第5話 その部屋に鍵を掛けたまま

混乱の吹雪

 つい先刻から降り始めた雪は、徐々にその勢いを増し、外は既に猛吹雪の嵐となっていた。


 これでは、雪崩に巻き込まれて行方不明となった義兄たちを探しに行くことは出来ない。

 いくら彼女が半妖の陰陽師と言えど、自然の脅威を前にしてはなす術もない。


 きっと大丈夫。きっと帰って来てくれる。自分にそう言い聞かせながら、月宮妖花はホテルのロビーからずっと外を眺めて、祈るように両手を固く握り締めていた。


「大丈夫? 妖花ちゃん?」


 後ろから優しく声を掛けてくれたのは、義兄の友人で今回のスキー旅行の企画者、坂上康介。彼はマグカップに入れたホットココアを差し出して妖花を励ますような努めて明るい笑顔を向けてくれていた。


「ありがとうございます。お陰様で大分落ち着きました。それと、先程は取り乱して暴れてしまい、本当に申し訳ありませんでした」


「ううん、仕方ないよ、目の前でお兄さんが雪崩に巻き込まれたんだから。……それにしても、妖花ちゃんってかなり力が強いんだね。びっくりしたよ」


「お、お恥ずかしい限りです……」


 雪崩に巻き込まれそうになった妖花は、義兄である静夜に手を引っ張られたおかげで、彼と体勢が入れ替わり、助かった。


 雪崩が収まった後、妖花はすぐにいなくなった静夜たちを探しに行こうとしたのだが、ろくな装備もなく闇雲に雪山の中を歩き回って行方不明者を捜索するのはあまりにも危険で、無謀だ。二次災害の恐れもある。さらに、風邪が悪化した舞桜はその場に倒れ、空の雲行きは怪しく、とてもではないが、遭難者の救出を最優先に出来る状況ではなかった。


 康介や吉田たちは、暴れる妖花を男五人掛かりで何とか取り押え、無理矢理ホテル『フォックスガーデン』にまで連れ帰って来たのだ。


「俺の方こそ申し訳ない。ここに招待して、まさかこんなことになるなんて……。救助隊も今は動けないみたいだし、歯痒いとは思うけど、もうちょっとだけ、我慢して欲しい」


「いえ、この天気では、それも仕方ありません。それに、兄ならきっと大丈夫です。私は信じています」


「ああ、俺も三人とも無事だって信じてるよ……」


 力強く頷く康介の表情は、不安と疲労のためか、完全にやつれてしまっていた。

 彼の後ろ、ホテルのロビーに広がる人々の混乱と喧騒を見れば、その理由が分かるだろう。


「ねえ! どうしてここから出られないの?」「雪崩で道が塞がれたって本当?」「人が裸で倒れてたんじゃなかったの?」「それを助けに行ったら、助けに行った人が雪崩に巻き込まれたんだって」「確か学生さんでしょ? 救助隊はまだ来ないの?」「この吹雪じゃ来られないし、来ても探しに行けないよ」「っていうか、俺たちだってこの吹雪じゃ帰るに帰れない」「やっぱり、このスキー場に何かいるって噂は本当だったんだ!」「ママー、お腹空いたー」


 豪華絢爛のお城のようなホテルの中は、まさに災害現場の避難所と化していた。


 楽しいはずのスキー旅行が一転、遭難事件と雪崩、急な天候の悪化によって、呑気に雪遊びを楽しんでいるわけにもいかなくなったのだ。


 人々は逃げ場を失い、肩身を寄せ合い、吉田をはじめとするホテルの従業員たちは毛布を配ったり、非常食を配ったり、問い合わせに対応したりと奔走している。

 康介も関係各所への連絡や諸々の手配に先程まで走り回っていたようで、笑顔の裏には先行きの見えない不安が見え隠れしていた。


 それに気付いてしまうと、妖花の表情にもまた影が差す。


 このスキー場に来てからずっと、誰かに見られているような気がして、どうしても落ち着かない。人の視線にも、妖からの敵意にも、十分慣れているはずなのに。今日はどうしても背筋を走る悪寒が、胸をざわつかせる嫌な予感が拭えない。義兄のいない今はさらにもっと心細くて、思わず首に巻いたマフラーを握る手にも力が入った。


「その白いマフラー、随分と大事にしてるみたいだけど、誰かからの贈り物なの?」


 気になったのか、それとも元気のない妖花を気に掛けたのか、康介が世間話を始めるように問いかけた。


 言及されて一瞬動揺するも、妖花はそれを表には出さず、ただ素直に頷いた。


「……はい。……死んだ私の実の父から、貰ったものです」


「それって、《スノーフォックス》の初期の頃のマフラーだよね? かなり昔に作られたもののはずなのに、今でも黄ばんだり痛んだりしてないとか、ホントにすごいよな、雪ノ森冬樹の『フォックスマジック』は。それをチョイスした妖花ちゃんのお父さんには先見の明があるよ」


 康介は、妖花をただの《スノーフォックス》のファンだと思っているのだろう。元気付けるつもりで、今も色褪せない贈り物を持ち上げて褒める。

 だが、妖花はその称賛を、素直に受け取ることが出来なかった。


「……どうでしょうか。ただ、私が欲しいと駄々をこねたから、仕方なくくれただけかもしれません」


「え?」


 反応が思ったものと違い過ぎて、康介は言葉に詰まる。


「……すみません。昔のことなので、私もよく覚えていないんです」


 それは、遠い遠い過去の記憶。どれだけ必死になって思い出そうとしても、もうこの世にはいない父の本心を確かめることは、誰にも出来ない。


「あ、そうだ。吉田さんに頼んで、舞桜ちゃんにお粥と薬を用意してもらったから、良かったら部屋まで運んで、ついでに様子も見て来てもらえるかな? 俺、今ちょっとあっちの人たちに呼ばれてるから」


 チラリと視線をやった先には、いかにも不満げな表情で康介の背を睨む女性のスキー客が、腕を組み仁王立ちをして妖花たちの話が終わるのを待っていた。何か言いたい苦情や文句などでもあるのだろう。康介は浮かない顔でため息を押し殺していた。


「……はい。分かりました。お忙しいのに、ありがとうございます」


 何から何までよく気が回る人だ。最後まで他人を元気付けようとする優しい笑顔を忘れない康介に、妖花は心からの感謝をこめて頭を下げた。


 外では風が更に強さを増して、真横から吹着ける雪がロビーのガラスを白く塗りつぶす。日も徐々に傾き、薄暗い雪山は雲の霞も合わさって何も見えなくなっていた。

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