洞窟の中には

 洞窟に中には、特に何もなかった。


 肩透かしを食らった星明は洞窟の内部を隅々まで見て回り、徹底的に調べたが、そこには鼠の一匹さえも見つからない。静夜は風に運ばれて洞窟内に溜まっていた落ち葉をかき集めて、薬莢の中の火薬を使い、火を起こす。栞は手ごろな岩に腰を落として思ったよりも高い天井の光景を眺めていた。地下水か、それとも雪水だろうか、氷柱つららのように下に伸びた岩から水滴が一粒、彼女の頬に落ちて来る。

 洞窟は、奥に広く開けた空間が一つだけある、単純な構造だった。空気はひんやりとしているが、雪と風が無い分、外よりはかなり暖かく感じる。


「あ、美味しい! 静夜君、この水、めっちゃ美味しいで!」


 栞が天井から落ちて来た水滴を掌に集めて、ちょろりと嘗めた。


「……洞窟の天井から落ちてくる水で、ここまでの透明度があるなら、たぶん飲んでも大丈夫だと思う。これで、当分の急場は凌げるね」


「せやね!」


 栞が嬉しそうに頷く。結構な時間吹雪に晒されていたが、頬の血色も悪くないし、彼女の体調は問題なさそうだ。


 火を起こし終えた静夜は、自分も適当な岩に腰かけて安堵の息をつく。


「それにしても、こんなにちょうどいい洞窟が近くにあってホントに助かった。見つけてくれてありがとう、栞さん」


「ううん。たぶんこれはウチやなくて、この〈厄除けの鈴〉が教えてくれたんやと思う。せやから、お礼はこの子に言ったって」


「うん、それもそうだね」


 やはり、あの吹雪の中で耳にした鈴の音は聞き間違いではなかったのだ。強力な霊感を有する栞を常に危険から守り、妖から遠ざけている金色の鈴が、主人の窮地を救うためにこの洞窟の存在を知らせた。そうであれば、ここに凶悪や妖や野生の動物が住み着いていなくても不思議はない。


 その時、懐中電灯を片手に洞窟内を探り回っていた星明が戻って来た。


「どうでしたか? 何かありましたか?」


 どうせ何もなかったのだろう、という答えを見透かして、静夜は意味の分からない優越感に浸る。


「ああ……」


 だが、星明は難しい表情で座っている静夜たちを見下ろし、手招きしてきた。


「……ちょっと来てくれ」


 懐中電灯と簡易的なたいまつを持って星明について行った静夜たちは、洞窟の隅で岩陰に隠されていたものを見せられて、驚愕した。


 訂正し、補足しよう。この洞窟の中には、静夜たちに危害を加えるようなものは、特に何もなかった。


 しかし、そこにあったのは、大量のスキーウェアとニット製品の山だった。


「……こ、これって、もしかして、全部《スノーフォックス》の?」


「うん。おそらく、今までこの山で遭難した人たちのものだろう」


「犯人は、妖?」


「ウェアが無造作に破られていたり、食いちぎったような跡があったりするから、僕はそうだと思う」


 静夜は、雪山で倒れていた《陰陽師協会》の陰陽師たちの姿を思い出した。


 彼らの衣服は、人ではない何かによって無理矢理に剥ぎ取られ、周りにはスキーウェアの残骸と思われる衣服の切れ端が散乱していた。

 さらに星明は、詰まれたウェアの山から少し離れたところを指差し、そちらに懐中電灯の光を向ける。


「あと、アレ。ボロボロになっていたから最初はよく分からなかったけど、アレはさっき静夜君が言っていた協会で支給されているっていう法衣なんじゃないか?」


「え? あ、ホントだ……」


 言われて静夜がそれを拾い上げると、法衣の中に作られたポケットには、拳銃の弾倉や未使用の呪符などが入ったままになっていた。


「この法衣には、陰陽師の法力や呪詛が編みこまれているから、スキーウェアに掛けられた『フォックスマジック』と勘違いして、剥ぎ取って来たのか……?」


「ってことはつまり、あの陰陽師さんたちを倒した妖さんは、最近このスキー場で起こっとる遭難事件の犯人で、この洞窟はその妖さんのお家ってこと?」


「たぶん、そういうことになるね……」


「せ、せやったら、早くここから逃げな――」


「ダメだよ、三葉さん! 今ここから出るのはもっと危ない。外は吹雪だ」


 出口に向かって走り出そうとした栞を星明が止める。


「それに家と言っても、ここはただの物置だ。実体を持たない弱い妖は、土地に縛られた種類でない限り、特定の拠点というものを持たない。普段は周辺を彷徨って、ふらっと現れては消えるような、そんな不確かな存在が妖には圧倒的に多いんだ。だから、用が無い限りは、その妖もここには立ち寄らないと思うし、それに、集めたコレクションを隠しておく秘密の場所がここだけとは思えない。すぐにその妖がここに現れる確率は結構低いと思うよ?」


「ほ、ほんまですか?」


「大丈夫だよ。もし何かあっても、僕が必ず君を守ってみせるから」


 栞を安心させるためか、星明は力強く頷き、錫杖を地面に打ち付けシャランと音を響かせる。よっぽどの自信があるのか、それとも天然なのか、どちらにしても静夜にとっては気に入らない発言で、思わず舌打ちしそうになる。


 でも、頼りがいがあるのは事実で、戦う力を持たない普通の女の子なら、彼の優しい笑顔と凛とした声音に、コロリとやられて胸をときめかせてしまうだろう。


「……静夜君は、どう思う?」


 正直、ここで意見を求めて来るのはやめて欲しかった。


「……星明さんの見立ては正しいと思う。ここを根城にしている妖の正体も実力も、これだけじゃよく分からないから、僕には滅多なことは言えないけれど、……もしもの時は僕なりに全力を尽くすよ」


 これが、静夜に応えられる精一杯の言葉。


「……うん。おおきに」


 それでも、栞は満足そうに頷いた。静夜はきまりが悪くて顔を背ける。なんだか居心地が悪いように感じた。

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