第8話 春の虫と書いて蠢くと読む

緊急総会

 絡新婦じょろうぐもの妖が現れてから三日後の木曜日の晩。


 花散らしの冷たい雨が降る、月も星もない夜に、《平安陰陽学会》の緊急総会は、首席の住う京天門きょうてんもん一族の本家の屋敷でり行われることとなった。

 日が沈むのを待ってから、傘をさして集まって来る陰陽師たち。


 今夜の総会は、妖花も出席した年末の臨時総会とは異なり、広間全体に座布団を敷き詰めて並べ、皆が一様に御三家の旗が掲げられた、上座を向いて座るようになっている。

 静夜たち《陰陽師協会》の人間は、下座のすみに追いやられたような場所で、肩身の狭い思いをしながら座っていた。


「うわぁ……。室長から聞いてたッスけど、ほんとに陰気でヤな感じッスねぇ。先輩、この重苦しい空気、なんとかならないんスか?」


「僕に言われてもどうしようもないよ」


「じゃあせめて、替えのストッキングでも用意して下さいよぉ? 来る時水溜り踏んじゃって、足元気持ち悪いッス」


「男の僕が、そんなもん持ってるわけないじゃん」


「えぇ! でも、先輩のお友達の康介こうすけ先輩は、いつ何が起こってもいいように、常にカバンにストッキングだけは仕込んであるって言ってたッスよ?」


「なんでアイツは、女性用のストッキングを携帯してるの?」


 それ以前に、いつの間に康介は、萌依めい萌枝もえと仲良くなったのか。あまり関わり合いになるような場面はなかったように思うが、静夜の見ていないところで接触する機会があったのだろうか。


「我慢できないなら脱げばいいだろう?」


 小声ではしゃぐ姉妹を見咎みとがめて、舞桜は目を細めた。


「うわぁ、舞桜ちゃん、こんなおじさんばかりが集まるところで生娘きむすめに生足晒せって言うんスか? この美脚に魅了されちゃったおっさんたちにあたしたちが襲われちゃったらどうしてくれるんスか?」


「そんな短いスカートでここへ来ている時点で今更だ。少しはTPOを弁えたらどうだ?」


 今日の二人は、薄手のブラスにカーディガンを羽織り、太ももを大胆に露出させたミニスカートを穿いて、姉妹で色違いのコーディネートをしていた。

 春に浮かれる大学の新入生としては、おしゃれに気合を入れたそれらしい格好で、キャンパス内ではさぞ男子学生たちの視線を奪ったに違いない。逆に厳粛げんしゅくな雰囲気で開かれる《平安会》の総会の席においては、やはり相応しいとは言いにくいよそおいだ。

 おかげで、《平安会》の陰陽師たちから向けられる視線が、先日の時よりもさらに厳しくなっていて静夜は落ち着かない。


「……チッ、うるさいぞ、お前たち。いい加減静かにしろ」


 舌打ちは、静夜のすぐ隣から聞こえて来た。彼らの横着おうちゃくなやりとりに苛立ちを募らせていたのは、なにも《平安会》のお歴々たちだけではなかったようだ。


 水野みずの勝兵しょうへいは、再三にわたるメールや電話の甲斐あってなんとか連絡がつき、この総会に渋々出席している。

 事故物件の再調査の時のような突然の呼び出しならともかく、さすがに《平安会》に属する陰陽師たちが一堂に会する総会には、京都支部の全員が揃って顔を出す必要があったため、静夜はとりあえず、この五人全員がこの場に座っているだけでも上出来だと思うことにした。


 欲を言えばこの総会で、面倒事が何も起こらずに済めば尚良いのだが……。


 刻限こくげんが迫ったその時、風を感じ取った陰陽師たちは一斉に口を閉ざし、薄暗い喧噪は一瞬のうちに静まり返った。


 高座に、御三家の出席者たちが登ったのだ。


 京天門きょうてんもん家からは、次期当主の政継まさつぐ氏とその妻、絹江きぬえ女史じょし。長男のたくみ

 蒼炎寺そうえんじ家からは、当主の真海しんかい氏、次期当主の空心くうしん氏、そして息子の三つ子たち。

 竜道院りんどういん家からは、功一郎こういちろう氏と弟の才次郎さいじろう氏、その息子の星明せいめい紫安しあん、さらに、伝説の陰陽師の先祖返りと噂される少女、竜道院羽衣はごろもの姿もあった。


 彼女の登場には、会場が僅かにざわめく。


 羽衣が総会に出席することは滅多にない。ましてや、華やかな意匠いしょうを凝らした着物に身を包み、最初から高座に上って総会の開始を迎えることは、もしかしたらこれが初めての事ではないだろうか。

 あの少女がいるというだけで、この総会の異様さと異常さが屋敷に集まった陰陽師全員に伝播でんぱする。


「へぇ〜、あれが噂の……」


 萌依が品定めをするかのように、羽衣の姿を見て舌舐めずりをする。

 隣に座る萌枝も、彼女の様子を遠目に観察して、隙を伺っているようだった。


「……やめときなよ、二人とも」


 あの娘に喧嘩をふっかけるようなことはしたくない。

 直接その力を目の当たりにしたわけではないが、下手をするとあの竜道院羽衣は、月宮妖花すら片手であしらってしまう程の力を持っているかもしれないのだ。


「……星明兄上は、まだ包帯が取れないのか……」


 舞桜は、また別のところに注目して声を漏らした。

 父である才次郎氏の後ろに控えて座った星明は、絡新婦の妖から受けた傷がまだ癒えないのか、包帯で腕を吊ったままの状態だ。

 竜道院の本家で本格的な治療をしてもすぐには完治しないほどの重傷だということなのか。


「――それでは、皆さんお揃いのようですので、これより、《平安陰陽学会》の緊急総会を始めさせていただきます」


 会場内の動揺が少し収まったのを見計らって、前回の臨時総会と同様に司会を務める京天門政継が声を張った。

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