鈴の手掛かり

「……うん。……確かに、これはすごい」


 じっくりと鈴を見聞して、星明は唸る。

 おそらく、今彼が抱いている驚嘆は、静夜が初めてその鈴の鑑定を栞から依頼された時に抱いたそれと同質のものだろう。


〈厄除けの鈴〉。


 誰が作ったのか分からない。具体的にどのような呪詛と術式が組み込まれているのかもおぼろげにしか掴めない。

 それなのに、その呪具が何を目的として作られ、どのような恩恵を持ち主にもたらしているのかだけははっきりと示されていて、〈存在の定義〉が明瞭に確定している。

 陰陽師が作り出す呪具としては、究極ともいえるほどに完成度の高い逸品だ。


 静夜はこの鈴を初めてかんがみた時、思わずその作者に、名も知らぬ陰陽師に、畏敬の念を抱く共に、恐怖を覚えた。


 これほどの呪具を作ったのは、いったいどこの誰なのか。

 なぜそれを陰陽師でもない、幼い頃の三葉栞に手渡したのか。


 調べようとしても、手掛かりは全く見当たらなかった。栞も、この鈴をもらった時のことはよく覚えていないと話していたし、それになんとなく、調べてはいけないような気がしたのだ。

 覗き込んではいけない深淵。踏み込んではいけない暗闇。

 清らかな音色を響かせる金色の鈴を見ていると、知らず知らずのうちにそちらに引き寄せられているように思えて、静夜は鈴の真実からそっと手を引いた。

 きっと星明もすぐにそれを感じ取って、特に詮索もしないまま、大人しく鈴を持ち主の栞に返すだろうと見守っていた、その時––––、突然、星明の顔つきが変わった。


「三葉さん! この鈴はいったいどこで、どんな人から貰ったの⁉」


 声音が鋭く刺すように問いかけて来る。いきなりの豹変に、静夜と栞は呆気に取られた。


「え、えっと、……それは、あんまりよく、覚えてなくて……」


「確か三葉さんは、歳は僕と同じだったよね?」


「え? あ、うん。大学受験で一年浪人しとるから、そうやけど……」


 食い気味に詰め寄り、デリケートな話題でも無遠慮に踏み込んでくる失礼な問いかけは、おおよそ、常に冷静沈着ないつもの竜道院星明からはかけ離れた狼狽ぶりだった。


「じゃあ、小学校のクラスとかに透文院とうもんいん朝陽あさひっていう子は居なかった?」


「え?」


「……透文院とうもんいん?」


 突然出て来た聞き慣れない名前に栞も静夜も首を傾げる。


「歳は僕たちと同じで、女性。……小学校のクラスじゃなくても、近所に昔住んでいた子とか、この鈴を貰った時と同じくらいの頃に名前だけでも聞いたこととかないかな?」


「……う~ん、かなり昔のことやさかいによぉ憶えとらんけど、たぶん、聞いたことないと思う。中学や高校でも、ウチの友達にそないな名前の子はおらんかったよ?」


「ん。……そっか。ありがとう」


 空気の抜けた風船のように、星明はガックリと肩を落とす。その落胆ぶりが静夜には引っかかった。


「その透文院朝陽って子がどうかしたんですか?」


「……静夜君は聞いたことないかな? 透文院一族の話」


「ええ、知っていますよ? 確か、平安時代に滅んだとされている伝説の陰陽師の一族ですよね? 竜道院家とも関わりが深くて、《平安陰陽学会》の創設にも携わっていたとか……」


「ああ、その通りだ。でも、実はその透文院一族は滅んでいなかった。透文院朝陽という子は、現代にまで生き延びた透文院一族の最後の生き残りかもしれないと言われている女の子なんだ……」


「……かもしれない、と言うのはどういうことですか?」


 言い方が妙だ。


 かつて滅んだとされる一族が歴史の陰に隠れて密かに血脈を繋いでいるというのは、十分にあり得る話だ。星明も一族は滅んでいなかった、と既に確認されている事実のように断言している。

 その一方で、透文院朝陽という個人の存在については、どこか自信がないような口ぶりだ。


「記録にしか残っていないんだ。その透文院朝陽って子は。彼女が存在していたという記録はいくつか見つかっているのに、誰も彼女の事を知らない。誰も彼女のことを見たことがない。噂にも聞かない。どんな外見で、どんな声で、本当にこの世に実在した人物なのか、今生きているのか、死んでいるのか、そんなことすら誰にも分からない。調べても探しても見つからない。出て来るのはいつも、記録ばかり」


「……その子を見つけて、星明さんはどないするつもりなんですか?」


「殺す」


「え?」


 迷いのない即答に、栞は目を剥いて驚いた。


 常に穏やかで冷静な彼からは想像もつかない、冷淡ではっきりとした殺意。


「透文院一族は、あの一族だけは殺さなきゃいけない。この世の中に生かしておくわけにはいかない一族なんだ。……でも、それは分かっているんだけど、僕は何か大切なことを忘れている気がする。僕は彼女に会って、何か伝えなきゃいけないことがあったような、そんな気がするんだ……」


 記憶の海の中を必死に泳いで、ようやく見つけ出したとある感情を直感的に掴み、二度となくさないように抱え込んでいる。そんな切実さが、今の星明から伝わって来た。


「……なんだそれ」


 話を聞いた静夜は呆れて逆に力が抜けてしまった。あの星明が取り乱すから何かと思えば、自分には何の関係もない話だった。


 確かに、透文院一族は、竜道院家や《平安会》にとっては滅ぼさなくてはならない脅威なのかもしれないが、あの一族が今も生きていると知ったら、《陰陽師協会》はむしろ手放しで喜び、一族をなんとしてでも取り込もうと躍起になるだろう。

