千羽千鶴と竜道院舞桜

 かつて、占いは陰陽師の仕事の一つだった。


 月の満ち欠けや星の運行などから暦を作り、運気や吉凶を見通す。

 世間に名の知れた占いは多くとも、陰陽師の扱う占術は歴史と血脈によって引き継がれ、洗練された未来予知にすら届き得る代物だ。


 大したものじゃないと遠慮していても、占星術を継承している家は数少ない。竜道院家長男の元妻で、竜道院りんどういん羽衣はごろもの母親だと言われても何も不思議には思わなかった。


 静夜せいやたちは社務所の中にある休憩室へと通されて、お茶を振る舞われる。


 千鶴ちづる女史は「こんなところでごめんなさい」と言いながら、テーブルを挟んだ対面に腰を下ろした。


「占星術と言っても、私に詠めるのはせいぜい一日先の未来までです。そこから先はどうしてももやがかかったようになって精度が落ちてしまいます。それも今となっては自分の身に起こることだけで……。もっと若い頃は、他人の未来でも少しは見通すことが出来たのですが、やっぱり歳には勝てないようですね……」


 おどけて小首を傾げる仕草は可愛らしく、とても一児の母とは思えない。

 舞桜まおの母である美春みはるより十歳近くは年上のはずだが、若々しい印象を受けた。


「それで、今日は私に何の御用ですか? ……ごめんなさい。あなたたちが訪ねてくることまでは分かっていましたが、どんな要件なのか詠めなくて……」


 申し訳なさそうに語る彼女からは嘘の気配がしなかった。力が衰えているというのもおそらく本当だろう。


「……」


 静夜は無言で舞桜の方を見た。

 彼女に会おうと言い出したのは舞桜だ。

 竜道院羽衣の弱点を探るために母親である千鶴女史に近付くという意図は理解できる。既に竜道院家からも離れているため、接触するのはこの通り容易だった。


 だが、会ったところで何を話せばいいのか静夜には分からない。


 まさか馬鹿正直に、娘の弱点を教えて欲しい、なんて頼むわけにはいかないだろう。舞桜には何か考えがあるはずだと思って言葉を待った。


「……」


 舞桜は無言のまま、静夜の方を見つめ返す。


「もしかして、何も考えてなかった、とか?」


「……」


 舞桜は無言のまま、今度は静夜から視線を逸らした。

 やはり何も考えていなかったようだ。


「……舞桜ってたまにそういうところあるよね。こうだ! って決めたら深く考えずに飛び込んで行くっていうか、頭はいいのにそれを上手く使いこなせていないというか……」


「な、なんだと……! 私は常に思慮深く行動しているつもりだが……⁉」


「どこが? 君が思慮深い人間だったら、破門されるのが分かってて憑霊術ひょうれいじゅつに手を出したり、《陰陽師協会》を巻き込んで《平安会》の首席になるなんて無茶なことを言い出したりはしないと思うけど?」


「……ぐ、ぐぐぐ」


 実例を挙げてやるとすぐに言い返せなくなって歯ぎしりをする浅慮な少女。

 少し考えれば心当たりはいくらでもあるのに、反射的に意地を張って言い返して来るところはやっぱり浅はかだ。


「……うふふ。舞桜さんはいくつになっても変わらないですね。態度や口調が多少荒っぽくなっていますけど、根っこは昔のまま……。自分と、自分の理想を信じて疑わない、あの頃のままです……」


 過去を懐かしむような儚い笑みを綻ばせて千鶴女史は緩んだ口元を隠す。

 昔の舞桜、という言葉に静夜は少しだけ興味をそそられた。


「舞桜は、小さい頃からこんなにも我が強かったんですか?」


「おい! 関係ない話はやめろ!」


 本人が隣から制止しても構わない。千鶴女史も「はい」と頷いて楽しそうに教えてくれた。


「今ほど目に見える感じではありませんが、お母様の言いつけを守って、どんなことにも文句や弱音を吐かず、絶対に成し遂げるんだという強い意志を胸の内に秘めて、黙々と修行や勉学に励む姿はよく覚えています」


