斎間夏帆の現実⑤
「……あ、葵さんとは、いつから……?」
「葵とは高校の頃からの友達なの」
あからさまな話題の方向転換に先輩は乗っかってくれた。
そして、葵さんを呼び捨てにしたことにちょっと驚く。友達と言うからには仲がいいのか?
「……
「べ、別に、そんなことはないと思いますけど……」
打算的な友情。先輩は自嘲の笑みを浮かべているけれど、俺だって葵さんみたいな人がクラスに居たら、敵に回したくはないと思ったに違いない。
「葵は、中学までは私立の女子校に通ってたんだけど、人間関係でトラブルを起こしたとかで公立の高校に編入してきたの。家族とも折り合いが悪かったらしくて、詳しいことは話してくれなかったけど、家の仕来りや考え方が意味不明過ぎてついて行けないってよくぼやいてたわ。……それで高二の頃になるとほとんど家にも帰らなくなって、友達の家に泊まったり、男の人のところに転がり込んだり、怖そうな大人の人とも付き合うようになったから、同級生の友達はみんな次第に離れて行ったわ。そして、最後に私だけが残った」
「せ、先輩は、怖くなかったんですか?」
「今でも怖いよ? あの子の近くに居続けるのは……。葵は高校生の時から自分でお金を稼いでた。普通のアルバイトじゃなくて、遊びの延長みたいな、おふざけをする感じで危ないことにも手を出して、それで儲けては喜んでたの。私はそれについて行ったわ。彼女の取り巻きが私一人になっても、私は葵のことを手伝った。あの子と遊んでいれば知らないうちにお金が手に入ったから。……軽蔑してくれていいよ? 私の手はもうとっくに汚れてる。でも、ここで葵との関係を切ってしまったら、私の夢は叶わないの」
「……夢、ですか……?」
「やっぱりおこがましいかな? こんな私が夢を語るのは……」
「……」
俺は「はい」とも「いいえ」とも言えなかった。
「いいえ」と言えば、今も真面目に必死で働いている人たちを蔑ろにすることになる。
でも「はい」と答えるのは、それはそれで、残酷なような気がしてならなかった。
杏子色に染まる鴨川。せせらぎの音は、流れる車と人の喧騒に掻き消されて聞こえない。
斎間先輩は対岸で走り回っている子供たちを眺めながらぽつりと語り始めた。
「……この世の中にはね、お金さえあれば叶えられる夢と、お金だけでは叶えられない、特別な何かを必要とする夢があるの。私の夢はきっと前者。世界一周旅行がしてみたいとか、
「……」
俺は言葉を失う。賛同も反論も、おそらくここでは意味をなさない。
あるのは現実。格差。生まれ育った環境の違いが、子供の夢と人生観にどれほどの影響を及ぼすのか、それをまざまざと見せつけられているように感じた。
斎間先輩は、残りのカフェラテを一気飲み干して立ち上がる。ボトル缶を握る手の甲は、四月の終わりだというのに乾燥してひび割れていて、痛々しかった。
「今日はありがとう。こんなつまんない話をちゃんと聞いてくれて、嬉しかった。……お礼にコレ」
空き缶をカバンにしまうのと交換で、先輩は中から一枚のチラシを取り出す。それは、今度新しくオープンするお店の広告だった。綺麗に着飾った女性スタッフの写真がずらりと並んでいる。いわゆる、キャバクラみたいなところだろうか。写真の中には胸元が開いたドレスを着る斎間先輩の姿も写っていた。
「葵が次に開くクラブで私も働くことになったの。可愛くて綺麗な女の子たちとおしゃべりしながらお酒を飲んで、楽しいことも出来る素敵なお店。ここはぼったくりじゃないけど、元々の単価が高いからお金はたくさん用意して来て? そしてぜひ、私を指名してね。サービスしてあげるから。ただし、……アフターは早い者勝ちだから、もたもたしてると、どっかのおじさんにお持ち帰りされちゃうかもよ?」
「ッ!」
耳元で熱い吐息を吹き掛けられながらそう言われて、俺の体はビクッと飛び跳ねてしまった。
アフターってまさか⁉ そういうことがアリなお店なのか⁉
でも、あの
先輩はそれを承知の上で協力しているんだ。
お金を稼ぐため。夢を叶えるため。
残った缶コーヒーを一気に飲み干す。
俺は、脳裏を過ぎってしまった卑猥な妄想と、それを現実にして犠牲とした上で成り立つ彼女の夢の実現に、後味の悪さを感じずにはいられなかった。
❀❀❀
――工作完了。潜入は予定通り、オープン初日の18時からで決定。
――了解。潜入に必要な道具や衣装の準備も問題なし。作戦の実行については現在調整中。
――さらに報告。優先事項第一位より、本作戦に外部の協力者を一名追加したいとの打診あり。
――了解。計画の見直しと現場の調査を続行する。
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