 戦争の火種になりそうなので、静夜個人としては、もし生きているのなら、このまま見つからずに大人しくしていて欲しいと心からそう思う。


 そして星明の、幼き日の記憶に囚われたまま置き去りになっている恋、みたいな話はそれこそ欠けらも興味がない。隣の家の夕食の献立くらい、どうでもいい話だ。


「そんなことよりも、栞さんの〈厄除けの鈴〉と透文院一族に何か関係があるんですか?」


 静夜は脱線しかけた話を引き戻す。星明も己の暴走に気付いて居住まいを正した。


「ああ、いや、すまない。昔、蔵で目にした古文書にこの鈴と同じような呪術が載っていたのを思い出してね。それを書いたのが透文院一族の人間だったから、もしかしたらこの鈴は、透文院一族の末裔が作った物じゃないかって思ったんだけど、三葉さんが憶えていないなら、真偽のほどは分からないね……」


「でも、その鈴の力についてはちゃんと分かったはずですよね? それは、栞さんを妖から守っているんじゃなくて、厳密には妖から彼女を隠しているだけです。栞さんを囮にして妖をおびき寄せてしまった後では大した効果も期待出来ません。論外です!」


 静夜はもう一度、星明の立てた作戦に対して強く異を唱える。

 星明は〈厄除けの鈴〉を栞に返すと、今度はいつもの自信と余裕に満ち溢れたいけ好かない笑顔を浮かべて静夜を見返した。


「いや? むしろ僕には勝機が見えたよ」


「は?」


 本日一番という程に顔を歪めて、得意気な星明を睨み付ける。彼には自信と確信があるようだった。


「三葉さんの鈴は、危険なモノから彼女を遠ざけようとする。彼女の意志に反さない範囲で、気付かれないうちに彼女を安全な方へ誘導している。その呪術の効果は、今、こんな状況下でも問題なく機能している。これが何を意味しているか、分かるかい?」


 勿体つけるような問い掛けが気に喰わないと思いつつ、静夜は黙って答える。


「……栞さんがあの吹雪の中で偶然この洞窟を見つけられたのは、おそらく鈴の力のおかげです。ですが、あの状況下なら、ここに誘導するのは当然の判断だったと思います。何も不思議なことはないと思いますけど?」


「いや、残念ながら違うよ、静夜君。この鈴は、もっと先を見ているんだ。確かに、今現時点だけを見れば、僕たちは安全な場所に避難出来ているけど、僕たちをここに誘導できるだけの力があるなら、どうして〈厄除けの鈴〉は三葉さんがあの雪崩に巻き込まれるのを防がなかったんだい?」


「そ、それはッ! 栞さんが雪崩に巻き込まれそうになった妖花や僕を助けようとしたからで……」


「でも、それは僕が止めようとした。そして実際、止めることだって出来たんだ。僕はあの時、咄嗟に三葉さんの手を掴んで、そのまま〈禹歩〉で上空に逃れようとしたんだよ。でも、僕は三葉さんと一緒に雪崩に巻き込まれて、今ここにいる。最初は、僕の足が雪にとられて、〈禹歩〉が間に合わなかっただけだと思ってたんだけど、この鈴に施された呪術を見て、考えが変わったよ。きっと、この鈴は敢えて、三葉さんを僕たちと一緒に雪崩に巻き込ませたんだ。そうして、彼女を危険な方から遠ざけようとした」


「……あの時雪崩に巻き込まれておいた方が、後々安全だと、鈴が判断したってことですか?」


「おそらくね。僕と君がいれば、この雪山に巣食う妖たちのことは何とかなるって思ってくれたんじゃないかな?」


 あの時発生した雪崩によって、静夜たちは二つに分断された。

 雪崩に巻き込まれて遭難した側と、雪崩に巻き込まれず助かった側だ。


 通常、冬の雪山での遭難以上に危険なことなどは、まず起こり得ない。さらにこの周辺には無数の妖が跋扈しており、現に静夜たちはこの数時間のうちに何度も命の危険に晒された。それでもむしろこちらの方が、栞にとっては安全だと、十年以上も彼女を守り続けている〈厄除けの鈴〉が判断したということは、つまり、


「……遭難しなかった側の方が、危険になる、と?」


 そんな馬鹿な、と唾棄しようとした静夜だったが、しかし、思い当たる節が一つだけ、彼の脳裏を過ぎった。


「……君たちの友人の、坂上康介君、だったかな? 彼が話していた冗談は、あながち間違っていなかったのかもしれないね」


 雪山の中で倒れていた、協会の陰陽師たちの装備を今更思い出す。


 そこには確かに落ちていた。一発も撃たれず、弾がいっぱいに詰まったままの自動式拳銃の弾倉が。込められていたその弾は、対妖用のものではなく、人を殺すための、実弾だった。


《陰陽師協会》はおそらく知っていた。危惧していた。


『フォックスマジック』を狙うのは、妖だけに限らないということを。


 星明は少し残念そうな目で遠くを見る。


「僕たち陰陽師は、確かに社会の日陰で生きている。でも、その僕たちだって、この世界の裏側の全てを知っているわけじゃないからね……」


 彼らの知らない世界の住人は、彼らの知らない闇の中で、彼らの目に留まることなく、密かに、それでも確かに、蠢いていた。

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