事故物件の再調査

「お待たせしました、星明せいめいさん」


 待ち合わせの時間よりも少し早くくだんの事故物件に到着すると、既にマンションのエントランス前には、今回彼らを呼び出した張本人、竜道院りんどういん星明の姿があった。


「いや、僕も今さっき着いたところだよ。それより悪いね。こんな平日の昼間に呼び出したりして。大学の方は良いのかい?」


「今日は何も授業がないので……。星明さんこそいいんですか? そちらの大学でもそろそろ春学期が始まる頃では?」


「まあね。本当は講義に出た方がいいんだけど、幸い同じ講義を取っている友人がいるから、その人に後で内容を教えてもらうつもりだよ。それに、僕としてはこっちの方が大事だ」


「……そうですか」


 春の陽気にも負けない優しい笑顔が眩しくて気に入らない。

 相変わらず、彼の物腰からは余裕が感じられた。まるで立派な遊覧船に揺られて優雅に海を眺めているかのような、そんな穏やかさだ。


 こちらは今にも沈みそうな泥船に乗って必死にオールを漕いでいるというのに……。


「……君は僕と顔を合わせると、いつも不機嫌そうな顔をして、なかなか目も合わせてくれないね? そんなに僕のことが嫌いかい?」


 すねた子供をなだめる父親みたいな困り顔がますます気に入らない。


「……ええ、嫌いですが、それが何か?」


 遠慮なく正直に答えた。久々に星明の目を見てはっきりと。

 初対面の頃であれば、薄ら寒い愛想笑いの一つでも浮かべて、それなりに友好的な態度を示したものだが、今となってはそんな体裁ていさいを取り繕うだけでも虫唾むしずが走る。

 子供っぽいと言われようが、嫌いなものは嫌いなのだ。


「一度でいいから、君が心から笑った時の顔を見てみたいな」


「僕は一度でいいから、あなたが本気で慌てふためいている時の顔を見てみたいですよ」


 挨拶代わりの皮肉を言い終えた二人は、改めて目の前に建つマンションへと向き直る。


 事前に聞いた話だと、《平安会》はここ数日、水野が独断で妖を祓った現場に赴き、問題がないか調査をしているらしい。

 ようは、陰湿な粗探しだ。

 自分たちの庭を勝手に掃除された腹いせに、妙な汚れが残っていないかわざわざチェックして回っているわけだ。


 そして昨日、ちょうど静夜たちが竜道院家で苦情を言われている頃に、牧原まきはら大智だいちの部屋を調査しに来た陰陽師がそこで微弱な妖の気配を感じ取ったという。

 であれば、その場で素早く見つけた妖を祓ってくれれば良かったのに、わざわざ静夜たちを呼びつけてここにホコリが残っていましたわよ、と見せつけ、掃除をやり直せと命令してくるのだからうんざりする。

 まるで、嫁をいびるしゅうとめだ。


 それに、今あの部屋に潜んでいる妖が、先日水野が祓った妖と同一の個体であるという証拠は何もない。もしかしたら、たまたま近くにいた妖が、たまたまそこに引き寄せられて新しく住み着いただけかもしれないのに、あたかも京都支部が対処に失敗して、妖を取り逃してしまったかのように決めつけて振る舞うのはあまりにも早計そうけいであり、失礼極まりない。


 さらに《平安会》は、妖のいる部屋で夜を明かすのは危険だから、と住人である大智を説得し、陰陽師の屋敷に招いて身柄を保護したと言うのだ。

 まさに針小棒大しんしょうぼうだい。些細なことを大仰に騒ぎ立てて事態を誇張している。


 もし、これが噂になって他の陰陽師たちの耳に入れば、《陰陽師協会》京都支部は、とんだ未熟者の集まりだとそしられて、わらわれることになるだろう。

 新設されたばかりの弱小支部に名誉やプライドなど最初からあったものではないが、こんな吹聴ふいちょうで業界の人間からあなどられてしまうのは、やはり不愉快だ。


 ここでなんとか自分たちには非がないことを証明して、今度こそ非の打ちどころのない仕事振りを見せ、《平安会》の連中を黙らせないと、今後の活動にも支障をきたす恐れがある。


 だから、どんなに弱い妖であっても油断は許されない。


 静夜は、いつでも拳銃を抜いて撃てるように準備してから、星明に続いてマンションの中へ踏み込んだ。

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