「やめて下さい! 伯母上まで……」


 照れ臭いのか、舞桜の声にさっきまでの威勢はない。古い話を持ち出されてきまりが悪いようだ。


「千鶴さんは、屋敷での舞桜のことをよく見ていたんですね」


「ええ。……私も美春さんと同じで、あの家には居場所がありませんでしたから……。いつかお兄さんたちのような立派な陰陽師になって、みんなに認めてもらうんだ、と頑張る舞桜さんの姿はとても眩しかったです……」


「だからもうやめて下さい、伯母上……」


 舞桜は、赤くなった耳を塞いで固く目を閉ざし縮こまっている。褒められることに慣れていないのだ。


(それにしても、幼少期の舞桜のことを見ていたのは母親の美春さんだけだと思っていたけど、千鶴さんもだったのか……。どうりで懐いているわけだ)


 舞桜の態度がいつもより随分と柔らかいことにようやく得心がいった。


 彼女にとって千羽千鶴とは、自分のことを見てくれていた存在。

 もしかしたら、久しぶりに彼女に会いたいから、羽衣のことを口実に使って上賀茂神社にまで来たかっただけなのかもしれない。


 静夜と千鶴女史が舞桜の昔話に花を咲かせていると、居心地の悪い本人が徐々に小さくなっていくので、さすがにいじめ過ぎたと二人はいい加減反省した。


「ごめんなさい、舞桜さん。二年も前に何もかもを放り出して逃げ出した私が、言えた口ではないですね……」


「……お、伯母上が悪いわけでは……。話を掘り下げようとしたのは、コイツなので……」


 顔を上げると舞桜はすぐに静夜を睨む。青年は悪びれるそぶりもなくそっぽを向いた。


「それで、私に会いに来た理由でしたね。……まあ、言われなくても見当くらいはつきます。羽衣の、……娘のことですね?」


「……はい」


 千鶴女史の口から先んじてその名前が出て、静夜は表情を引き締めた。


「……あの子が何か《陰陽師協会》にご迷惑をおかけしたでしょうか?」


「いえ、そういう訳ではありません。ですが、あの子の力はいずれ我々の脅威になると考えています。……千鶴さんは、あの子が本当に竜道院家の始祖の生まれ変わりであるとお考えですか?」


 静夜は探りを入れるつもりで問いかけた。相手の視線の動きにも注意を払い、本音を聞き逃すまいと神経を研ぎ澄ます。


 千鶴女史は、迷うことなく答えた。


「――いいえ。先祖は先祖。羽衣は羽衣です」


「……」


 あまりにも意外な答えが真っ直ぐに返って来て、静夜は面食らう。

 てっきり視線を泳がせて悩むか、悲し気な表情を浮かべて俯くと思っていた。


 静夜の反応を見て、千鶴女史は自嘲の笑みをこぼす。とても信じられない、とでも言いたげな顔をしていたからだろう。


「……普段のあの子の振る舞いを知っているなら驚かれるのも無理はありません。実際に伝説の神獣である黄竜おうりゅうを従えていますし、前世の記憶、とでも言えばいいのでしょうか? あの子が遠い昔の記憶を持っているのも確かなようです。春先の一件で、青龍せいりゅうと顔見知りのように話をしていた、と伺いましたが、それを聞いても私は驚きませんでした……」


「……そこまで分かっているなら、どうして言い切れるんですか? 羽衣さんが竜道院家の始祖の先祖返りではない、なんて……」


「……それは、私があの子の母親だから、です」


「……はい?」


「伯母上、それはさすがに答えになっていないと思います」


 静夜は目を見開いて首を傾げ、舞桜は少し呆れた様子で頭を抱えた。


 千鶴女史は、二人の反応を楽しむようにしばらく笑った後、すっと表情を引き締めて今度は真面目に語った。


「でも、私には分かります。羽衣と皆さんが思う竜道院家の始祖は全く別の人間です。先祖から引き継いでいるのは昔の記憶と力だけで人格や考えはあの子だけのものです。きっと娘と直接会って話をすれば、あなたたちにも分かると思います」

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