牧原大智の受難③

 そうこうしているうちにも時間は過ぎて、コンパはお開きの時間となる。

 幹事の先輩の号令に従って学生たちはぞろぞろとお店の外に出て目の前の歩道にあふれ返った。

 道ゆく人も車も多い河原町三条かわらまちさんじょう近くの繁華街。

 金曜日の夜ということもあって、遊び歩く学生や仕事終わりのサラリーマンをよく見かける。


 道路を埋め尽くさんばかりの人、人、人。

 それを照らす街灯の明かりやお店の看板は煌々と輝いて夜空の星と月明かりすらも霞ませる。

 北海道の田舎に比べれば、京都の街はすごいくらいに都会だった。


「二次会に参加する人は俺について来てくださーい!」


 幹事役のよく通る声がみんなを誘導して、学生たちの集団がゆっくりと動き出す。

 俺は、気持ち悪そうに口を抑えてトイレに駆け込んでいった山本が出てくるのを店の外で待っていた。


 あいつ、最初の方はあんなに元気だったのに、最後の方になると顔が真っ赤を通り越して真っ青になっていて、座っているだけでも気分が悪そうだった。調子に乗って強いお酒を飲み過ぎた罰だな。


 幸い、二軒目のお店の場所は事前にSNSで地図が共有されている。先輩たちとはぐれてしまっても迷子にはならないだろう。

 そう思って呑気にスマホをいじっていると、


「牧原君!」


 声をかけられた。斎間さいま先輩が俺を下から覗き込むように見上げている。


「な、なんですか? 先輩」


「なんですかって、牧原君こそ何してるの? 早くしないとみんな行っちゃうよ?」


「それが……、山本の奴がなかなかトイレから出てこなくて……」


「山本君? そういえば、さっきから元気なかったもんね。飲み過ぎかな?」


「飲み過ぎです」


 斎間先輩のはにかんだ顔はなんだか可愛らしい。頬が少しだけあかくなっているのはやはりお酒のせいだろうか。照れた表情をしているみたいで、見ているとこっちが気恥ずかしくなる。やっぱり美人な先輩だ。


「牧原君は二次会行くの?」


「はい、そのつもりです。先輩はどうなさるんですか?」


 正直に言うとぜひ来て欲しい! でもそれをあからさまに示してぐいぐい行くと嫌われそうで怖いので、なるべくさりげなく様子を窺った。


 先輩はちょっと困った顔をして身をよじる。


「う〜んとねぇ〜、私は行くつもりだったんだけど……」


 あれ? もしかしてこれはダメなやつ?


「えっと、これは牧原君さえ良かったら、の話なんやけど……、これから私たち二人で抜け出さない?」


「え? ……抜け出す?」


 何を言われたのか、一瞬理解が追いつかなかった。


「それはつまり、俺たちだけで二次会を……?」


「バカ。はっきり言ったら、恥ずかしいでしょ?」


「……」


 そして俺は言葉を失う。返事をすることすら忘れて呆然としたまま立ち尽くし、身体が固まっている。


 どうやら、先輩の顔が朱かったのは、お酒のせいではなかったみたいだ。



「――お会計は税込で、27万8400円になります」


 ……いったい何が起こったのか。


「――はあ? お金が払えませんだぁ? ふざけてんじゃねぇぞ!」

「――舐めてんのか、クソガキ!」


 薄暗くてシックな雰囲気のバーのカウンターから体格のいい男たちの力強い怒声が飛んでくる。


「――テメェが飲み食いした分の金はテメェで払うのが社会のルールだろうが!」

「――警察の人に来てもらった方がいいのか? ああぁん?」


 男の一人がカウンターを叩き壊すような勢いで丸太のような腕を振り下ろした。ガシャン! という衝撃音に思わず身体が飛び跳ね、心臓がきゅぅと音を立てて萎縮する。


 俺と斎間先輩は、筋骨隆々のたくましい男たちに囲まれて、もはや立ち上がることもできないほどの恐怖に震え上がっていた。


 どうして、こんなことになったのか。

 全ては二時間ほど前。俺が先輩に連れられてこのシックで大人な雰囲気のバーに足を踏み入れたところから始まった。



 季節はまさしく春だった。暦の上でも、人生の中でも。


「――へぇ、すごいおしゃれな店ですねぇ!」

「――そやろ? って私も来るの初めてやけど……。ずっと来たかったんやけど、一人やと恥ずかしくて……」


 正直、自分がどんなことを喋ったのか覚えていない。


「――美味しい! これって何のお酒なんですか?」


 先輩が勧めてくれる甘い果実酒のカクテルをちょっとずつ飲んで、ほろ酔い気分の中、俺たちはまた映画やドラマの話に花を咲かせた。


「――確かそれって同じ監督が撮った作品じゃなかったでしたっけ?」

「――でもね、役者さんが全然違うから演出とかもガラッと変わって、前のとは完全に別物って感じだったよ?」


 気が付けば、結構マニアックな内容にまで話が広がっていたけれど、会話が止まることはなかった。

 話していて分かったことは、俺と先輩の好みが大体似通っているということ。

 ここまで話の合う人は同じ映研の中にもなかなかいない。


 俺は映画を見るときにどうしても監督とか演出、カメラワークなどに目が行きがちになるけど、演劇サークルに所属している先輩は、役者の演技に着目して映画を見ているらしく、その観点から語られる感想は新鮮で、聞いていて楽しかった。


 逆に俺が映画オタクっぽい話をつい早口でまくし立ててしまった時でも、先輩は頷きながらずっと話を聞いていてくれて、それがとても嬉しかった。


 それに、……。


 薄暗い照明の店内はとても落ち着いていて、バーテンダーがカクテルをシェイキングする音は小気味よくて耳心地がいい。小さなカクテルグラスに注がれたカラフルなお酒を上品に煽る先輩の横顔はすごく色っぽくて見ているとドキドキしてしまう。

 お酒が体に回る前から、俺の心臓は早鐘を打っていた。

 それは本当に、夢のような時間だった。


「あ、……そろそろ出ないと終電無くなっちゃうね……」


 不意に腕時計を見た先輩が、楽しい時間の終わりを告げる。

 俺もスマホで確認すると、このバーが閉まる時間にも迫っていた。


 きっと今日はここまでだ。これ以上を求めるのは時期尚早。

 っていうか、そこまでの度胸、俺にはない!


 欲望に身を任せてゴリ押しでもしようものなら、先輩はもう俺と会ってくれないかもしれない。そんなのは嫌だ!


 そうだ! 今度一緒に映画でも観にいきませんかって誘えばいいじゃないか!

 これだけ映画の話で盛り上がったんだから、先輩だってきっとOKしてくれるはず!


 そんな思考を巡らせた末、俺は素直にカウンターの向こうでグラスを拭いている初老のバーテンダーにチェックをお願いした。



「――お会計は税込で27万8400円になります」


 と。こうして、最初のところに戻ってくるというわけだ。

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