った京天門家や蒼炎寺そうえんじ家、紅庵寺家をはじめとする関係者に一切の謝罪も補償も行っていない。


『本件は、千年の時を超えて転生なされた始祖・竜道院羽衣様が、蜜月を結ぼうとした京天門、蒼炎寺の両一族に天罰を下したに過ぎず、当方に罪はない』と開き直って、当時はかなりの批判を集めた。


 羽衣の威光や黄竜の力もあるからか、竜道院一門は強気な態度を崩さず、京天門と蒼炎寺の両家は結局泣き寝入りをしている。


 羽衣の凶暴性だけではなく、重傷者が出たにもかかわらず憮然ぶぜんとした態度を貫く竜道院一門にもかなりの問題があるのは確かなようだ。


「あの子を今のまま竜道院家に置いておけば、いずれは本当に皆さんが思い描く通りの竜道院の先祖返りになってしまいます。家族や一門からの期待を受け続け、自分のことを始祖の生まれ変わりだと勘違いさせたままにしていたら、娘は京都の陰陽師たちを恐怖で支配する暴君になってしまうかもしれません」


 茶柱の立たない湯呑の水面をじっと見つめながら、母は本気で娘の将来を案じていた。


「……つまり千鶴さんは、羽衣さんの普段の言動は彼女が自分のことを竜道院家の先祖返りだと本気で思い込んでいるからで、その思い込みを作っているのは竜道院家の教育や一門からの期待に原因がある、と考えておられるわけですね?」


「……はい。元夫の功一郎こういちろうを含めた家の者が本気で羽衣のことを先祖返りだと信じているせいもあって、羽衣の思い込みは年々激しくなっています。私は、もっと普通の子どもと同じように育てようとしたのですが、夫や周囲の人たちからひどく反対されて、あの子が五歳になる頃にはもうどうすることも出来ないありさまでした。……そこで全てを投げだした私が今更言えた口ではありませんが、竜道院家の教育や一門からの見る目が変われば、羽衣もきっと目を覚ましてくれると思います」


「……」「……」


 千鶴女史の主張に押されて、静夜と舞桜は口を閉ざす。


 つまりこれは、身も蓋もない例え方をすると、中二病をこじらせてしまった娘に「何を馬鹿なことをやっているの?」と母親が呆れている反応に近いのではないだろうか。


 陰陽師の界隈ではこの手の話も珍しくはない。

 力が弱まってしまった一族の子息にたまたま陰陽師としての才能を開花させた者が生まれて、本人は自分には特別な力があると思い込むものの、親は既に陰陽師ではなく、自分たちが陰陽師の血族であることすら知らなかったため、子どもの妄想だと笑われて相手にしてもらえなかったという例は、いろいろな家庭から陰陽師が集まる《陰陽師協会》ではむしろよく聞く話だ。


 今の千鶴女史からはそんな、周囲の大人たちや娘の思い込みについて行けずに辟易している、冷めた印象を受ける。


 もちろん、彼女の見立ての方が正しい場合もあるだろう。

 竜道院羽衣が先祖返りだという話は、父である功一郎氏や周りの人間が彼女の才能を知って大袈裟に騒ぎ立ているだけで、羽衣も本当は少し特別な力を持っているだけの、ただの子どもに過ぎないのかもしれない。


 しかし、千鶴女史の主張には根拠がなかった。

 あるのは「私があの子の母親だから分かる」という直感だけであり、そこには自分の娘はもっと普通であるはずだ、他の子どもたちと同じであるはずだという、ある意味では竜道院一門の人たちと別のベクトルでの思い込みが多分に含まれているようにも感じられる。とても客観的な見解とは言い難かった。


 舞桜が、どう思う? とでも言いたげな視線を送って来る。

 静夜は細かく首を振って、よく分からない、と伝えた。意見を求めて来るということは、舞桜も静夜と同じようなことを考えているのだろう。


 二人が千鶴女史の話を信じきれずにいると、それを見かねたように千鶴女史はとある案を提示した。


「……そんなに納得が出来ないのでしたら、直接会って話をしてみますか? 私の娘と」


「え? できるんですか? そんなこと……」


 突拍子もない発言に静夜は目を丸くする。


 竜道院羽衣は現在、竜道院家の屋敷の中心部で何重もの結界と何人もの護衛、複数の使用人に囲まれた厳重な生活を送っている。


 竜道院家が一族の始祖として崇めている少女だ。実の母といえど、離婚して今や部外者となってしまった千鶴女史がそう易々と会える相手ではない。

《平安会》の一員ですらない静夜たちが会うことは、さらに輪をかけて不可能に思える。


 驚く静夜たちに、千鶴女史はまた悪戯を仕掛けた子どものように笑って、「ただし」と人差し指を立てて見せた。


「ただし、私のお願いを一つ聞いて下さい。そうすればきっと娘と話が出来ると思います」


 星詠みの陰陽師、千羽千鶴が提示する未来への選択肢。

 静夜と舞桜は逡巡の末、彼女のお願いを聞いてみることにした。

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